2015年1月16日金曜日

シート利用の袋


わりとよく開け閉めする深い引き出しに、この袋が入っています。
白いビニールシートを利用してつくった買いもの袋で、GIFT OF JAPAN/WFPの文字をプリントした部分が、たまたま使われています。
エチオピアの田舎の市場で見つけました。

1984年にエチオピアで大きな干ばつがあり、主食の小麦が採れないで、たくさんの人が餓死しました。
飢餓に直面している人々に対応するため、WFP(World Food Programme、 国連世界食糧計画)は、世界各国から穀物を集めました。
穀物はエチオピアの港マッサワ(現在はエリトリア領内)に運ばれ、WFPの委託を受けたNGOが、それをトラックで運び、地元の行政組織などと協力して配りました。
穀物を乗せたトラックは、できるだけ困窮している地域に接近しようとしますが、高地で起伏があり、車の通れる道は少なく、配給所に定めた場所には、長い距離を歩いて食料を受け取りに来た人たちも大勢いました。

食料配給は、二重にもらっている人がいないか、洩れがないか、お偉いさんたちが利権を利用して一人占めしようとしていないか、飢餓の深刻さの度合いによってどう対応するのかなどなど、いろいろなことを考慮しなくてはならない、とても難しいものなのです。

穀物はそれぞれ、袋に入れられ、シートに包まれていました。
この買い物袋は、そのシートを廃物利用して縫ったものです。もちろん、GIFT OF JAPAN/WFPだけでなく、いろいろな国から来た、いろいろな文字の印が押された袋やシートがありました。
1990年前後には、エチオピアの市場では、そんな袋やシートでつくったリサイクル品がよく売られていました。

私が小さい頃、日本人がドンゴロスと呼んで、穀物やコーヒー豆を入れて送られた麻袋を利用していたのと同じことでしょうか。
ドンゴロスでつくったバッグは、そのままではちくちくと足を擦って痛いので、ドンゴロスが隠れんばかりに、毛糸で刺繍したりしていました。


日本はどちらかと言えば、古米、古々米を援助物資として送って、自国の非常用備蓄米の在庫を調整するのを得意としていますが、この時はお米を食べないエチオピア人相手ですから、さずがにカナダかアメリカから輸出入調整のため義務で買った小麦か、あるいは家畜の飼料用として買った小麦を送ったに違いありません。
食料援助は好むと好まざるにかかわらず、このようによく政治的に使われてしまいます。

エチオピアの飢餓以後、early-warning(早期警戒)が浸透して、紛争地以外では飢餓は減りました。
でも、エチオピアの飢餓以後も、紛争地のソマリア、スーダン、シリアなどでは、相変わらず飢餓が発生し、そのことが報道されなかったりさえしています。

 
八十代の東京育ちの友人が、レイション(ration、配給)という言葉を知っているのでびっくりしたことがありました。

第二次世界大戦の敗戦以後、日本も援助物資の食料を配給され、CAREのレイション、援助物資が配られている写真がたくさん残っています。


その友人は、アメリカのNGOの、ケア(CARE)の名前さえ知っていました。
これは、第二次大戦後ドイツに送られた援助物資の箱ですが、中には食料品だけでなく生活を立て直すための道具も入っていたそうです。







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