そんな古本の中で見つけた、『アフリカの染色』です。
1991年から92年にかけて京都と東京で開かれた、「大英博物館所蔵品による、アフリカの染色展」のカタログです。
イギリスは、武器や綿織物を西アフリカに売りつけ、西アフリカから人をさらって奴隷として西インド諸島に売りつけ、西インド諸島から砂糖を買ってくるという三角貿易で巨万の富を築き、アフリカを足腰が立たないほど傷めつけた張本人ではありますが、この本に載っているのは、そう古い昔の布たちではありません。19世紀と20世紀、ちょっと前のものです。
それにしてもアフリカの染色が一堂に見られるというのは、さぞかし壮観な展覧会だったことでしょう。
ガーナの、アシャンティ人のアディンクラです。
アディンクラ製作中の写真もありました。
木綿布をピンと張ってスタンプを押しているところで、工場で織った布に広幅のままスタンプを押しています。
このままで製品とするのか、捺染したあとで布を細く切って再度つなぎ合わせるのかよくわかりませんが、そう古い写真ではなさそうです。
でも、屋根がトタンではなくて草ですから、1960年以前のものと思われます。
瓢箪(かんぴょう)でつくった、アディンクラのスタンプです。
1960年代にも、同じものが使われていました。
アシャンティのもう一つの布、織り布のケンテです。
ガーナではアシャンティ人とエヴェ人が、似た布、細い布を折ってつなぎ合わせて模様をつくる布をつくっていました。
この本で見る限り、これまでケンテだと思っていた、私の持っている布は、もしかしたらアシャンティではなくエヴェの織物かもしれないと思いました。
エヴェは、自分たちがアシャンティに織物技術を教えたと言っていて、アシャンティは、エヴェが技術を盗んだと言っているそうです。
どちらが真実かはわかりませんが、どちらも古くから織られていたことは確かです。
今ではケンテもエヴェの布(産地によって名前が違う)も、写真のような色の布が主流ですが、その昔は藍と白だけで織られたもので、18世紀初頭には、輸入した絹の布をほぐして、その色糸を部分的に使うこともあったそうです。
ナイジェリアの腰巻布、ヨルバ人の糊染め布です。
ヨルバの言葉で「アディレ」と呼ばれる藍染めの布は、どれも工場でつくられたシャツ用の木綿布を二枚剥ぎ合わせてつくるので、一辺が180センチ前後の大きな正方形になっています。
アディレには、糊を使って染めた「アディレ・エレコ」と、絞り染めの「アディレ・オニコ」があります。
糊染めは、何か(ヤムイモかタロイモ?)の粉を煮て糊をつくり、糊で模様を描いて藍染めをします。染めてから布を煮ると、糊が落ちて白い部分の模様が出てきます。
糊は蝋ほど強く浸透しないので、裏には模様が出ません。それに対して、絞り染めは裏にも、ほぼ同じ模様が表れます。
アディレには、それぞれ名前がついていて、これは「オロクン」、海の女神という名前だそうです。そして、オロクンにはもう一つの名前があり、それは、「人生は楽しい」と言うものだそうです。海の幸が生活を彩ってくれて、それで人生が楽しいということでしょうか。
これは、やはりナイジェリアの、絞り染めの腰巻布です。
エフェク人がつくったか、エジャガム人かあるいはイボ人のつくったものか、特定できないと、説明書きにありますので、どれもよく似ていたのでしょう。
絞り染めは、やってみるとわかりますが、絞り進むにつれて、布がくちゃくちゃに寄せ集まり、何がなんだかわからなくなってしまいます。地模様が、バラエティーに富んでいるうえ、それに重ねたというかはみ出した模様もある、素晴らしい技術に、ただただ感心してしまいます。
ヨルバ人は、よく秘密結社をつくっていたらしいのですが、結社のメンバーのアディレ・オニコをつくるときには、模様を指定してイボ人に発注したと言いますから、イボは絞り染めに特に優れていたのでしょう。
ベナン共和国のフォン人のアップリケ。
マリ、フルベ人が、羊と山羊の毛で織った毛布。
マリ、バマナ人の泥染めの布。
などなど、自分が見たことのある布を中心に紹介しましたが、他にも興味深い布がたくさん載っていました。
例えば、コインを縫いつけたエジプトの服は、地中海地方のアラブの人たちの衣装とそっくりです。
スーダンのマフディー軍の士官用の木綿のチュニックは、沙漠のなかに、どんなに映えたことでしょう。
そして、大好きな、大好きな、ナイジェリアのハウサ人のガウンです。
男性用のワンピースで、身体をすっぽり覆う長さです。手より長い袖は、寒い時は防寒にもなりますが、通常は肩の上に、美しくたくしあげておきます。
写真では色がよく出ませんでしたが、細く手織りして藍染めした布に、白い絹糸で刺繍してあります。
ガーナに暮らしていたとき、いつもこのスタイルのガウンしか着ていない、白い髭を生やした老人を知っていました。行商の骨董屋さんで、もちろんハウサの人、白い刺繍の帽子をかぶって、見たところも人格も、それはそれは素敵な人でした。
1900年代半ばには、もうミシン刺繍のものが増えていましたが、それでも素晴らしい、手刺繍のものは本当に豪華でした。
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