2015年1月26日月曜日

饅頭喰い


いまどきさんの、饅頭喰い人形です。
一昨年だったか、いまどきさんが、
「廃絶した名古屋人形の、最後の人形師であった野田末吉さんの型で、饅頭喰いをつくってくれないか」
という注文をお受けになったとき、いろいろ試作したときの、はねられたお人形さんたちをいただいたものです。

型は野田末吉さんの型ですが、色や模様は、今戸人形と言うよりいまどき人形です。
左の童子は、片身変わりの着物が華やかです。
顔料だけでなく、植物染料である黄柏(きはだ)や蘇芳(すおう)を煮出して彩色したので、何度も何度も色を重ねて、やっとこの色が出たとうかがっています。


こちらは、故野田末吉翁の饅頭喰いです。
縞の着物も青海波の着物も、とっても粋です。

饅頭喰い人形の誕生は、江戸時代にさかのぼります。
「お父さんとお母さんのどっちが好き?」
と聞かれた子どもが、目の前で饅頭を割り、質問した人に、
「どちらの饅頭がおいしいと思いますか?」
と聞き返し、半分に割った饅頭のどちらがおいしいとは言えないように、父母のうち片方がより好きとは言えないと言ったというお話にちなんでいます。

土人形は、伏見稲荷の近くの深草の器づくりの陶工たちが、余暇でつくったのが始まりとされています。それが伏見稲荷のお土産品として人気を博し、全国に持ち帰られ、それを倣って、日本各地で土人形がつくられるようになりました。


饅頭喰いも、最初は伏見でつくられたらしい、その伏見人形の饅頭喰いです。


長野県の中野土人形の饅頭喰いです。
中野は昔から、とても土人形つくりの盛んなところでした。お節句に飾ったりする童子の人形もたくさんの種類ありました。そのため、饅頭喰いをつくりはじめたときは、もとからあった童子の型を大筋では変えることなく、手に饅頭を持たせたそうです。
元々饅頭が目立ってなかった上、饅頭の色がすっかり消えてしまって、いまではとても饅頭喰いには見えなくなってしまっています。


宮崎県佐土原人形の羊羹喰いです。宮崎では饅頭のことも羊羹と言うのだとか、本当でしょうか?
佐土原も、とても土人形づくりの盛んなところでした。
羊羹喰いは、伏見人形では男児だったものが女児に変わっています。


饅頭喰いは、子どもが、健康でよい子に育つようにとの願いを込めて、家々に飾られたものでした。

いまどきさんの饅頭喰い、かわいいいです。
誰かにすごく似ているんだけれど、誰に似ているのだか、思い出せません。





2 件のコメント:

karat さんのコメント...

おはようございます。
伏見人形の饅頭喰い、懐かしいです。
20年以上前に伏見に行き、一緒に連れて行ってくれた方に伏見人形や饅頭喰いの説明をしてもらいました。結局その人形があったのか、すでに非常に高価だったのかは覚えていないのですが、手の届く範囲で「ゆずでんぼ」を購入したのを覚えています。(今でもそれは持っています)。
今戸焼もそうですが、何だか懐かしい事に巡り合えてうれしいです。

さんのコメント...

karatさん
以前どこかで書いたことがありますが、高価なわりには、伏見人形は面白みに欠けます。それは、伏見人形がいつも京都の御所人形などを意識しながら、それらに手の届かない人たちのために代用品をつくり、常に卑屈な思いで(?)上を見ていたからだと言われています。博多人形もそうです。
それに比べると、他の地域に根づいた土人形は、のびのび、上手もゲテもなく、その土地の土を活かしてつくったので、味わい深いものがいっぱいできたのですね。
私も、伏見稲荷には何度か行きましたが、門前では何も買いませんでした(笑)。その後、一つくらい伏見人形も持っていてもいいと思い、昔よく開かれていた、デパートの郷土玩具展のようなところで、小さくて値が張らない饅頭喰いを手に入れたのではなかったかしら。もう一つ小さな犬も持っています。
それにしても、人形は上手であればある程、つくる人を映し出しますね。人形の中につくった人の人柄や暮し方が見えてしまいます。それなのに、いまどきさんやkaratさんはよく人形がつくれるものだと感心してしまいます(失礼、笑)。
もっとも、そんな人形だから、手元にあると楽しいのですが。