いまどきさんからは、裃雛も届きました。
男雛の初々しさ、二つ一緒に掌に乗るほどの、小さなお雛さまです。
江戸から明治、大正にかけて、お雛さまをはじめいろいろな土人形は、藁やもみ殻を入れたもっこに詰め、天秤棒で担いで売り歩かれたり、市の日に屋台で売られたりしました。
明治25年(1892年)生まれの私の祖母は、天秤棒を担いで人形売りがやってきたのを覚えていました。
『日本の人形と玩具』(西沢笛畝著、岩崎美術社、1975年)より |
この、市の写真で売られているのは、お雛さまではなくて天神さまですが、お雛さまやお正月のおもちゃも同じように、賑々しく売られたことでしょう。
こんな風景は、第二次大戦後も見られたようです。
裃雛を飾っていた、江戸、東京庶民の生活が、季節感に溢れた、楽しいものだったことがうかがえます。
ついでに、『日本の人形と玩具』から、江戸時代のおもちゃ売りの姿を二、三紹介します。
ヤジロベエ(弥次郎兵衛)は人気のおもちゃだったようで、この本にも、売り手が仮装したり、頭に売りもののヤジロベエを乗せて歩いたりと、いろいろな姿のヤジロベエ売りが載っています。
ちなみに、ヤジロベエは釣合人形ともいい、ヤジロベエは江戸の方言だったそうです。
この、うちわで風を送ると動く軽い人形に、「弥次郎」ではなく、「弥五郎」と名前がついているのがおかしいところです。
京都の伏見(実際は伏見の隣の深草)で、かわらけ(器)をつくる陶工たちが、伏見人形もつくって、作業場の外に並べて売っています。
伏見人形は、伏見稲荷の門前で売られて、全国各地にお土産としてもたらされ、それを真似て各地で土人形つくりがはじまったのですが、門前だけでなく、こうして担いでも売られていました。
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