いったい、どんな籠があるんだろう?
フィンランド、ロシア、リトアニア、スウェーデンなど寒い地域によくある、白樺の籠がもっともありそうです。いや、イギリス、フランス、ラトビアなど、ヨーロッパの多くの国でつくられている、細い柳の枝で編んだ籠かな?それともトネリコなどの木を薄く割いた、へぎ板の籠かな?
楽しみにしていました。
アンとイエンスの家には、いろいろな籠がありましたが、どれもアジア製でした。
コペンハーゲンのデパートや雑貨屋などで見かけたのは、やはりアジア製の籠、インドネシア、ヴェトナム、中国などでつくられたもののようでした。
竹のないヨーロッパに、竹の籠が並んでいます。
コペンハーゲン郊外の野外博物館は、デンマーク各地から、その土地の特徴的な家を移築した民家園です。
中に入って見ることができ、中にはその家に元々あった、あるいはその地方にあった家具や調度品、道具などを配して、その地方の、250年から150前の生活を知ることができます。
広大な野外博物館で、中に入って見た家はせいぜい数軒です。それだけで語ることができないのですが、見かけたのは私の予想に反して、草を集めて芯にして、それを巻きながら留める、巻き編み(コイル編み)の籠でした。
その中で、人形の揺りかごだけは柳細工でした。
ただ、人形の揺りかごのあった家は、とてもお金持ちでした。
また、建設された時代も比較的新しく、ほかにも遠くから運ばれて来たらしい家具や道具をいろいろ持っていたので、揺りかごもまた、舶来品の可能性があります。
巻き編みにした、楕円形の草籠です。
編みかけの編みものや、糸を入れた籠もありました。
納屋の梁の上に置いてあったのは、農作業に使う、やはり楕円形の籠です。
この、蓋つきの籠は、台所の棚の下に置いてありました。
草であんだ室内履きは、イエンスのおじいさんもつくっていたそうです。
ハーニングのテキスタイル・フォーラム(織物の博物館)では、杼(ひ)などを入れている、へぎ板の籠を見ました。
いつ頃つくられたものか、へぎ板の籠も、糸を入れている曲げ木の箱も、どちらも針金で綴ってありました。どちらも、元々は自然材料だけでつくったはずです。
へぎ板の籠は交易で手に入れたのか、あるいはデンマークの人がつくったのか、ヨーロッパはそれぞれの国が近いだけに、判断が難しいところです。
ヴァイキングの遺跡と博物館のあるノルディーランド歴史博物館のミュージアムショップでは、柳で編んだ籠を売っていました。
写真はありませんが、持ち手が一本の、ヨーロッパによくある形の籠でした。
同じ歴史博物館の庭で、ヴァイキング時代のパンを再現してふるまってくれる人たちが使っていたのは、やはり柳の籠でした。
柳の籠が、ヴァイキング時代(800-1050年)にもつくられていたのでしょうか?
ヴァイキングの人々は交易に長けていたのですが、同時に漁民であり農民でした、そして、とくに職人として優れていたと言われています。
そんなヴァイキングの人たちが、ヨーロッパの他の地域の柳の籠を見て、真似てつくっていたとも考えられます。
というのは、デンマークでは、やっぱり草の籠が主だったと思われるからです。
ハーニングにある、民族博物館の目録に載っている籠たちです。
デンマークにいるときはそれなりに忙しく、テキスタイル・フォーラムに置いてあった、民族博物館の分厚い無料の目録をもらったものの、日本に帰って来て、開いてみて、初めてハーニングに民族博物館があったことを知ったので、
「行きたかったなぁ」
と思っても、後の祭りでした。
目録は、残念ながらデンマーク語だけで、読むことができませんが、載っているのは、巻き編みの籠だけです。
形は自由自在、真ん中の段の左端は、帽子入れでしょうか?
民族博物館の目録には、籠を編んでいる写真も残されています。
そして、絵も。
これを見ると、材料は屋根を葺く草のように見えます。オーツ麦の可能性もあるでしょうか。
これが、屋根を葺く草です。
野外博物館のなかの萱場では、屋根の修理のために草を育てていて、昔の道具で刈り取り、昔の方法で乾かしています。
たった数日駈け廻っただけで、決めつけるわけにはいきませんが、広い世界を知っていたヴァイキングが、柳の籠をつくったとしても、デンマークの大方の人々は、手に入り易い材料である草で籠をつくっっていたのだろうと思いました。
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