弟が、叔父の法事で岡山に行ったからと、藤戸饅頭を送ってくれました。
弟と二人で叔父のお葬式に行ったのは二年前、その帰りに岡山駅で藤戸饅頭の店を探したのですが見つからず、列車の時間が来て、岡山まで行ったのにあえなく買えなかったものです。
包装紙は、私が小さかったころと同じで、「名物藤戸まんぢゅう」と右から書いてあるので、もしかしたら父が小さいころからこの包装紙、百年も変わっていないのかもしれません。
そして、箱にかけている紙も。
紙の絵の、左は藤戸寺、右は藤戸橋です。藤戸橋は汐入り川だった吉岡川にかかっていますが、その昔、源平合戦のころは一帯は海、小さな島がいっぱいあって入り組んでいました。そして、祖母の家は吉岡川のもう少し上流にありました。
藤戸寺では、毎月のように(あるいはもう少し少なかったか)縁日が開かれました。その仏縁日は、「おだいっさま(お大師さま)」と呼ばれ、近隣の人たちは三々五々、途中で塚やお地蔵さまに寄ってお供えをしながら、徒歩で藤戸寺を目指しました。
藤戸寺に着くと、広い境内や門前は出店で埋め尽くされて、賑わっていました。そこでは、縁日につきもののおもちゃや食べ物ではなく、台所道具とか下駄とか、必需品のお店が多く出ていたように記憶しています。
そして、藤戸寺の近くの藤戸饅頭の店で、ときおりお饅頭を買ってもらって、蒸かしたてのをいただきました。
箱を開けると、竹の皮に包んだ、むき出しの薄皮饅頭が並んでいるはずですが、一つ一つ包まれていました。
弟からのメールによると、
「2年ぶりに新幹線岡山駅& 駅地下に行ったら、その活気にあふれる賑わいに圧倒されてしまいました。 2年前には残っていた田舎臭さはもうどこにも見当たらず、東京とか横浜の街を歩くのと変わらない洗練が感じられました。 恐るべし岡山県人の進取の気性でございます。
その中にあって藤戸饅頭はよく孤塁を守っていると感心しますが、20年くらい前からでしょうか饅頭をプラスティックの袋に包むよ うになってから昔のあのむき出しの饅頭の素朴な味わいが少しばかり消えたような気がするのは、守旧派の愚かなこだわりによる、ないものねだりにすぎないのかどうなのか自分にもわかりません。
人間の五感のうち、味覚、臭覚などは記録ができませんので、今と昔を比べるのは困難なのですが何だか昔のものの方がありがたく感じられるのは不思議な心理ではあります」
ということ、私も同感です。
藤戸饅頭は、たっぷりの餡を薄皮で包んだお饅頭で、その薄皮が柔らかいうちに食べるのも美味しいのですが、日が経って、薄皮がちょっと固くなったのを食べるのも、また別のおいしさだったのでした。
2 件のコメント:
包装紙一つでも時代がわかりますね、
「横書きは左から」統一されたのは昭和17・7で
かな使いは発音通り
てふ(蝶)も「ちょう」になりました。
教科書から駅名と大変でした。
駅の時刻も24時表示に、、、、
忙しかったので忘れません。(笑い)
昭ちゃん
ありがとうございました。「横書きは左から」は、戦前の17年からだったのですね。てっきり戦後の、「新しい」風潮かと思っていました。これも、包装紙には「まんぢゅう」と書いてありますが、箱にかぶせてある紙を取ると、「まんぢう」と書いてあります。私の旧姓は岡本です。箕とか篩とか、祖母が名前を書いたものはすべてヲカモトで、オカモトではありませんでした。ラジオがラヂオだったことは英語のスペルからよくわかるのですが、ヲカモトとオカモトの違いは今でも全くわかっていません。その昔は、ヲとオ、エとヱ、イとヰなどは発音も違ったそうですね。人が慣れ親しんできたことを忘れ去るにはそう時間が要らないと、つくづく思います。
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