2016年11月13日日曜日

男の子のエプロン姿


土人形です。たぶん、射的の的だったのでしょう。
洋服を着て靴を履き、男の子ですがエプロンをつけています。
戦前は、男の子がエプロンをつけるのは一般的なことだったようです。


ちなみに、1936年に連載が始まった、横山隆一の漫画『フクちゃん』の中では、フクちゃんもコンちゃんの弟のキヨちゃんもエプロンをつけています。
そうたびたび洗濯できない着物を着た、動きの激しい男の子には、エプロンでもつけさせてないと、お母さんたちが困ったのでしょう。


漫画では着物が短くてよくわかりませんが、フクちゃん人形を見ると、もっとよくわかります。

と、ここまで書いて、父がエプロンをつけた写真があったのを思い出しました。
母が身辺整理をしたとき、処分するものの中に入っていたのを取っておいたはずです。


ありました。
すっかり色褪せて、ほとんど消えかかっていますが、左が父、右は従弟のみちろうおじさん、祖母の姉の一人息子でしたが、若くして戦死しました。
父は着物の上にエプロンをつけていますが、みちろうさんは、割烹着風の服を着ているようにも見えます。たぶん、大正10年(1921年)ごろの写真でしょう。


ついでに見つかったのが、母の妹のエプロン姿。
右端が母、そして妹と弟たちです。


今どき、見かけることはありませんが、男の子も女の子もエプロン姿は、なかなかかわいいものです。






8 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

私もエプロン姿の写真があり
2.3才と思います。
小学校時代に田舎がないので父の友人がすんでいた
下丸子(目蒲線)によく行きました。
一緒に遊ぶ子供たちが着物姿なので驚きましたよ
私たちは寝るときが寝間着ですからね。
「どうして寝間着で遊ぶのー」っと。

さんのコメント...

昭ちゃん
ということは、昭ちゃんは洋服姿にエプロンをつけていた、この土人形の姿と同じですね(^^♪私は、さすがに着物姿の子どもと遊んだ経験はありません。でも、赤ちゃんは結構大きくなるまで着物を着ていたような覚えがあります。
ところで、また朝の連続テレビ小説の話ですが(笑)、どのお話にも、いま放送している「べっぴんさん」にも、着物姿の赤ちゃんを抱っこする場面があります。それが全部着物がはだけて、ずり上がって足丸出しになります。
実際は、子どもでさえ、赤ちゃんを抱っこするときは、ちゃんと着物の裾を合わせて、はだけないようにして抱っこしていました(笑)。もう、テレビを見るたびに、「あぁあ」です(爆笑)。

karat さんのコメント...

写真のお父様とおじ様が手に持っているのはテニスのラケットですか…? 
つば広の帽子といい、レースとかひだの入ったエプロンといい、何か優雅な時間が流れている時代の感じがします。しかし、その後、戦争が始まったのですね…。

さんのコメント...

karatさん
いつもラケットを持って遊んでいたのか、それとも写真を撮るので持たされたのか、今となってはみんな故人でわかりませんが、写真の退色具合から、写真館で撮ったものではなさそう、祖母の実家の前で撮ったのでしょうか?帽子も女の子みたいでかわいいですよね(^^♪
父たちがどんな子供時代を送ったのか、祖母はときおり話してくれましたが、父は戦争中のことだけでなく、子ども時代の思い出も含めて、昔話は一切しませんでした。

昭ちゃん さんのコメント...

古い写真は懐かしいですね、
服装からラケットまで裕福な家庭が想像できます。
 「ふくちゃん」もなつかしいなー
アラクマさんは同居人だったと思いますが、、、、。
アルファベットの着物も戦争が始まった当時
やぶけて「ABCD包囲網が破れた」っと
「即いろは」に変わりましたね。
 朝ドラ相変わらず脳トレになりますね、
他のドラマですが着物の衿が広がり過ぎ、
まるで水商売の女性ですよ。

さんのコメント...

昭ちゃん
並の家庭だったと思いますよ(^^♪
『フクちゃん』は、母の弟たちが子ども時代に読んだのをもらって、私も親しみました。アラクマさんは、書生さんでしたっけ?日本の漫画や本には「書生」が出てくるし、翻訳ものには「執事」とか出てくるし、わかったようなわからないような気分で読んでいました。
それにしても、母の弟、フクちゃんとおんなじ帽子をかぶっています(笑)。

昭ちゃん さんのコメント...

髪型が「坊ちゃん刈り」ですから裕福ですよー
(私の時代から判断して)
クラスに二人いました 帽子似合いますね。
「執事」懐かしい言葉です。

さんのコメント...

昭ちゃん
あはは、母の弟たちですね。帽子をかぶっているしげるさんは、きっと坊主じゃないですか(笑)。彼はシベリア抑留を経験した社会科の先生で、全国の古墳発掘に参加するのが趣味、お酒を山のように飲んで、誰もが長生きしないと思っていたのに、結構長生きした、話の面白い愉快な叔父でした。
坊ちゃん刈りのまさみさんは、高校生のときだったか広島に行く先生のカムフラージュで同行し、広島で原爆にあって生死の境を長い間さまよいましたが、生き延び、ピアノやギター、山登りスキーなど多彩な人でしたが、二年前に亡くなりました。
母の上に長男がいるのですが、戦後東京の大学に行き、下宿した家の一人娘と結婚、養子になって家を出て、母など大ブーイング(笑)、兄弟誰もが、戦争の影響を受けましたね。