2016年11月3日木曜日

時代考証

考えてみるまでもなく、「見なけりゃいい」のですが見てしまって気になります。
NHKの朝の連続テレビ小説のことです。
「べっぴんさん」は、戦後間もないお話の展開ですが、昨日、占領アメリカ軍人の家のテーブルクロスをどうしたらよいかということで、
「パッチワークにしたらどうか」
一人が提案していました。
言っている人は、英語を解さない設定、当時、日本に「つぎはぎ細工」は存在しましたが、「パッチワーク」という言葉はありませんでした。

 
昭和29年(1954年)に初版が発行された村岡花子訳の『赤毛のアン』では、「パッチワーク」は「つぎはぎ細工」、「キルト」は「さしこのふとん」となっています。そのいずれも知らない日本人にどうやって知らせようかと思った、村岡さんの気持ちが伝わってきます。


日本に「パッチワーク」や「キルト」という言葉が紹介されたのは、1970年初頭です。
それまでも、私の母にしてもつぎはぎ細工はつくっていましたが、パッチワークという言葉はありませんでした。

朝の連続テレビ小説には、太平洋戦争前後がよく出てきます。
戦後まもなく、みんなモンペを脱ぎ捨ててスカートになったのに、どのお話でもみんないつまでもモンペを履いているのが、何度も書きましたがいつも気になっていました。
しかも戦中につくったもんぺとしたら、目立つ派手な色は禁止されていたはずです。それなのに、赤いモンペを履いているの人がいつも出てきます。赤い色は、派手ということだけでなく、B29からも目立つということでも禁止されていたのでしょう。
また、戦後間もなくから、大人の女性はほとんどパーマネントをかけていたはずです。長い髪をさらさらさせている大人の女性はいませんでした。もっとも男性だって、七三に分けた刈り上げでしたが。

それだけで、けっこういらいらするのに、パッチワークなどと言われては、気がそがれます。


そして今朝、西欧のパッチワークの伝統模様を下書きしているのも見ました。
「無理無理、無理だよ」
と思いながら見ている私はなんでしょう?

しかも今朝、その前の時間帯で再放送している「ごちそうさん」で、戦前の設定なのに、「あげナスとオクラ」の味噌汁などという言葉が出てきました。
「ごちそうさん」では、せっかく、トマトのことを「赤茄子」と言っていたくらいだったのに、いきなりオクラがどうして出てくるの?
私は、ガーナで初めてオクラを見ましたが、日本の市場に出回り始めたのは、ずっと後、たぶん1980年代ではないかと思います。
やれやれ。

追記:

『赤毛のアン』を読み返してみたら、「つぎはぎ細工」ではなくて、「つぎもの」でした。縫物があり、編み物があり、そして継物というわけです。
その昔は、外国語をすべて日本語をつくってあてはめました。それも、カリキュレーターを電子計算機と訳したあたりが最後だったのでしょうか。今はそのままになりました。むしろ日本語で言えるのに、「コンセンサス」だの「ミッション」だのと、英語をはさむ人も多くなりました。




8 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

 春さんおっしゃる通りで何回も聞くと耳触りになりますね、
和製英語ですか?
私の方に引っ張ると軍隊物で返事が気になります
「ハッ」の連発ですからね、
「ハイ」と言わないと目から星が飛ぶほど殴られます。
知らずに聞けば通過ですが、、、、(笑い)

hiyoco さんのコメント...

キルトの話で思い出したのはベーグルです。大学時代にNYからの帰国子女の友達がベーグルの話をするのですが、その頃はまだ日本にベーグルという言葉はなく、彼女のネイティブの発音のままに「ベーゴゥって食べ物があるんだ~」と思っていました。花岡さん風に言えば「茹でパン」でしょうかね(笑)。その後すぐ日本にベーグルが入って来てベーゴゥの正体がわかりました。
オクラは幕末には入って来ていたようですが一部の地域でしか食べられていなかったんですね。オクラの存在を意識したのは、大学の卒業旅行のNYでガンボスープの看板を見た時だから1989年です。春さんはさすが本場のアフリカで出会ったんですね!

さんのコメント...

昭ちゃん
和製英語ではなくて、れっきとした英語です。でも、その当時、アメリカ女性の手芸の言葉なんて、日本では誰も知りませんでした。
パッチワークやキルトという言葉は、もちろんアメリカ、カナダ、イギリスなどでは古くからある言葉ですが、日本では1970年代に『私の部屋』や『生活の絵本』などという女性雑誌が取り上げるようになって、初めて認知された言葉です。だから、戦後すぐに英語も知らない人がその存在を知っているはずがないのです。
あれはやはり70年代だったか、『暮らしの手帖』にアメリカの古いキルトのコレクションが紹介されました。そのあたりから、誰でも知っている言葉になったでしょうかね。

さんのコメント...

hiyocoさん
ベーグルは1980年くらいから北アメリカで一般的な食べ物になったようですね。だから、『赤毛のアン』の時代にはなくて、村岡花子さんは「茹でパン」が存在することを知らなかったかも(笑)。
私は1993年ごろ、エルサレムのユダヤ人街で初めて見て、初めて食べました。ユダヤ人の食べ物と認識していたのに、いつか日本であったイスラエル人に、「お国の代表的な食べ物はベーグルでしょう?」と訊いたら、「あれはアメリカの食べ物です」と言われてしまいました。ベーグルはユダヤ人でも東欧系だけってことだったんでしょうかね。そして、彼女がお国料理として挙げたのは、全部、アラブ料理でした(笑)。
オクラの普及はすごいですね。オクラが日本語と思っている人もいるとか。それにしても、戦前味噌汁はないでしょう。

昭ちゃん さんのコメント...

横レスですが
私がオクラの英字「OKRA」に首を傾げたのは
朝日朝刊の連載マンガ「ブロンディ」でした。
ここだけ確か英字だったような今は「はたけレンコン」かっと
今だになんとなく馴染まないです。

さんのコメント...

昭ちゃん
ということは、アメリカではすでにブロンディの時代にオクラを食べていたということですね。私はガーナですでにオクラを見てからアメリカで暮らしたので、アメリカのスーパーでオクラを見たかどうかまったく覚えていません。
その時、アメリカで生まれて初めて食べた野菜はパプリカとブロッコリーです。日本にもカリフラワーはあったのですけどね。今ではブロッコリーの方がメジャーですが。

karat さんのコメント...

あー、知ってる人はイラっとする…というのありますね。まあ連続テレビ小説は全体に「ありえない」設定があるので基本見なきゃいいのですが、見ている人が多いのだから気を付けてほしいですね。以前NHKの幼児番組で、「お月様が出てきたから、おやすみなさい、だね」というような場面で、左下側の光った月が窓の外に描かれていて、それは夜明けだろう!と一人で突っ込んでいたことを思い出しました。
 話それましたが、昔、子供の頃、パッチと言えば膝あてみたいな破けたところのつぎはぎのことを言っていました(今でも言いますが)。あと股引もパッチと言ってました。関係があるのでしょうか?
 オクラがアフリカの言葉だとは知りませんでしたが、グリーンアスパラとかオクラとか学生時代の私には新しい野菜でした。親がオクラを食卓に出した覚えはないですね。アスパラもホワイトアスパラの缶詰にマヨネーズをつけるという料理だけでした。
 生きているうちにいろいろな変遷が見られますね(^^)。

さんのコメント...

karatさん
ほんと、見なきゃいいんですよね。毎日のことだし(笑)。
確かに「あり得ないお話」だから観念して、もともとめちゃくちゃのいい加減と思っていればいいのだけれど、それにしてはセットとか凝り過ぎているし、時代考証の人も方言指導者もいるわけだし、一度くらいは、文句もつけようがないのをやってもらいたいです(笑)。
いつだったかNHKの時代劇で「里山」、「開発」なんて言葉が連発されていました。あれは明治に入ってからできた言葉だよ、とまあここで、いつものように引っかかってしまうわけです(汗)。
股引のパッチは日本語じゃないですか?膝あてのことをパッチと言っていましたか?私は「つぎあて」しか知りません。意味から言って、膝あて=パッチはまさにパッチワークですよね。
ホワイトアスパラガスの缶詰ありましたね。叔母の家に遊びに行って初めて食べたときは、「なんだこれは?」と思ったものでした(笑)。