2016年11月2日水曜日

『たんぽぽのお酒』

夏休み前にラジオを聴いていたら、夏休みの子どもたちにお勧めしたい本を紹介していました。
その中に、『たんぽぽのお酒』(レイ・ブラッドベリ著、北山克彦訳、晶文社、1997年、アメリカでの最初の出版は1957年)があり、古本で買ってみました。


ページを開いて、戸惑ってしまいました。
いつも、文学っぽい本はなんとなく敬遠していましたが、これはまさにそんな本で、言葉が躍っていました。

他に読む本があるとき、『たんぽぽのお酒』はいつも後回しになりました。何も読むものが見当たらない時だけ、しかたなく手を伸ばし、布団の中で開きましたが、言葉が頭に入ってきません。数ページも読み進まないうちに眠くなって、閉じてしまいました。

最初のうち、同じページに、パパとお父さん、ママとお母さん、おじいさんとおじいちゃん、おばあさんとおばあちゃんが入り乱れていることに、いらいらしました。
翻訳ものですから、実際のところはどう書かれているのか、原書と突き合わせてみるしかありませんが、それでも本文の中だけでなく、会話の「」の中でも乱れているのだから、訳者が気にしていなかったとしか思われませんでした。
というわけで、あちこち引っかかって一向に読み進まず、夏がとっくに過ぎてしまいました。

それでも少し慣れてきたと思ったら、こんどは、内容が重くなってきました。
物語は、1928年のひと夏が、アメリカのイリノイ州の小さな町に住む12歳のダグラス少年を中心に描かれています。
夏の楽しさを、たんぽぽを摘んでつくったお酒に閉じ込めて、それを陰鬱で長い冬に口にすることによって、楽しかった夏を甦らそうという物語ですが、全文にあふれているのは、生の歓びよりも、「死」ばかりにみえました。
そして、最高に楽しい夏の間にも、「孤独の人」に忍び寄られた人たちが、たくさんの思い出とともに死んでいき、ダグラス自身も死にそうになります。

全編、あまりにも「死」の色が濃いので、
「これは、一体誰のための本だったかしら?」
と思わず本を閉じて表紙を見返したこともありました。
と、帯には、「少年ファンタジー」と大きく書いてあり、子ども向けの本に違いありませんでした。
そんなわけで、本を閉じて寝ようとすると、とたんに眼が冴えてしまうようになりました。寝る前に読むには全然適していない本と言えるかもしれません。

ところが不思議なもので、三ヶ月も仕方なく開いたというか、渋々つきあった『たんぽぽのお酒』も、読み終えるころには、わりと親しいものになっていました。


そして、もう一度読み返したときは、物語に集中できて、パパとお父さんの混在すら、そう気になりませんでした。
一度目は、私に抽象的、詩的な言葉を読む素地が、まるでなかったということでしょうか。
あるいは一度読んで全体像がつかめたので、言葉の端端から、やっと物語を映像として思い浮かべることができるようになったのでしょうか。





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