名古屋土人形、野田末吉さん作の馬乗り狐です。
ヤフーオークションで手に入れましたが、開始価格はよくある1000円ではありませんでした。新しい土人形を手に入れるよりは安いくらいの値段がついていて、入札するかどうか、ちょっと悩んでしまいました。 というのは、馬乗り狐はすでに持ってたからです。
開始価格が、1000円ではないと、誰でも躊躇するのか、競争者もなく、落札することができました。
これが、我が家に長くいる方の馬乗り狐です。
3.11の地震で、馬の顔だけ粉々に砕けたのですが、そのほかの部分は無傷でした。
あのときは、招き猫の部屋では、割れたかけらがどれのものかわからないほど混じりあっていたのですが、馬乗り狐は別の部屋にいたので、かけらはなんとか拾い集めることができて、つなげました。
この馬乗り狐は、野田末吉さんがまだご存命のころ、お宅を訪ねて手に入れたものでした。
私たち家族は、祖母が元気だったころ、毎年お正月には祖母の住む倉敷を、車で訪ねていました。祖母が亡くなってからは足が遠のき、しかもタイで暮らしたりしていたので、倉敷に行くことはありませんでしたが、祖母の七回忌だったのか、久しぶりに倉敷まで行ったことがありました。
それまでも、倉敷に行くときは帰りに、京都の伏見稲荷に寄ったり、大阪の住吉大社に寄ったりしたことがありましたが、そのときは、名古屋人形の野田末吉さんのお宅を訪ねたのでした。
次男が中学生くらいだったので、1980年代の前半だったと思います。日も暮れたころにたどり着いたのですが、末吉さんは病に伏せっていらっしゃいました。
それまでも、私は土人形はできるだけ制作者からじかに買うようにしていました。というか、普通、名古屋人形は出回っていないし、東京のデパートで年に一度開かれていた郷土玩具展のようなところでは、目移りして何も買えなくなるので、お訪ねして、お話して買うという方法が、一番よかったのです。
応対して下さった、末吉さんのお連れ合いは、
「どれも、予約の品ばかりで、お分けできない。でも見てください」
と、人形が並んでいた棚を見せてくださいました。
大きな部屋の三方に大きくて深い棚があって、小さくてかわいらしい土人形がぎっしり並んでいました。
遠くから来たのにと、申し訳なく思ってくれたのか、
「これなら、お分けできます」
と、手に取ってくれたのが、この馬乗り狐でした。喜んでいただきました。
その時の病は、一度は回復なさったのかどうだったのか、野田末吉さんは、1989年に亡くなられ、名古屋人形も廃絶しています。
さて、落札できても、馬の顔が割れてしまった方を捨てるつもりはなかったので、二匹(四匹)になりました。
並べてみると、前から持っていた方は、おでこに線が入っていますが、新しい方は線がありません。 髭もありません。
もっとも、「新しい」といっても、我が家で新しいだけで、どちらが先につくられたかは不明です。
全体で見ると、馬の顔の形が違うでしょうか。
絵つけの問題だけですが、蹄のあるなしも違います。たぶん、型も違うのでしょう、馬の目や袴の紐は、新しい方がくっきりしています。
野田末吉さんは、名工と呼ばれた方で、たくさんの型を使い、たくさんの型を起こし、たくさんの試みや挑戦をされました。
この馬乗り狐も、馬の脚がありますから、単純な型ではつくれませんが、ひょいひょいと、こともなげにこなしていらしたのでしょう。
お会いしたかったです。
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