大津波と原発事故から10年経ちました。
大津波と原発事故は、社会にも個人にも様々な教訓を残しましたが、もはや忘れて、浮かれていたところにパンデミック発生、そして、2月にはそれを警告するかのような大きめの余震もありました。
大津波で、様々な人に様々な悔いが残ったと思われますが、最も大きかった悔いは全校生徒105名だった大川小学校でしょう。裏山が近いというのに、校庭に足止めされていた生徒たちが津波に呑まれ、70名が死亡、4名が行方不明になりました。
子どもを含む私たちに必要なのは、自分で判断し行動する力を養うことです。周りを見てそれに従ったり倣ったりするのではなく、自分の判断が自分の命を守ります。
原発事故に関しては、戦争同様、あまりにも恩恵を受けている国、自治体、企業、人などが多いので、判断が鈍りがちです。
核燃料は一つとして取り出せていないのに、政府は元の地域に住めるようにすると広言しているし、それを人は根拠なく信じて生きています。
事故から数日後、テレビで「メルトダウン」という言葉を使った報道関係者に対して、専門家と称する人が、「メルトダウンというのは大変なこと。軽々しく使うんじゃない」としかりつけていたのに、実際はメルトダウンだったことが長く伏せられていたことをみても、報道は信じられないことがわかります。伏せていることが多すぎるのです。
3.11と直接関係はありませんが、最近気になっているのは、第二次世界大戦時の空襲への訴訟です。なんとも、ざわざわしてしまいます。
補償をもとめるということは、自分は被害者だと思っているからです。そして、補償を政府に求めるのは、自分は個人だったと考えるより、政府の庇護のもとにあった、つまり国と一体だったということを認めていることです。
ならば被害者だっただけでなく、戦争をはじめた責任を負っているし、海外に出て行って、関係ない人たちを苦しめた加害者でもあったということです。それなのに、その視点がすっぽりと抜け落ちていることに、ざわざわしてしまうのです。
イエメンやシリアの内戦は、代理戦争になっていますが、直接かかわっている国の背後にさらに多くの国がかかわっています。日本も例外ではありません。
銃や戦闘機という武器を直接製造していないとしても、レーダー、カメラ、ドローンなどが武器に使われています。NHKは、1台数千万円するような高性能のカメラで、私たちに様々なものを見せてくれますが、モデルチェンジしたとき、古い機種は海外に売られて、武器の性能向上に寄与していると聞いたことがあります。
日本が75年間戦場になっていないことを安堵するのではなく、戦場で苦しむ人々の痛みを感じながら生きたいと、改めて思います。
4 件のコメント:
震災から1年後の4月に大川小学校を訪ねました。校舎は被災時のままで天井は剥がれ落ち、家具は散乱していました。校庭の一角には、地蔵と祭壇が備えられていました。鯉のぼりも。同伴者誰もが言葉を発する事ができませんでした。
なぜ、裏山に避難させなかったのかと批判されますが、校庭に面する裏山は急傾斜で、幼い小学生たちを登らせるのは困難だろうと思われます。迂回して登れる道が有ったのかは分かりませんが、有ったとしてもかなり遠回りをするか、危険な道を進むしかなかったでしょう。校庭から登れる道を備えておけばと後悔しても遅かった。
reiさん
そうでしたか。
大川小学校のことを分析した『クライシスマネジメントの本質』という本が出されているのを知っていますが、なかなか読む勇気が出ません。
仙台の友人に、松島、石巻、女川、南三陸町と連れて行っていただいたことがあったのに、大川小学校には行きませんでした。
部外者で見もしないでああだこうだと言う資格はまったくありませんが、ほかの地域では、中学生が小学生の手を引いたり、お年寄りを励ましたりして高台に登り助かったなどという話を聞くと、残念だったと思ってしまいます。
教えて頂いてから時間が時間がたってしまいましたが「クライシスマネジメントの本質」読みました。春さんはその後お読みになりましたか。未だでしたら辛いながらも是非読んで下さい。(著者も涙を流しながら資料を読んだそうです)
以下、FBに書いた紹介と感想の一部です。
津波襲来時に学校管理下にあった88名の中で生き延びたのはわずか児童4名と教員1名の計5名。学校管理下の生存率はわずか5.6%という戦後の学校教育史上類を見ない惨事は何故起こってしまったのか。
震災後支援活動をしていた筆者が、大川小学校の事故で児童を亡くした親と出会い、何故事故は起こってしまったのか真相を知りたいとの遺族の願いに答えられたらとの思いから研究が始まった。
更に、学校、教育委員会、石巻市の「事後対応」の失敗と「避難場所と避難経路を定めなかった」組織的過失が裁判で認められ敗訴したにも関わらず、石巻市が女川原発の再稼働に同意するといった不条理がなぜ起こるのかに研究は及んでいる。
詳細な調査から本質行動学に基づき解明された内容は至極納得が行く。
「命を真ん中においたクライシスマネジメントができない人物を、決してリーダーに選ばない事」その判定基準は「組織の都合を優先しているか、一個人としてのまっとうな感覚を保持したまま個々が幸せに生きるために組織は存在するという事を忘れずにいるか」
コロナ禍の今、我が国のリーダーはこの基準を満たしているかどうか言うまでもない。
ああreiさん
まだ読んでいません。
ついつい現実から目を背けてしまっていて、心をえぐられる本は敬遠がち、読みかけで机に積んでいる本も少なくありません。
でも、読むことを約束します。今のコロナ対応も、クライシスマネジメントができてないということでは、ほぼ同じ状態ですものね。
ありがとうございました。
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