2013年4月23日火曜日

モン人の更紗


ゴールデントライアングルと呼ばれる、タイ、ラオス、ビルマの国境辺りに住むモン(Hmong)人の藍染めです。


細かい幾何学模様ですが、型を使うのではありません。


手書きで、蜜蝋を置いていきます(写真は『FROM THE HANDS OF THE HILLS』1978年、Media Transasia、香港より)。


へらであらかじめ布にグリッドを引いておき、そのグリッドに沿って、母親から習った模様や、自分が工夫した模様を、描いていきます。
蜜蝋は、インドネシアのバティク(更紗)と同じように、道具を使って置きます。
黒く見えているところが蜜蝋ですから、藍で染めてから煮て洗うと、蜜蝋が溶けて、白い模様になります。


細い線で囲まれた模様は、のちに別布をアップリケするときのガイドになったりします。


どうせ隠れてしまうので、最初から模様をつけないで空けてある時もあります。


これはプリーツスカートにする布で、昔は身体の幅の座機で織った、木綿や大麻の布を使っていましたが、機械織りの布が広く流通するようになってからは、広幅の木綿布を三等分して使います。
細くて長い長い布にしてから糊染めし、染めあがったら部分的にアップリケします。


染めあがった布は、裾布だけ接いで、糸を何段にも通して、細かいプリーツに畳んで、折り癖がつくまで、しばらく寝かせます。裾布は、細かい刺繍やアップリケを施した、華やかな布を使います。
じゅうぶん折り癖がついたところで、上に別布をつけます。



スカートは丈が短いので、寒い季節にはスパッツ(脚絆)を履きます。
その上に総刺繍の長い前垂をつけ、刺繍したブラウスを着て、銀の首飾りを何重にもつけたら、華やかなモンスタイルの出来上がりです。


蜜蝋染めとアップリケの組み合わせは、赤ちゃんのおんぶ紐にも使います。
模様で埋め尽くしているのは、どこからも悪いものが入ってこないよう、まじないの気持ちが込められています。


そんな古いスカートをばらばらにしてつくった、上着です。何度も水をくぐった藍染めは褪せて、いい色合いになっています。
これは手織りの大麻の布です。


これも、着古しのスカートを仕立て直したもの。昔スカートだったひだの跡が縞々に褪せて残っています。
 

近年(といっても30年前)、モンの染色技術や絵心に目をつけたNGOなどが奨励して描いたタペストリーです。
これは、90×180センチの大きな布に描かれているものの部分です。


刺繍も上手、染め物も上手なモン人たちは商売も上手で、「山の華僑」と呼ばれたりすることもあります。




6 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

春さんyoutubeでモーラムを聞いています。

昭ちゃん さんのコメント...

 ナムサダンも、、、
聞いたら感想を聞かせてね。

さんのコメント...

昭ちゃん
モーラムいいでしょう!あれって、浪花節と漫才と足して二で割ったようなものです。いつだったか、日本に定住しているラオス難民に聞かせようと、モーラムを招いて難民を招待する企画があったのですが、彼らは笑う笑う。もっとも、日本生まれの若い子たちは日本人と姿形が変わらず、受け付けは彼らから入場料を取ろうとしたり、私は「難民の方ですね。どうぞ」って言われちゃった(笑)。
ナムサダンはあとでゆっくり聞きますね。あのにぎやかさ、浮き浮きします。もとは、両班はナムサダンなんか歯牙にもかけなかったそうですが、両班生活も堅苦しくて嫌ですね。なんて、余所の文化をとやかく言ってはいけませんが。

さんのコメント...

昭ちゃん
掃除とか一段落してナムサダンを聴きました。ああ、やかまし(笑)。あの帽子のリボンが素敵ですね。
ケチャも4ビートと4ビートをいろいろ重ねると16ビートになって、トランス状態になるんですって。
その土地土地の音楽はどれも素敵です。
ところで、アザーン、モスクから流れるお祈りに来いという歌(?)も、南伝上座部仏教のお経も大好きです。音楽じゃないけれど。

昭ちゃん さんのコメント...

 さすがー春さん解説をありがとう。
ついでに「両班・ヤンパン」懐かしいです。
戦後の炭鉱はハングル語が一杯残っていましたが、
悪い言葉が多くうかつに使えません。
「ヤンパン」はいわゆる文武両道のお偉いさんですよね。

さんのコメント...

昭ちゃん
そうです。お偉いさんです。でも日本の武士もそうだったようですが、名誉心はくすぐるけれど、内実は質素、質素。固くて、固くて、大変そうでしたね。
お江戸の庶民が将軍様よりおいしいものを食べていたというのも笑えますが、両班の妻なんて、死ぬほど大変だっただろうなって(笑)。
韓流のドラマに出てくる女性はきらびやかで、好きなことやっているようですけれど(笑)。