2013年7月15日月曜日

新しいビルマの籠

春休みに、姪の娘みおちゃんが、ビルマ人の友人を訪ねてビルマに行きました。
「おばちゃん、何か欲しいものある?」
「そうねぇ。これと同じ籠があったら欲しいかな」
と、あの壊れた籠をみおちゃんに見せました。 


みおちゃんはケイタイで籠の写真を撮り、寸法を書き込んで行きました。

1981年、私がこの籠を買った時は、市場のはずれに積んであったものでした。
ありふれた籠のようでしたが、なにせ昔々の話です。それに、当時はタイに住んでいましたが、あのあたりでは、日本よりも同じものを見つけるのは、至難の業でした。行商人だけでなく、お店ですら、気に入ったものは見かけたときに買わないと、二度と出逢わないのがあたりまえでした。

当時のビルマは鎖国状態でした。
首都ラングーンでさえ、1945年以前に建ったと思われる建物しかなく、町全体が朽ちかけて、煤けていました。
道も、かつては舗装されていたのに修理されずに穴ぼこだらけで未舗装より始末が悪い状態か、あるいは未舗装で、今のビルマからはたぶん想像もつかない、さびれたところでした。
大きな社会変化を経験したところですから、みおちゃんにはお願いしたものの、ほとんど期待していませんでした。

だから、みおちゃんから、
「籠が見つかって、買ったよ」
と電話をもらったときは、びっくり。大喜びもしました。

それから、なかなか会う機会もなく時が過ぎ、昨日やっとみおちゃんが遊びに来てくれて、籠と対面しました。


その籠がこれです。
蓋のデザインが違いますが、ビルマだって広い国、地域地域でスタイルが違って当たり前、むしろよく似ていると言えるでしょう。

みおちゃんがビルマ人たちにケイタイの写真を見せて、
「これが欲しい」
と言ったら、どこでも大爆笑だったそうです。
日本から来て、わざわざ籠を欲しがるのがおかしいのと同時に、この籠は「パア」と言う名前で、「パア」には、「娼婦」という意味もあって(字が違う)、それで二重に笑いを買ったのだそうです。
 

「市場に積んであった?」
「ううん。小さいのは見たんだけれど、もっと大きいのが欲しいって言ったら、店の奥から出してくれた」
三十二年の時を飛び越えて、ほぼ同じ籠が手に入るなんて、すごいことでした。

以前、タイの家具屋さんにラタンの椅子を発注した時は、三十数年前にはごくありふれたデザインだった椅子は、すでにバンコク全体から消えていて、つくれる職人さんもなくて、写真を送ったのを見てつくってくれたものは、似て非なるものだったことがありました。
三十二年は、侮れない年月です。
 

ところで、いよいよ処分かと思っていた壊れた籠ですが、蓋の編み方が違うからか、どうしても捨てる気にはなれません。捨てたら後悔しそうです。

八月末には、またみおちゃんはビルマに行くそうです。みおちゃんは、日本で難民や難民認定されていない人を支援する活動をしているので、ビルマ、スリランカ、ハンガリーなどいろいろな国に、お友だちがいっぱいいるのです。
さて、今度はココヤシかパルメラヤシの葉を少し持ってきてもらおうかしら。そうしたら、壊れた籠を修理することができます。


4 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

 春さーん質問です。
近年船で脱出するいわゆる難民の話題がありませんが、
オフレコなのか、
「まあこの程度なら以前よりいいかっ、」
となったのか、いかがお考えですか。

さんのコメント...

昭ちゃん
ボートピープル、ヴェトナム難民のことですね。今は昔より容易に海外に行けるし、ドイモイでヴェトナムも変わりましたから、ないと思います。ただ、北朝鮮からの密航船など、今もありますよね。
海ではなく陸伝いでしたら、今はシリア難民が話題になっていますが、長い間戻れないパレスチナ難民を筆頭に、イラク難民、ビルマ難民、ソマリア難民、スーダン難民など、紛争のあるところにはどこにでも難民が今でもいます。
昔一緒に暮らしていた旧ユーゴスラビアでも、一旦民族紛争が起こって以後は、独立して平穏になっても心のしこりはなかなかとれず、お互いに憎み合っているようです。難しいものですね。

昭ちゃん さんのコメント...

 春さん早速のご返事ありがとうございます。カギコメ欄がないので直接本題に入りごめんなさい。
 地続きの国境を持たない我々は恐怖感を体験できませんね。
68年前分割統治の話もありましたが、、、。

さんのコメント...

昭ちゃん
国境を接していないことは、いいこともあれば悪いこともあるでしょうね。疎遠な分、おつき合いの仕方を知らないということもあるでしょうから。
日本にも分割の話があったように、民族紛争はつくられた感情です。歴史的に見れば異文化同士の衝突は形としてはずっとありましたが(外敵をつくると内部がまとまるような形で)、でも基本的には持ちつ持たれつだったことは確かでした。
それが民族紛争をあおって民族主義に走るというのは新しい方法です。
あまり知られていませんが、パレスチナでも、昔はそこに住みたいというユダヤ人を温かく迎えていました。でも力で占領されると、占領された方には憎悪が、占領した方には恐怖がつきまといます。それがこじれこじれてくるのですね。
世界はいつまでも不平等ですが、TPPなど枠を外したりつくったりすることの隙間で、大儲けする国家や人がいる限り、延々と続くでしょうね。
鍵コメなくて、ごめんなさい(笑)。