2013年7月7日日曜日

失せものは見つからなかったけれど

失せもの探しは、時間だけでなく、気力も消耗します。
昨日は、あるはずの本、しかも複数あるはずのものを、隅から隅までさがしたのに、とうとう見つかりませんでした。

でも、さがしていなかったものが、見つかったりしました。
その一つ、カンボジアのおばあちゃんが、絹の布を織っている写真です。


我が家に遊びに来る人たちから、
「これは何ですか?」
と、よくきかれるものの一つに、織物の道具の筬(おさ)があります。

織り機は広げる場所も余裕もなくまだ倉庫の中、実際に筬をどう使うかお見せすることもできませんが、写真は知ることの一助ともなります。
手前の白い糸でできているのは綜絖(そうこう)という、経糸(たていと)を上げ下げするもので、その奥に、左に見える紐で吊るしてあるのが筬です。

そして、おばあちゃんが手に持っているのが、あのカンボジア独特の杼(ひ)です。 
珍しい形の杼ですが、今も生きた道具であることがわかります。よく見ると、杼は竹でできているのではなく、プラスティックでできているようです。カンボジア独特の、しかも手織り用の杼が、プラスティックと言う新しい材料でつくられているというのもおもしろいことだと思います。
ちなみに、周辺国のタイやラオスでは、よくある形の杼を使っています。


ラオスの人からいただいた、織り物のセットも見つかりました。手前に織り上がった布の切れ端が見えますが、これはこうやって残すために余分に織ったものです。
筬の幅が狭いのは、ラオスの民族衣装である腰巻、「シン」の裾模様を織るためのセットなのでしょう。

ラオスの織り物の特徴は、平織りや綾織りではなく、「模様綜絖」を使った紋織りが多用されることです。
平織りや綾織りに比べると複雑な紋織りの、複雑な経糸通しを避けるため、一枚の布が織り終わった時、必ず経糸を筬や綜絖の前後に残しておきます。
そして、同じ模様で新しい布を織りたい時には、残しておいた経糸に、新しい経糸をつないで、綜絖をくぐらせ、筬もくぐらせて、機にかけて織りはじめます。
だから、ベテランは幾つもの織り物セットを持っています。
 

さて、しまっておいた織り物セット、劣化したゴム輪がその長い年月を物語っています。
ゴム輪をはがし取り、



手前に寄せたのが、筬と布(この場合は平織り)を織るための綜絖です。
普通の綜絖は踏み板とつないであり、踏み板を足で踏むと、糸が一本おきに互い違いに上がったり下がったりするようになっています。


模様綜絖は長くつくってあります。
普通の綜絖のように上から吊らず、ただ経糸を通しただけで遊ばせておきます。
というのも、普通の綜絖は足で踏み板を踏んで経糸を上下させる仕組みですが、模様綜絖に一々踏み板をつけるとなると、大きな模様だと踏み板が何枚あっても足りません。
 
模様をつくるためには、綜絖を手で持って持ち上げ、できた隙間に刀状の板を立ててから、緯糸を通します。


そうやってできた紋織の布です。
これはパヴィエン(ショール)ですが、このパターンのところだけでざっと数えて80枚もの模様綜絖が必要、もっと大きい模様もあるので、模様綜絖どれだけ必要かを考えると、気が遠くなります。

模様綜絖は、使ったものから手前に引き寄せ、すべて使ったら今度は向こうにやるので、この模様で言えば、80枚と言うのは、パターンの半分で、模様はシンメトリーになっています

 
ただ、この織り物セットは、模様綜絖の数が数枚と少ないので、こんな模様を織るのではないかと思います。
これは、絣の一部に紋織りをした、シンですが、普通は別に織ってつなぎ合わせます。


シンとして身につける場合には、このような裾模様になります。


この、抜けないようにくくってある黒い糸が経糸のもう一方の端です。


このセットさえ持っていればどこでも紋織ができるので、かつて、とるもとりあえず、着の身着のままで逃げた難民の中にも、織物セットを何種類か携えて来た人がいました。そんな勤勉な彼女たちは、タイにあった難民キャンプでも織り物をして売り、少しでも手持ち資金を増やそうとしていました。

そんな人たちは、アメリカ、フランスなどに定住したあとも、冠婚葬祭には、伝統衣装のシンを身につけることもあるので、織り物をしていると思いますが、その地で生まれ育った子どもたちにとっては、何ほどの価値も持たず、やがて彼の地では忘れ去られていくものなのでしょう。



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