紙で人の形をつくり、それに名前や年齢をかき込んで神前に供え、祓いの式を行ってからそれを焼いたり、海や川に流す風習は、日本各地で古くからおこなわれていました。
紙の「ひとがた」は、やがて無色から有色になり、男女の区別もつけるようになり、雛へと変化して行きました。
足利の末期から桃山時代にかけ、雛遊びは雛祭りへと進行して、ある様式を示すようになりました。
男女一対の立ち雛がつくられるようになり、やがて江戸時代に入ると、様々な趣向を凝らした座雛がつくられ、壇飾りへと進行し、人形の数が増し、今日に至っています。
和歌山県新宮市熊野速玉大社の「なぎ人形」は、厄除けの人形です。
そして、宮崎県青島神社の「神ひな」は、やはり祓い人形ですが、「ひな」という名前もついているので、厄除けとお雛さまの境目あたり、そして鳥取県や奈良県吉野川の「流し雛」は、お祓いをした後川に流すものですが、お雛さまのはじまりと言ったところでしょうか。
なぎ人形は、熊野速玉神社の境内の、平重盛が植えたとされるナギの老木の実を頭にしてつられています。
ナギの木はイヌマキ科で、日本では紀州、土佐、南九州、南西諸島など暖かい地域に分布し、台湾、南中国などでも見られます。
ナギは宮崎県や和歌山県では神社などによく植えられていて、ナギが(穏やかな)凪に通じることから、古くから家内安全や和楽の信仰がありました。
ナギの葉は縦の繊維が強くて切れにくいので、宮崎県では結婚の時に夫婦の縁が切れないようにと、箪笥に何枚かのナギの葉を入れておく
風習があったそうです。
また、熊野詣おりに、人々は参拝のしるしにナギの小枝を手折っていました。
なぎ人形の後ろには、
千早振る 熊野の宮の なぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ折る 定家
書かれています。
神ひなは、青島神社の授与品で、古くは安政年間(1860年頃)の記録にも載っています。
青島神社の神ひなは、ひとがたをつくり、それに人々の災厄を負わせて罪穢れを祓った古習をよく伝えているものですが、九州にはほかにも、福岡県甘木の八朔雛、鹿児島県の薩摩糸雛など、なかなか興味深いお雛さまが残っています。
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