2015年3月10日火曜日

砕石


土間コンクリートを打ったり、アスファルトを敷くために土を平らに均す作業は、二日ほどで終えました。
土を動かしていると、いつもカンボジアのポル・ポト時代の強制労働の話を思い出してしまいます。


カンボジアはメコン川の下流域にある、平らな国です。雨季と乾季の水位が8メートルも違い、乾季には水が不足しますが、雨季にはそこいらじゅうが水に沈んでしまいます。

 
上の地図の、灰色の部分が、雨季に水没する地域です。国土の三分の一ほどでしょうか。
古来、この地の人々はそんな風土を利用して、雨季のはじめに稲をつくるところもあれば、雨季が終わって稲をつくるところもあるというふうに、その土地の条件に合わせて、異なる季節に稲作をしてきました。
また、乾季には田を耕す人々が、雨季には漁を獲る人々になる地域も、当たり前に見られます。

ところが、ポル・ポトは水の制御を夢見て、全土に1キロおきの縦横まっすぐな用水路を掘ろうとしました。そのため、みんなを強制労働につかせたのです。
元同僚の女性は、最初は少ししか土を動かせなかったけれど、やがて一日に6立米も動かせるようになったと言っていました。
私は二日で、それでも1立米くらい動かしたでしょうか。私の二日は、正味にすると10時間くらいですから、彼女の一日分で、比べると彼女の約六分の一(以下)の仕事しかやっていません。
しかも、彼女のスコップは、もしかしたら木でつくった使いにくいものだっただろうし、カンボジアの土は、有機質の少ない、硬い土です。
さらに、土はもっこやラタンで編んだ箕で運んだはず、しかも長距離を運んだはず、そして休みもなく毎日だったのだから、食べるものも満足になかったのだから、もちろん、大変さは比べものになりません。
当時、みんな月夜が嫌でした。というのは、月の明るい夜は、寝る時間を削って、夜も働かされたからでした。

2000年ごろまで、飛行機から見ると、ポル・ポトの用水路は、東西に碁盤目状に、くっきりと見えていました。
部分的には、今も利用されているところもありますが、ほとんどは、平らにされて畑や田んぼとして使われていたり、崩れたりしていて、今はもうほとんど消えました。
空からも、グリッドは見えないのではないかと思います。


さて、整地したら、次に砕石を10センチ弱の厚さに敷いて、下地をつくります。
砕石置き場から、ネコ(一輪車)で運んで、ぶちまけて、均します。
ネコは優れもの、あまり重さを感じませんから、重いものが持てない私でも、悠々運べます。もっことは大違いです。


それにしても、砕石を掘っては運ぶのは、あまり面白みのない仕事です。
ときおり、暗灰色の石の中に、真っ白な石英が混じっていのが面白いくらいです。


砂利だったらずっと楽しいと思いますが、砂利を敷いても締まりません。

バングラデシュは、ガンジス川の河口地帯にある国なので、全土は堆積した土でできていて、石がありません。
道路にしろ、建物にしろ、建設事業には砕石が不可欠です。下地として敷くのに必要だし、セメントには砕石と砂を混ぜないと、コンクリートができません。
そのため、土を焼いてレンガをつくり、それを様々な大きさに砕いて、砕石の代わり、砂代わりに使っています。
首都ダッカから伸びる幹線道路わきには、そんなレンガ工場がたくさん建っているのが見えます。


石のないバングラデシュに比べると、石のあるありがたさを感謝しなくてはなりません。
石屋さんに持って来てもらったこの砕石は、近くの龍神山から掘りだした石でしょうか?
山向こうの新治では、成田空港建設時に、砕石を取るために、山が一つ消えたそうです。龍神山も、真ん中がなくなっています。
そんな、たいせつな、山を削った砕石を使っているのですから、楽しくないなどと言わずに、しっかりつき合いたいものです。






4 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

 なかなか考えされられるお話ですね、
自然と共に生活をしていた時代が日本にもあったわけですからねー
 古代エジプトでシリウス(オリオンの下にある一番明るい恒星)が昇ればナイル川が氾濫し、肥沃な土がくるとか。
 ポルポドの功罪も知りたいなー
でも短絡したコメントがくるので、、、、。

さんのコメント...

昭ちゃん
ポル・ポトは自立した、食料は自給できるほどの、西欧文明とは別な文脈の豊かな社会を目指そうとしたのだと思います。でも、方法は間違っていました。人々を労働力として強制的に働かせたのも間違えていたなら、メコン川のリズムを無視した用水路計画も間違えていました。彼は、知らず知らずのうちに、自然と呼応するという大切なことを忘れて、やはり近代主義的な考えでことに当たったのです。致命的でした。
虐殺はともかくとして、今でもメコン川の営みを無視した、ダムをつくって水を制御しようとするような、「自然を読んでいない」計画は、海外からの援助(と称する金儲け)を中心に目白押しです。
その点、昔の人は偉かった。アンコールワット時代の治水は、聖なる用水地からはじまって、少し低くなって沐浴などの池、そしてさらに下がって生活水のための大きな池がつくられ、大きな池は今でも残っています。そして、確か10キロで高低差がたった1メートルくらいしかない土地をうまく灌漑しながら広域を潤すという、大灌漑用水がつくられました。それを今でも使っているんですよ!すごいでしょう!

昭ちゃん さんのコメント...

 ヒヤ!!ー
さすが春さんヨイショ抜きで納得です。
 余談ですが、
新宿に「コーシカ・子猫」と言うロシアバーがありました。
同窓会の三次会用で近年永い歴史を閉じたとか、、、
大ママさんは帝政ロシア時代が懐かしいとか、革命以降の暮らしが変わったのでしょーね。
人それぞれの時代を感じます。


さんのコメント...

昭ちゃん
藪から棒になんですか(笑)。私の中学の同級生にもロシア系の人がいましたが、日本に逃げてきた人たちは、帝政ロシア時代にいい思いをしていた人たちじゃないですか?だから革命でいられなくなったんですよ。懐かしがっていたって、あんまり同情しちゃ、ダメですよ(笑)。
そう言えば、大鵬もロシアの血が混じっていたと思いますが、あんまり話題になりませんね。昨今の、相撲の「日本人力士の横綱が欲しい。優勝が見たい」コールは、実に見苦しいですね。朝青龍や白鵬に感謝しなくっちゃ。話がもっと逸れてしまいました(笑)。