2015年7月14日火曜日

野良着

 
出かけようとして、ちょっと肌寒いかなと思うとき、迷わず羽織るのは、丈の短い野良着です。
以前はどちらかといえば、長い、コートのような丈の上着が好きでした。
でも、生活が簡素化した(おしゃれしなくなった)いま、優雅に長いものは邪魔くさいのです。
 
型で染めた藍染め木綿に、絣の襟を掛けた野良着は、20年ほど前に、東京の湯島天神下にあった、たまいさんのお店で買ったものです。古い着物屋さんでしたが、ときおり刺し子の野良着など、おもしろいものが置いてありました。

この、袖を通した跡がなく、ずっと箪笥にしまっていたとみられる野良着は布に張りがあります。そして、羽織ると見た目より暖かいのです。

それにしても、まっすぐな短い袖は、あまり見ない形です。
『仕事着-東日本編-』(神奈川大学日本常民文化研究所調査報告 第11集、平凡社、1986年)で、どの地方の野良着か調べてみました。

『仕事着』には、各県の各地域の作業着の形や呼び名や、使われ方が載っています。一県で5000点ほどの仕事着を検証したというのですから、膨大な作業です。
 
上から、モジリ袖、マチつき筒袖、筒袖

それを見ると、筒袖の場合も、多少斜めになっていたり(上の写真の一番下)、脇の下に三角形(正方形の布を斜めに折ってあてる)のマチの入ったものがほとんどです。
他には、袂袖(たもとそで)や、モジリ袖があり、モジリ袖は下着より上着に多く見られます。

 
そんな中、私の持っている野良着と同じ、短い、まっすぐな筒袖の野良着は、宮城県の中南部山麓地域にだけ見られた、ハダコと呼ばれたものでした。
宮城県では、広域にわたって、男女とも着用するハダコが見られましたが、中南部以外の地域のハダコは、袖の形が違っています。

 
型染めの布はどこでつくられたものでしょうか?
蝋で防染して藍で染めてありますが、蝋はよく裏まで浸み込んでいます。


もう一枚の、絣の野良着は、15年ほど前に、益子の骨董屋さんで買ったもの、着古されて、布はくたくたと柔らかくなっています。
柔らかくて、着ているのを忘れるような着心地。もっぱら普段着として、ちょっと寒い時羽織ったり、Tシャツ代わりに着たりしています。


紐がついていますが、左右でつけ位置が違うところは、着てみて位置を決めたものでしょうか。
前見ごろの下の方に織り目があること、織り目の上下の色が違うことなどから、着古した着物を仕立て直したものか、あるいは古着を買って仕立てたもののようです。


外側の方が色褪せていて、襟の裏はすでに擦り切れているので、古着を仕立て直しただけでなく、野良着としても着こんだもののようです。

これは、『仕事着』を見ると、栃木県各地に見られる、遠州木綿でつくられているヤマッキと呼ばれるもののようです。


古い布を野良着に仕立てたのに、さらにもう一度何かに仕立て直すつもりだったのでしょうか、裏返して見ると、袂袖の袖下は、余分な布を切らずに、きれいに均して綴じつけてあって、昔の人の始末のよさが偲べます。

東北地方に、木綿の古着が出回りはじめたのは、明治27年(1894年)だそうです。
それまで、麻しかありませんでしたが、木綿以後は、布を重ねた刺し子などに加えて、裂き織りや綿入れなどがつくられるようになり、東北の冬の野良着事情は、飛躍的に暖かさを増したようでした。






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