ずっと昔に、『メコンに死す』 (ピリヤ・パナースワン著、めこん、1987年)を読んで、その概要は知っていましたが、あまりのむごさに呆然としてしまいます。
『モン』はまだ読みはじめたばかりなので、それについての記述は後日に譲るとして、モンの人々がまだ平和に暮らすことができていた時代の布を取りあげてみたいと思います。
ちょうど、木綿の手織り、藍染めのチェニックを着ると気持ちよい季節です。
あるとき(20年ほど前)思いついて、手元にあったモンのリバースアップリケを五枚接いで帯状にした布を、背中に縫いつけて、背守りとしゃれました。
以来、何度もの洗濯にも、傷んだりほつれたりしている様子は全く見えません。丈夫なものです。
リバースアップリケとは、色の違う布を重ねて、上の布を切り、下の布を見せるアップリケで、エクアドルのモラが有名です。
なかなか細かいのだけれど、刺した人の腕がいいとは言えないかもしれません。線がぎくしゃくしています。でも、それが味になっています。
同じ帯の一部ですが、こっちの方がよくできています。
習いたての女の子が、少しずつ腕を上げたのか、それとも桃色の方はお母さんがつくってくれたものかもしれません。
渦巻き模様には、魔よけの意味があります。
Peoples of the Golden Triangleより |
背守りは、モンの人たちは、セーラー襟のように背中につけました。
Peoples of the Golden Triangleより |
もろい存在である幼児の帽子にも使いました。
Peoples of the Golden Triangleより |
四枚接いだり、五枚接いだりして帯にしたものは、前垂に使ったり、前垂の前に垂らしたりしました。
やはり背守りです。
モン人は、氏族グループで村をつくって暮らすことが多かったのですが、氏族の違いによって、住む地域の違いによって、民族衣装は、色、形、刺繍などが少しずつ異なっていました。
リバースアップリケの四枚つなぎの布は、チェニックの背に貼りつけたものに比べると、数段腕のいい人がつくったものです。
もっとも、上手なのが魅力的かどうかは判断が難しいところで、稚拙なものには、稚拙なりに味があります。
灰緑色の布と、サーモン色の布の上にクリーム色の布を置いて、リバースアップリケをし、空いたところには、二色でステッチがしてあります。
なんと小さな針目!
クリーム色の布(上の布)の渦を巻いている部分の細さを見ると、この中に布の切り端を折って縫い込んであるのですから、ため息が出ます。
2 件のコメント:
おはようございます。
数年前、初めてモン族の刺繍というのを見て、世の中にこのようにすごい手仕事があったのか…と感動し、何だかそのうち無くなってしまうような気がして、モン族の刺繍の古布のバッグというのを買ってしまいました(使えないですけど…)。しかし、春さんのブログを見るまでは、そのような歴史があったのは知りませんでした。
学校の家庭科(好きじゃなかったですが)で習うのは西洋の刺繍ばかりで、ステッチも全部英語名だし、そのようなものだと思い込んでいました。偏りがありますね、でも西洋の刺繍の方が初歩段階は易しいのかな?日本刺繍はむちゃくちゃ難しいみたいだし…。
アジアの手仕事は量的には西洋をしのぐのか、いや東欧の手仕事もすごいしな…、。と、とりあえず「アジアのかわいい刺繍」とかいう本を買いました。
この逆アップリケも見事ですね。あまりに巧緻で、先の稚拙な方に親しみを覚えますが。(^^)。
karatさん
モンだけじゃないです。イコーもリスも、カレンもヤオもみんな手仕事がすごいです。35年前に、彼女たちの手仕事を見て、私は自分のものづくりをやめてしまったくらいですから(笑)。
今でも、モン以外の人たちに売れるからと、物語のような刺繍をしたり、西洋社会に定住した人たちに売れるからと民族衣装をつくったりしていて、手仕事そのものはなくなっていないようですが、変質しています。自分を表現する手段として刺繍していたのと、売るためでは違ってきて当然ですが。
私は以前、『世界のかわいい刺繍』という本を買いましたが、そうかわゆくなかったです(笑)。それにもモンの物語刺繍は載っていましたから、『アジアのかわいい刺繍』にも載っているでしょうね。でも物語の刺繍が難民キャンプで生まれたのは、1980年代、その前の、自分のために刺していた刺繍の方が面白いと思います。
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