2016年8月16日火曜日

鷲神社

トンネルを抜けた筑波山系の向こう側、新治の鷲神社のお祭りは、8月15日です。
この日は、たくさんの地元の人がつくった打ち上げ花火があげられ、からかさの形をした仕掛け花火でクライマックスを迎えます。

一年でこの日だけ、花火玉でつくったお守りも授与されます。
その、お守りを目当てに、昨日は午前中に鷲神社に行ってみました。


地上と天上を結ぶという幟には大正12年と記載があります。もう90年以上使われているのです。

かつて農地は、水を引いてこられる低いところだけが田んぼされ、田んぼににならない土地が畑にされました。
このあたりは、平坦な土地ですが、田んぼは少なくて、ほとんど畑です。畑の広がる村の人たちは、日照りに悩まされ、雨だけが頼みの綱で、毎年「雨ごい」をしました。
それが傘の形をした仕掛け花火、「からかさ万灯」のはじまりです。その背景には、畑作だけで生計を立てるのが難しいので、副業で花火をつくっていた農家がたくさんあったこともあったようで、男性は青年団に入る年ごろになると、まず、村秘伝の花火づくりを学んだと、村の方が教えてくれました。

花火は1543年に、鉄砲の火薬とともに日本に伝来しました。そして江戸時代になると、豊作祈願や悪疫の退散祈願、慰霊などのために、各地で打ち上げられるようになりました。


前に来た時は気がつきませんでしたが、石の鳥居(明和五年建立)の注連縄の上に、水桶の形のわら細工が飾ってありました。初めて見るものです。
傘の形の花火といい、水桶のわら飾りといい、切実に雨を願う村の人たちの気持ちが表れています。


また、境内の古い石像に竹筒を下げているのは、やはり雨水を大切にするという気持ちなのかなと思いました。

 
 

鷲神社は二つの村で維持していて、からかさ万灯は、約250年前の江戸中期から行われています。


社殿の中に、丸いものがいっぱい供えてあります。
これが花火玉でつくったお守りです。


夜も行ってみると、朝とは違って、家族連れや若い人たちで大賑わいでした。


子どもたちは、金魚すくいもスーパーボールすくいも射的も慣れたもの、楽しそうに遊んでいましたが、私たち花火が上がりはじめたころ帰ってしまって、からかさ万灯は見ませんでした。二人とも、「見てやる」という根性が足りないのです。


神社の栞に載っている、からかさ万灯の写真です。
直径5メートル、高さ6メートル、周りには綱が張られ、三脚を立てて大きなカメラを構えた人たちがたくさん待ち構えていましたが、彼らはいい写真が撮れたでしょうか?
神社で会った、旧知の鍛冶コジさんが撮った動画をフェイスブックで見ましたが、上部は遅れて点火、火が消えたら、待ち構えていた人たちが下部に見える花を取りに、我先にと群がっていました。


これが、花火玉でできたお守りです。もちろん、火薬は入れてありません。


紙のテープで上下をしっかりとつないであります。


余談ですが花火玉つながり、香川県高松の、花火玉に漆を塗ったサラダボウルです。


軽くて丈夫で、紙の質感がなんとなく感じられる大好きな器です。








2 件のコメント:

のら さんのコメント...

つくばに住んでいた時、このからかさ万灯見に行った記憶があります。雨乞いの神社だという話も聞いた覚えがあります。花火玉のお守りや竹筒の奉納は覚えていないけど。今まで思い出すことも無かったのに、何だかとても懐かしい気持ちがします。

さんのコメント...

のらさん
筑波からの方が近いですものね。とってもきれいなのに、見ずに帰ってしまいました(笑)。
竹筒は、お祭りめがけて行ったら、絶対見られません。夜で暗いし、鳥居の外にも内側にも屋台がずらっと並んでいて、その後ろの屋台の人に踏みつけにされそうなところに並んでいます。
のらさんは、石岡のお祭りも見た、からかさ万灯も見た、それなら八郷の西光寺にも行ったことがあったのかな?筑波に住んでいたころ、友人が「山の向こうに清水寺のような舞台のあるお寺がある」と言っていたのに、遠い世界の話のように聞いていただけでした(笑)。まさか、そこに住むとは、当時は夢にも思っていませんでした。