2017年3月22日水曜日

北ルソンの籠

骨董市で、まことさんの店の前に、フィリピンのルソン島北部のものらしい籠が置いてありました。
近づいて見ると値札がついていて、目の飛び出るような値段が書いてありました。まことさんがつけた値札ではなくて、元からついていたもので、しかも展示会に出品されていたのか、売約済みの赤いシールが貼ってありました。

北ルソンの籠が、こんなに高いかな?もしかして、もっと手に入りにくいところの籠かな?
まことさんに訊いてみました。
「あれは、中国の籠なの?」
中国の少数民族のつくる籠の中には、まだまだ私のまったく知らない籠があるかもしれないと思ったのです。
「ううん、中国じゃなかったなあ」
「じゃぁ、やっぱりフィリピンの籠だ」
「そうそう、フィリピンだ。 買ってくれない?」
と、言ってまことさんが提示した値段は、なんと、値札の24分の1でした。

15年位前まで、北ルソンの籠は日本にはほとんど出回っていませんでした。マニラでも1980年ごろは見なかった、マニラで見かけるようになったのは、1990年前後ではなかったかと思います。
だから、まだとても希少だったころ、日本で値札に書いてあった金額で売られていたとしても、不思議ではありません。
でも、まことさんの言う値段では、マニラはもとより、北ルソンの街バギオまで行っても、この籠は買えないに違いありません。

「ちょっと、大きすぎるなぁ」
「どこか、置き場所はあるでしょう」


というわけで、北ルソンの背負子がやってきました。
ループが二つついていますが、そこに綱を通して、肩に乗せたり背負ったりして使います。
北ルソンの少数民族の人たちは手仕事に長けていますから、誰でも自分で使う籠くらいつくれますが、それでも村に一人や二人、とても上手に編む人がいます。 そんな人が編んだのでしょう。美しい籠です。
この形は、カモテの籠と似ていますが、とても細かくつくられています。


底はほぼ正方形に見えますが、経緯(たてよこ)同じ数の材(ラタン)を使っていません。片方は全部二本どりなのに、もう片方は、二本どりと四本どりが交互になっています。なぜそうしたのでしょう?
もしかしたら、四本どりと二本どりが混じっている方が密に並んで、二本どりだけの方がその混じっている材を抑える形になるので、全体が密に締まって、隙間が開きにくいのかもしれません。


胴は、底の四角い角から立ちあがっている部分で、経材(たてざい)を足しながら編んで、じょじょに直径を大きくしています。
かなりの技術が要りそうです。


縁では、きれいな正円になっています。


ラタンの表面は室内の火床の煙でいぶされ、煤がこびりついています。
たわしでごしごしこすって洗いましたが、煤はあまり取れませんでした。

この籠の故郷の北ルソンは、険しい山ばかりで、大きな平野はありません。そんな土地に、人々ははりついて、畑をつくったり、棚田とつくったりして、暮らしています。
段々畑の収穫物も、棚田の収穫物もすべて背負って、細くて長いあぜ道を運び降ろしたり、運び上げたりしなくてはなりません。
アメリカ統治時代に避暑地として開発されたバギオなど、大きい町からほかの町へは幹線道路が通っていますが、その道路まで、細い、坂になったあぜ道を数時間歩かないとたどり着かない場所に、家や集落が点在しています。
傾斜のきついところでは、かるいのように底が小さい背負子の方が、使いやすいのです。
 

背負子の籠に、居場所をつくってみました。


下からかすかに透けて見えるので、気をつけることはできますが、スズメバチが心配です。
スズメバチが入れないように、縁を壁にぴったりくっつけた方がいいかもしれません。







2 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さんフィリピンって小さい島が多いので
民族も多種多様でしょー
国際的にも問題が多い水域ですね。

さんのコメント...

昭ちゃん
フィリピンの民族構成は、様々です。確かに島によっても違いますね。昔は陸より海洋の交通の方が便利だったから、みんないろいろ行き交ったと思います。
文化人類学的に「マレー」とくくることのできる、似た文化を持っている人々がいるのですが、彼らは海洋民族で、その昔から小さな船で海に乗り出し、現在、台湾からマダガスカルにわたって住んでいます。フィリピンの北ルソンの人たちは、その「マレー」なのです。
私は、アニアニという稲の穂刈りの鎌を、インドネシアに行くたびに探していたのですが、とうとう見つかりませんでした。ところが、北ルソンで泊めていただいた農家で、私が農具などに関心を寄せるのを見て、「要らなくなったからあげる」とさし出された穂刈りの鎌を見て、びっくりしました。アニアニだったのです。
籠の編み方なども、北ルソンのものとマレーシア先住民のものは似ています。言葉については、私に知識はありませんが、その穂刈りの鎌のことを、北ルソンでも「アニアニ」と呼んでいたので、その人たちはタガログ語よりマレー語の方がわかりやすいかもしれませんね。