すごい!
こんな状態のいい火消装束はめったに見られないので、写真を撮らしてもらいました。
「いつまで使っていたんでしょうね?」
「明治じゃないかな」
これって、火消さんは、江戸時代と同じように、類焼を防ぐために、鳶口を持って、屋根に立ったんでしょうか?
こんな厚手の着物をどっぷり濡らして着れば、たしかに火の粉が降りかかっても、大丈夫そうです。
火消装束には刺し子のものも多くありますが、これは織りものでした。
緯糸(よこいと)が、とっても太い、裂き織りのような織り方です。
あれっ、しまった。後ろがまた素敵だったのに、写真撮るのを忘れました。
4 件のコメント:
家内の父がもっていたので昭和一桁戦前まで
「飯塚幸袋消防団小頭」
現場では着ていませんが、出初式などの行事写真には
但し上下のみですがかっこいいですよ。
昭ちゃん
これも実際の火事を経験していない装束でしょう。そうか、出初式なんかに来たのかもしれませんね。かっこいいですよね(^^♪
この辺りの集落でも、全戸が焼ける大火があったようだし、先日行った飯田でも大火があったようでした。昔は火事は本当に怖いものでした。
ドラマでは燃え盛る中を逃げまわりますが
熱風で消火どころではありません。
火の粉は雨の様に降り庇がらくるっと屋根裏に吸い込まれます。
熱風に吹かれると顔の出ている部分が焼けペロリと
皮がむけます。
(空襲体験記です)
昭ちゃん
はぁ、空襲はやり切れませんでしたね。
私はわりと頻繁に木の枝を燃やしたりしますが、大きくなった火は遠くからでも顔が熱く、風下なんて行けない時があります。焚火でそうですから、四方八方から火の手が上がったら、手の尽くしようがありません。
タイの山焼きの火が広がり過ぎて、木の枝で叩き消したことが、何回かありましたね。そんなときは人数頼みでした。
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