私は、20年前にナヤクリシー運動を進めている、バングラデシュのウビニクというNGOを、カンボジア人の同僚3人、意欲的な農業をしている農民5人とともに訪れ、10日ほどいろいろな活動を見て回ったことがありました。もちろん、M.Sさんの紹介でした。
ナヤクリシーは農民と農村の自立運動です。
バングラデシュはガンジス川の河口デルタに位置する国で、かつては雨季の洪水時にもたらされる肥沃な土を利用した農業をしていました。人口は多いし、地下資源もない、イスラム教徒が多く住んでいるなどから、イギリスからの独立のとき、インドはここを切り捨てても惜しくはなかったとも言われています。
食糧増産が目的とうたわれた「緑の革命」は、第二次大戦中に軍事目的で開発されたことに端を発した農薬と化学肥料、そしてそれに対応する種子を世界に定着させる運動でもありました。
いち早く緑の革命の波を被ったバングラデシュの人々は、それによって環境的にも経済的にも追い詰められていきました。
換金作物のジュートの単一栽培、乾季の地下水を使った野菜やコメの栽培、化学肥料多用などによる土地の硬化と塩化、さらに地下水の使い過ぎは、地中にあるヒ素を集めて、井戸水の汚染が起こったり、農村の生活は苦しいものになっていました。
ナヤクリシー運動は、在来の種や農法を大切に、自然のサイクルに沿った農業を取り戻そうというものです。
2001年にカンボジア人たちとバングラディシュを訪問したときの写真 |
NGOのウビニクは全国5か所にセンターを持っていて、さらに57か所ほどのナヤクリシーの村があります。ナヤクリシーの村とは、農民のすべてが農薬を使用するのをやめて、農民の80%(古いことで数字は正確ではありませんが)が化学肥料をやめると、「ナヤクリシーの村」と宣言できるというものです。
そんなナヤクリシーの村をNGOのウビニクは、種子銀行のつくり方、作物の育て方など相談に乗りながら、側面援助します。
毎日村を廻る、ウビニクの女性スタッフたち、2001年 |
地球上のどこの農村でも、グローバル化の波は避けがたく、地域の自立運動はともすればつぶされがちです。
NGOがどう頑張っても抗いがたいこともある中、ナヤクリシー運動はどうなっているだろう、ウビニクは健在かしらと、ときどき思っていたのですが、M.Sさんはなんと、昨年の暮れから今年のお正月にかけて、教えている高校の3年生の生徒二人を連れて訪問してきたというのです。
2019年の秋に、授業でナヤクリシー運動に触れたとき、
「もし、行ってみたい人がいたら、連れて行ってやるよ」
と言ったら、冬休み前に二人、今しかないのでどうしても行きたいと申し込んできたのだそうでした。
冬休みには航空チケットは高いだろうし、M.Sさんの家族はお正月を一緒に過ごしたいだろうから、
「安いチケットが取れて、おれの奥さんが同意したら連れて行ってやるよ」
と彼らに言い、まさかどちらもクリヤできるとは思っていなかったところ、彼らは往復11万円ほどのチケットを見つけ、M.Sさんのお連れ合いも、これから農業をしていく高校生たちのいい経験になるだろうからと、賛成してくれたのだそうです。
「わぁ、ウビニクの人たちはどうだった?」
ウビニクの中心になっている二人は、私とそう年が変わらないのです。
「元気いっぱいだったよ」
「ひゃぁぁ!」
ナヤクリシー運動は下火になるどころかますます盛んになっていたそうです。
センターの種子銀行 |
ウビニクの5か所のセンターには、在来種(もちろん、トウモロコシなどほかの地域原産の作物もありますが、地域で長く種取をしながら育てられた種のこと)の種子銀行がありますが、それぞれの村にも種子銀行があります。
密封して保管された種 |
種子銀行はメンバー(ということは全村人)に、植えたい野菜や穀物の種をただで貸し出します。
決まりは、収穫したときに借りた野菜や穀物の種子を返すことです。
種子の選別 |
種子銀行には、お米だけでも各村に100種類ほど、ナヤクリシー全体では数百種類あります。
その年の気候を見ながら植えつけしますが、各村の種子銀行間で種を貸し合ったりもします。
例えば、ある村では干ばつに襲われている、そんなときは干ばつに強い種を、いつも乾燥気味な地域から融通するといった具合です。
播種期に、誰もが欲しがらないで、貸し出せない種が必ず出ます。すると、各村で選ばれた15名ほどの人がその種を手分けして、責任をもって蒔き、収穫したものを種子銀行に戻します。
こうして、どの種も絶やすことなく、地域の種をつないでいくのです。
「とくに女性が生き生きとしていたよ」
「いいねぇ」
「一番気になるのは収穫物の販売だけど、これが全然問題がないの。村の市場で飛ぶように売れてた」
「すごいねぇ」
「ナヤクリシーの鶏肉は硬いし、卵は小さいんだよ。それでも普通の卵の倍くらいの値段がついていて、ナヤクリシーのから売れていくからね」
普通、有機農業を推進しても、販路の確保が一番のネックとなります。
「買っている人に、どうして高いのに買うのって聞いたら、ナヤクリシーの方が安全だし、それに美味しいっていうんだよ。バングラ人はしっかりしているねぇ」
長い夜、バングラディシュの人々は、タブラなどを叩き、一人で、あるいはみんなで歌を歌います。
その歌はろうろうと響き渡ります。ウビニクのセンターでも、そして村でも彼らは今でもいつも歌っているそうです。
さて、私が小林宙さんの『タネの未来』を読んだとき思ったのは、小林宙さんにバングラディシュの種子銀行のことを教えてあげたいなぁ、と思ったことでした。
それを思い出し、
「ねぇ、小林宙って知っている?」
と、M.Sさんに訊いてみました。
「あぁ、知っているよ。ある集会で会った。彼は基調報告をしていてびっくりしたよ。こんな高校生がいるのかと思って」
そうかよかった、小林宙さんと種子銀行がいつか結びつくかもしれません。
10 件のコメント:
姐さんチョット話がずれるけれど
盛んだったソビエトのコルホーズ方式を真似た中国の農業組織は
現在ではないでしょー
やはり農業は個人の腕次第で大きく伸びるし収入も。
古い話ですが、、、(笑い」)
昭ちゃん
個人経営で仲間がいるというのはいいことですよ(^^♪
ナヤクリシーは、メンバーになればそれで出費が減るし(農薬も化学肥料も買わないから)、土は柔らかくなるし、水はきれいになるし、作物はよく売れるし、相談員もいるし、共同作業しなくてはならないことは助けてもらえるし、とってもハッピーです。
中国の共同労働って、人民公社のことですか?
ありましたね。私が中国に行った1981年にはまだありました。政府のお役人に連れて行ってもらったから、成功例だと思うけれど、上海郊外のなかなか素敵な村でした。台所が死ぬほど美しくて(笑)。
郊外と言ってもそう遠くなかったから、すっかり消えてしまったでしょうけれど。
「密封して保管された種」の写真にある素焼き壺、興味深いです。上部だけ釉がかけられ底部分は素焼き、そして藁と土で固められたように見える台座。風通しの良いタネ蔵。どれも湿度調節を考えられた設えですね。在来種のタネについて、前回ご紹介いただいた小林宙くんの本、私もあのあと購入し勉強させてもらいました。そして多くの方にご紹介し関心のある方からまた波紋が。宙くんの活動今後も興味深いです。わたしも地方に出かけた時は在来種を気にかけるようになりましたがそういったタネを置く、昔ながらのタネやさんが少なくなりましたね。
hattoさん
日本だったら、友人たちは冷蔵庫や冷凍庫で種を保存していますが、熱帯の種保存術は大変、お見事です。
密封するのは蟻や虫などに食われないため、でも素焼きですから空気は通っているわけでしょうね。
宙くんは、種屋さんの種にこだわっていて、それはそれでとっても大切だと思うけれど、農家が持っていて、種屋に行かない種もあります。そのあたりを拾うネットワークができたら素敵だと思ってしまいます。
私は種取りをしている方たちから、在来種のカボチャ、トマト、キュウリなどもらっても、たいてい栽培に失敗して種をつなげませんが、うずら豆だけ、つないだり人さまに差し上げたりしています。
やはり難しいんですかね、春さんでもそうだということは。明治生まれの祖父母が田畑をやっていたころのタネが伯父の家の農小屋にまだ残っているのでは?と密かに勘ぐっている私です。三重県の飯南町という過疎レッドデータ地区ですので。衰退した農家の小屋には探せば多くのそれらのタネが眠っているような気がするのです。
hattoさん
私は口先だけで、作物はよく育てられません。作物愛が足りないのだと思います(笑)。
古代の種が生き返った大賀蓮の例はありますが、作物の種は次の年に植えないと発芽率が落ちます。長年放置すると落ち続けるので、そのためウビニクでは毎年蒔き続けて、種採りをしているわけです。
残念ながら、おじいさんたちの古い種はほとんど発芽しないと思いますよ。
それより、その近くでまだ在来種をつくっている農家があれば、そこから分けてもらって栽培するのが早道だとおもわれます。いろいろ見つかると楽しいでしょうね。
なるほど!そういうことですか。小屋のタネはダメなんですね。大賀ハスの種子を貰って私もそのことが頭の片隅にあったのですが。納得しました。ありがとう〜春さん。
種子銀行の発想、スゴイ!私なんて消費することしか頭にないから、例えばトマトを育てても食べて終わり。また来年は新しい苗を買ってしまいます。農業でも畜産でも、育てた後は一部を残してまた次を育てるが当たり前なんですね。
バングラデッシュやカンボジアの人たちの方が無農薬・化学肥料なしに対する意識が高いですね。見習わないと。
hattoさん
播種時期に蒔かれなくて古くなってしまったということが、種が消えてしまうとか、途絶えてしまうということにつながります。
だから、ウビニクでは種の存続のためだけにも、誰も借りなかった種を、誰かが責任を持って植えるということをしています。たいした労力だと思いますが。
hiyocoさん
いまhiyocoさんが食べているトマトやキュウリはおそらくF1種ですから、種採りはできません。苗を買う以外ないので、種を採らないで苗を買っているのは正解です。
有機農家が育てている野菜ですらF1種が多く、種から育てている人はごくわずかです。というのは、種を採るまで畑に作物を残しておくとすると手間はかかるし、広い農地を必要とします。でも耕作放棄地が増えている今、種採りは以前より楽になったといえるかもしれません。
これからは、世界的に遺伝子組み換えのGM品種を普及しようとする流れになっていますが、そうなると日本でも各戸での種採りは法律で禁じられ、世の中にGM品種しかなくなってしまうというのが、小林宙さんの警告していることです。
タイでは市場の多くの鶏肉はブロイラーになり(地鶏は成長までに6か月かかるが、ブロイラーはたった29日)、抗生物質を使い過ぎで検査ではねられたなど、出来損ないの肉や卵が国境からカンボジアに流れてきています。なかなか油断できないのです。だからカンボジアの意識の高い人はできるだけ鶏卵を食べないでアヒルの卵を食べるなど自衛していますが、とても難しい問題です。
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