2021年7月24日土曜日

バンドリ

たった一つですが、ずいぶん前からバンドリを持っています。
1980年代に、益子の古道具屋さんで買ったものだったと思います。
昨日、バンドリの話が出たので、以前きっとUPしたはずのバンドリの記事を出そうと、「八郷の日々 バンドリ」で検索したのですが出てきません。
これまでも、古い記事が見つからないこともあったので、しかたなく、ブログアーカイブの民具という項目の、過去の記事697個をくまなく見返したのですが、ない。
そこで、これまで、バンドリをUPしたことはなかったことに気づきました。


というわけで、私の持っている、バンドリです。
バンドリとは、ものを背負うとき、背中が痛くないように緩衝材として当てたものです。腰のあたりにあたる部分を分厚くしてあるので、重いものを運ぶときも、背中が痛みません。


こちらが外側、柴や草など、ものを乗せる面です。


このバンドリは、力のかかるところ、身体に当たるところなどに木綿布を編み込んで、補強すると同時に当たりを柔らかくしています。
この形がわりと一般的であったことからも、肩ひもの長さを調節したりバンドリを身体に縛りつけたりする紐が、きれいに畳まれたままになっていることからも、このバンドリは荒物屋などで売られていた商品の、デッドストックではないかと思いました。

その昔、学生時代に東北を旅したとき、岩手県雫石の中心街で荒物屋さんをのぞいたことがありました。私はその店で木の杓子を買ったのですが、雪靴、頭巾、馬の鞍などなど、稲わら製品が所狭しと置いてありました。馬の鞍は生まれて初めて見るものでしたが、それが稲わらでできているなんて!興味津々でした。
おそらく、バンドリもあったのではないかと思われます。


バンドリは庄内地方のものが、豪華です。


とくに婚礼の荷物を運ぶ「祝いバンドリ」には肩当をつけたりして、荷を背負ってないときも美しく見えるよう、工夫が凝らされています。


そんな祝いバンドリも素敵だと思いますが、


普通のバンドリからも暮らしが感じられて、私は好きです。


各家庭でつくられたバンドリは、こんなシンプルなものだったのかもしれません。

島根の背負子

木の背負子(きおいこ、かりこなどとも言う)とセットで用いられた地域もありました。この場合の背あては、セナコウチとかセナカチと呼ばれました。

富山県船橋村では、明治2年(1869年)、夏でも温度が上がらず、凶作でした。
にもかかわらず、村役人は農民たちが食べる米まで年貢として取っていったので、農民たちは餓死寸前になり、宮崎忠次郎という人をリーダーに、年貢を減らして欲しいという要望書を村役人に出しました。
返事がもらえるという日、農民たちは菅笠、バンドリ、草鞋で身を固め、竹やりを持って寺に集まりました。しかし返事はなく、寺を出た農民たちは5万人にまで増え、滑川で村役人たちと出会い、戦いになってしまいました。
この騒ぎは鎮められましたが、忠次郎は死刑になりました。
これは、船橋村の「バンドリ騒動」と呼ばれています。



 

2 件のコメント:

かねぽん さんのコメント...

こんにちは。
父が若い頃使っていた背負子は、「ヤセウマ」と呼ばれていたそうです。でも、バンドリのような物は使っていなかったらしいです。

さんのコメント...

かねぽんさん
ついついバンドリと言ってしまいましたが、新潟でも地域によってはバンドリという言葉を使わなかったり、セナカアテとか、セナコウジと言ったそうです。
バンドリとはムササビのこと、その姿が似ているからバンドリと呼ばれたそうですが、もともとは、庄内地方だけの呼び名だったのかもしれません。
かねぽんさんのお父上は庄内地方ではないのですね。
この辺りも、木の背負子は使ったらしいのですが、セナカアテはありません。
先日路上で、背負い籠を背負っている男性を見かけました。20年前にはまだときおり見かけましたが、久しぶりに見て感動しました(笑)。
ちなみにこの辺りの背負い籠は円筒形です。