2024年2月16日金曜日

マイダン


「マトリョーシカを持っているマトリョーシカ」の持っている、マイダンのマトリョーシカです。


腕が描かれてなくて、形はそう大きくない、1970年代から80年代に、家庭でつくられたもののようです。

『マトリョーシカアルバム 2019』より

マイダンの位置を知るのに、またまた、道上克さんの『マトリョーシカアルバム 2019』から、生産地の地図をお借りしました。

『マトリョーシカ大図鑑』より材木はマトリョーシカの材料

マトリョーシカとこけしを愛する、コケーシカの店長の沼田元氣さんがマイダンを訪れていて、そのときのことを『マトリョーシカ大図鑑』(沼田元氣著、二見書房、2010年)に書いていらっしゃいます。

 本当に謎の村でした。メイデン(まま。かつてそう呼んでいた)の名前はマトリョーシカ好きなら、誰でも一度は耳にし、セミョーノフと並んで、モスクワで数多く売られている代表的な産地です。ところが、この産地は、誰がどんな風につくっているのか誰も知らないという村でした。それはこの地が、飛行場はもちろん、列車の駅もないため、舗装されていない道を10時間以上走らなければ行くことのできない、交通の便がすこぶる悪い場所だったからです。以前、何度も地元のロシア人に、近くまで案内してもらいましたが、とうとう行きつくことができませんでした。それは、当時、水爆の工場が近くにあったため、地図に正しい情報を載せてなかったからでした。数年前、やっと行くことができ、村中の人がマトリョーシカづくりに従事しているという伝説は本当だったことを知りました。
家の前には、白樺や菩提樹の材木が無造作に置かれ、各家の納屋では、家庭用の轆轤が備え付けてあり、まさに村中で、マトリョーシカを作っていました


『マトリョーシカ大図鑑』よ

沼田さんは、マイダンはおとぎ話のような村だったと書き記しています。
首都モスクワからそう離れていないのに、そんなに辺鄙だったこと、近くに水爆の工場があったことなどに驚かされます。

『マトリョーシカ大図鑑』よ

『マトリョーシカ大図鑑』には、村一番の轆轤職人だというグラチョフさんの写真が載っていました。30個も入れ子にするマトリョーシカを、やすやすと挽くそうです。一番大きいのは45センチ、一番小さいのはわずか3ミリ、横に並べると3メートルにもなるのにわずか3キログラム、たった3日で挽くそうです。

『マトリョーシカ大図鑑』よ

マイダンの隣のヴォジンセンスコ村の郷土博物館です。30個組のマトリョーシカがずらっと並んでいて、圧巻です。








 

2 件のコメント:

rei さんのコメント...

ガザの状況に落ち込んだ気持ちが、マトリョーシカの可愛さに触れて一気に緩みました(後ろめたさを抱えつつも)。
マイダンの村中の人がマトリョーシカ作りに関わっている(いた?)との事、マトリョーシカの力を再認識しました。2010年の本に沼田さんが書かれたとの事なので、訪れたのは今から20年近く前でしょうか。今でも村はマトリョーシカに支えられているのでしょうか。以前、日本のマトリョーシカ人気がロシアのマトリョーシカ作りに大きな影響を与えていると言う記事を読みましたが、その後が気になります。

さんのコメント...

reiさん
日本でマトリョーシカを売っているお店はそう数があるわけではありませんが、よく売れていて、確かに根強い人気を持っていますね。また店主さんたちが、ただ商っているだけではなく、並々ならぬ愛情を持っているのも伝わってきて、お客さんを引き付けているのでしょうね。
なんでも機械がつくってしまう世の中、手抜き手抜きを考える風潮をものともせず、手で挽く轆轤の高い技術が広く継承されてきたということはすごいことです。その奥には鍛冶の技術もありますからね。
そして安くてかわいいものから作家さんの一点ものまであって、マトリョーシカはたくさんの人の「好み」に応えられるのが、長続きの一つの理由かもしれません。つくられた当初から「輸出用」だったというのも、日本の郷土玩具などとちょっと違うかなと思います。
沼田さんによると、マイダンにはマトリョーシカの店は一軒もないそうです。村の人は誰も買わないし、観光客など一人も来ないから(笑)。
オークションサイトのセカイモンでマトリョーシカを見ると、日本で見るのとは全く違うものがあって面白いし、私がときどき買っているドイツのビンテージショップのマトリョーシカも、日本で手に入るものと雰囲気が違う気がします。