
昨日は、福島県南相馬の「おれたちの伝承館」に、フォトジャーナリストの豊田直巳さんとドキュメンタリー写真家の森佑一さんの写真展「故郷を追われて」に合わせて開催された、ギャラリートークを聴きに行ってきました。
「おれたちの伝承館」は、2011年3月の原発事故の記憶を風化させてはならないと建てられた施設で、その一室で2人の写真展が開かれていました。
豊田直巳さんは、45年前のインドシナ難民の発生当時に知己を得た方で、30年前にはパレスチナに関する集会で定期的に顔を合わせていた仲、原発事故以後は、ずっと福島にかかわっていらっしゃっていて、約30年ぶりにお会いしました。
森佑一さんは初対面、2017年からイエメン、イスラエル、パレスチナ、ウクライナ、シリアなどの戦時下にある国や地域の撮影・取材をしてきた若い方で、映画「ノーアザーランド」の舞台となったマサーフェル・ヤッタに今年の1月にも長期取材に行かれて、その村の様子を報告されました。
マサーフェル・ヤッタは、ヨルダン川西岸地区の最南端に位置していますが、すぐ近くにイスラエル人入植地が2か所あり、軍と入植者双方から、日常的に嫌がらせを受けています。「その家は不法に建っている」と、イスラエルから常習的に破壊通告が行われて家を重機で完全に壊されたり、武装した入植者が突然村を襲ってきて発砲したり家の中をめちゃくちゃに壊したり、羊を放牧して生計を立てている村人の放牧地を奪って自分たちの羊を放牧させたりと、嫌がらせはとどまるところを知りません。
パレスチナ人の存在を抹消しようとするイスラエル人がいる一方、このような蛮行に心を痛めるイスラエル人たちもいます。彼らはマサーフェル・ヤッタに通ってきて、あるいは仕事をやめてきて村に住み込んで、軍や入植者からパレスチナ人を護る「人間の盾」になっているというお話でした。
「おれたちの伝承館」は、2011年3月の原発事故の記憶を風化させてはならないと建てられた施設で、その一室で2人の写真展が開かれていました。
豊田直巳さんは、45年前のインドシナ難民の発生当時に知己を得た方で、30年前にはパレスチナに関する集会で定期的に顔を合わせていた仲、原発事故以後は、ずっと福島にかかわっていらっしゃっていて、約30年ぶりにお会いしました。
森佑一さんは初対面、2017年からイエメン、イスラエル、パレスチナ、ウクライナ、シリアなどの戦時下にある国や地域の撮影・取材をしてきた若い方で、映画「ノーアザーランド」の舞台となったマサーフェル・ヤッタに今年の1月にも長期取材に行かれて、その村の様子を報告されました。
マサーフェル・ヤッタは、ヨルダン川西岸地区の最南端に位置していますが、すぐ近くにイスラエル人入植地が2か所あり、軍と入植者双方から、日常的に嫌がらせを受けています。「その家は不法に建っている」と、イスラエルから常習的に破壊通告が行われて家を重機で完全に壊されたり、武装した入植者が突然村を襲ってきて発砲したり家の中をめちゃくちゃに壊したり、羊を放牧して生計を立てている村人の放牧地を奪って自分たちの羊を放牧させたりと、嫌がらせはとどまるところを知りません。
パレスチナ人の存在を抹消しようとするイスラエル人がいる一方、このような蛮行に心を痛めるイスラエル人たちもいます。彼らはマサーフェル・ヤッタに通ってきて、あるいは仕事をやめてきて村に住み込んで、軍や入植者からパレスチナ人を護る「人間の盾」になっているというお話でした。
また、豊田さんは、ずっとこれまでパレスチナを見てきて、シオニストのこと、オスロ合意以後の状況悪化のこと、国連UNRWAのこと、PLO(パレスチナ解放機構)のこと、ハマスのことなどなど、パレスチナ問題の基本を話されました。
質疑応答の中で、紛争を起こさないためにはお互いがよく知り合い、考え合う「教育の機会」が必要だよねという話から、豊田さんが事例として、撫順戦犯管理所(ぶじゅんせんぱんかんりしょ)の話を出されました。
第二次世界大戦から4年後、中国はソ連によってシベリアに抑留されていた日本人捕虜のうち約千人を、戦犯として中国に引き渡すよう交渉しました。捕虜を引き受けた管理署では、誰もが同胞を無慈悲に殺した日本人捕虜たちに強い恨みを持っていましたが、周恩来の管理のもと、「一人も殺してはならない」と食事、医療など、戦後の貧しい状況にもかかわらず捕虜たちを手厚く扱い、「彼らも帝国主義の被害者」だとして「鬼から人へ」と教育しました。
最初は思いがけない扱いに半信半疑だった捕虜たちはその真意を悟り、次々と自分の犯したことを告白し、やがて彼らは許されて日本に帰国、その後彼らは、日中友好の懸け橋になったり平和運動の中心になったりしました。
南相馬まで、車で片道2時間ちょっとの道のりでしたが帰り道、私たち夫婦は、周恩来同様に「慈悲の心を持っていた」ネルソン・マンデラやマハトマ・ガンジーを思い出すとともに、先日の大谷翔平のことも思い出しました。
パドレスとの試合で(故意に狙ったような)死球をあてられて、怒り心頭、あわや飛び出そうとする味方ベンチを制して、何事もなかったように1塁に歩いて行った大谷に、たまたま見ていて、感心したものでした。
相手チームのパドレスの選手で、その行動でよく問題になるマニー・マチャドがそれを見て、
「これまで、仕返しするのが勇気ある男だと思っていた。でもそうじゃない。だまって許すのが男だと知った」
と言ったとかなんとか(夫情報)。これから反省するかどうか?
「いじめない」、「仕返ししない」、「許す」ことが、世界平和のカギだと思われました。
英語にはmercyという言葉がありますが、これは「慈悲」というより、「容赦」、「あわれみ」、「情け」などの意味の方が強いと思います。
第二次世界大戦から4年後、中国はソ連によってシベリアに抑留されていた日本人捕虜のうち約千人を、戦犯として中国に引き渡すよう交渉しました。捕虜を引き受けた管理署では、誰もが同胞を無慈悲に殺した日本人捕虜たちに強い恨みを持っていましたが、周恩来の管理のもと、「一人も殺してはならない」と食事、医療など、戦後の貧しい状況にもかかわらず捕虜たちを手厚く扱い、「彼らも帝国主義の被害者」だとして「鬼から人へ」と教育しました。
最初は思いがけない扱いに半信半疑だった捕虜たちはその真意を悟り、次々と自分の犯したことを告白し、やがて彼らは許されて日本に帰国、その後彼らは、日中友好の懸け橋になったり平和運動の中心になったりしました。
南相馬まで、車で片道2時間ちょっとの道のりでしたが帰り道、私たち夫婦は、周恩来同様に「慈悲の心を持っていた」ネルソン・マンデラやマハトマ・ガンジーを思い出すとともに、先日の大谷翔平のことも思い出しました。
パドレスとの試合で(故意に狙ったような)死球をあてられて、怒り心頭、あわや飛び出そうとする味方ベンチを制して、何事もなかったように1塁に歩いて行った大谷に、たまたま見ていて、感心したものでした。
相手チームのパドレスの選手で、その行動でよく問題になるマニー・マチャドがそれを見て、
「これまで、仕返しするのが勇気ある男だと思っていた。でもそうじゃない。だまって許すのが男だと知った」
と言ったとかなんとか(夫情報)。これから反省するかどうか?
「いじめない」、「仕返ししない」、「許す」ことが、世界平和のカギだと思われました。
英語にはmercyという言葉がありますが、これは「慈悲」というより、「容赦」、「あわれみ」、「情け」などの意味の方が強いと思います。
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森佑一さんの写真、ヨルダン川西岸のJabal Huraysh |
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