いつも通る道に「胎安神社(たやすじんじゃ)」への道しるべが立っています。
面白い名前の神社はいろいろありますが、胎盤の胎の字のついた神社は珍しい。名前からして、安産・子育ての神社とはわかります。
時間に余裕があったある日、道しるべに沿って曲がって、訪ねてみました。
ちょうど、境内の落ち葉をブロワーで散らそうと(集めようと?)、お隣に家がある、この神社を守っていらっしゃると思われる方が出ていらっしゃったので、お話を聞くことができました。
創建はなんと奈良時代(763年)と伝承されているそうです。
西暦741年に、常陸国(ひたちのくに)の府中(現石岡市)に国分寺、国分尼寺が建立されましたが、胎安神社はその約20年後に建てられました。
こちらが元々の参道で、神社側から見たところです。神社は小高くなっている丘の上にありますが、下から長い参道を登ってくると、晴れた日には鳥居の奥の右手には富士山が見えたそうです。
胎安神社を辞してから、近くにある子安神社にも寄ってみました。こちらにも長い参道がありました。
こんな近くに2社がと、帰ってから調べると2つの神社は関連がありました。
子安神社は、胎安神社建立の40年後に建立され、両社同じような記録や言い伝え、しきたりを持っています。
府中(石岡市)の国分寺・国分尼寺の方向に続いている「鎌倉街道」を挟んで、本殿が北向きの子安神社と南向きの胎安神社が配されています。どちらも、社(やしろ)は小さいけれど、200メートル以上続く参道や、同じ社紋の「笹竜胆」などが共通していて、他の神社とは違う歴史の重みが感じられます。
ちなみに、鎌倉街道は各所にあります。以前、福島県古殿町の人類学調査に加わったことがありましたが、古殿町にも鎌倉街道がありました。
鎌倉時代には、源義家親子が「奥州征討」に向かった際にこの地域に宿営して、両社だけでなく、近隣の村社にも、参拝、奉賽、寄進などしたという社伝が残っています。
「子授け、安産の神」の胎安神社と、「子どもの健やかな成長を護る神」の子安神社は相並ぶ神として、参拝者に崇敬されてきましたが、江戸時代後期には「胎安講」「子安講」が盛んになり、3月3日の胎安神社、9月3日の子安神社の例祭には、遠方からも「講中」を組んで、人々が参拝に訪れるようになったそうでした。
いまでも、七五三のときにはにぎわっているようです。





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