2010年9月25日土曜日

使っていますよ! おばあちゃん



明治中ごろに生まれた私の祖母は、食器類に関しては、どちらかというとハイカラ好みでした。
使っているお皿類は、自分の月給(教師をしていた)で買ったというノリタケなどの洋皿が多くて、古いものなんて、およそ関心がなさそうでした。

というわけで、この三つ重ねの鉢は、お手洗いの横の、ごくごく不用品を入れておく物置に、埃にまみれて、無造作に入れてありました。お手洗いと言っても、今風のものではありません。一旦、縁側の雨戸を開けて、屋根はかかっているけど壁のない板の間に出て、その先にあるようなお手洗いでした。背の高い石の上には、手水鉢が置いてあり、その横には南天が植えてありました。

物置に一緒に入れてあった、もっと古い芙蓉手の大皿なんか、真っ二つに割れていました。金つぎに持っていった、目黒の骨董屋さんから、「おしいなあ、割れてなかったら、50万円するよ」と、言われたほど、素敵なおさらでしたが。




鉢は明治後期のものでしょうか、厚ぼったくて、呉須ではなくてコバルトの絵付けです。煮物が映えるので、よく使っていましたが、最近は年のせいで、少々重く感じるようになりました。一番大きい鉢の直径は29センチです。





この鉢は、祖母にとっては台所の必需品でした。盛り付け用ではなくて、アルマイトのボウルがまだなかったころから、ボウルとして使っていたのです。呉須に赤絵の入った鉢も使っていました。

自転車の後ろに荷を積んだ魚屋さんが来て、穴子を20尾も買った日は、この鉢にたれを入れて、開いた穴子を次々に浸し、七輪で焼きました。
漁師町で生まれた祖母は、川魚はいやだと、うなぎは食べませんでしたが、穴子の蒲焼はよくいただきました。




私は、一度にあんなにたくさんの穴子を買うこともありませんし、この鉢をボウル代わりに使ったこともありません。でも、サラダを入れたり、ときにはそうめんを入れたりして使っています。直径は24センチです。




祖母は大の麺類好きで、とくにそうめんが好きでした。
夏になると、毎日食卓にそうめんが上りますが、そうめんを盛るのはガラスの鉢と決まっていました。もう一つ、ワイン色の鉢があったのですが、いつだったか、引越し荷物の中で割れてしまいました。




そうめん汁を入れるのは、そば猪口や小鉢ではなくて、コップでした。ちょっと緑がかった、縦に筋のあるガラスの、今でも骨董屋さんが持っているような、ありふれたコップです。
ガラスの鉢が、薄暗い茶の間の、ちゃぶ台の真ん中に乗っていた光景、今でもはっきり覚えています。直径は20センチです。




片口は、食器ではなくて、保存容器でした。
おしょうゆを入れて、木の蓋をして、台所に置いてありました。祖母の家の台所は土間で、流しとかまどのあいだに、お餅をつくための石臼が置いてありましたが、普段はその臼に蓋をして、その上にこの片口や味噌の甕が置いてありました。




めん汁を入れたり、煮物を入れたりと、我が家では保存容器から食器に昇格(?)しています。

大きな地震のときに、割れてしまったお皿もありましたが、こうして、祖母から受け継いだ食器たち、日々食卓を彩ってくれています。



2 件のコメント:

hana-ikada さんのコメント...

上の世代から引き継いだ食器・・そういうご縁は素晴らしいですね。
ガラスのそうめん鉢は色もデザインもとても素敵。
暑い夏の食事でも、涼しげで目を楽しませてくれるでしょうね。

さんのコメント...

hana-ikadaさん
食器にも、歌と同じように、思い出がくっついているものがあるのは、嬉しいことです。
でも、そんな上の世代の思い出にうんざりの人(笑)や無関心の人もいるので、骨董市なども賑わうのでしょうね。