2019年7月24日水曜日

正真正銘の真弓馬

もっと左手

村松山虚空蔵堂の社務所は、本堂の左手にありました。


真弓馬は縁日しか置いていないのか、それとも年中置いてあるのか、それを早く確認したいと社務所を横目で見ながらも、まず本堂にお参りして、そのあとやっと足を向けました。
鉤型になった、かなり細長い窓を備えた社務所には、お守りがいろいろ並んでいるのですが、真弓馬も宝船も目に入りません。焦ってちょっと早足になって、最後の最後にやっと見つけました。端っこの特別のケースの中に二つ、ひっそりと並べられていました。


そこのガラス窓は閉まったままなので、お守りの方に引き返して、奥にいる方に声をかけると、倉庫から出してくれたのはこの箱でした。


後で中に入っていた説明書を見てわかりましたが、全国どこにでもすぐ送れるように、きれいに包装して箱に入れられていたのでした。
今では、参拝した人たちが求めるより、郵送で手に入れる人の方が多いのかもしれません。


真弓馬は想像していた以上に素敵でした。
では、私が今まで真弓馬として長く愛でてきた馬は、なんだったのでしょう?
村松山に関係のない、ただの「もどき」だった可能性があります。


台は厚みがあり、海ではなくて小川らしい絵が描いてあります。


後ろには村松山の焼き印がありました。


手持ちの真弓馬(もどき?)と比較してみると、貫禄が違います。

さて、村松山虚空蔵堂で私が知りたかったことの一つは、近隣の農民たちが農閑期の副業でつくっていた真弓馬や宝船が、村松山の授与品になった経緯でした。


それに関しては、真弓馬の箱の中に、一枚の題名のない説明書がありました。記述では年代わかりませんが、おおよその流れは想像できました。

村松山虚空蔵堂は、創立から聖叡の高僧が代々相継いで、隆盛は日に日に盛んで、十三詣りの村松山として全国に知られました。「諸願を成就する霊験」を慕って参詣者は後を絶たず、参詣者の列が、里を貫き野を越えて、数里のかなたまで連なっていたそうです。
全国といっても、参詣者は歩くしかなかった時代です。
この説明書からは、賑わっていたのは、建立後いつごろからか、そしていつまで続いたかなどはわかりません。そして縁日(とくに正月15日の修正会の日)に、近隣の農民たちが自分でつくった真弓馬と宝船を持ってきて境内で売りはじめた時代についての記述はありませんが、ほかの資料から、江戸時代以降のこととされています。
説明書に戻ります。
やがて、世は開国交易となり、外来の風潮が激しく入ってきて、人心は海外に奪われ、耳目は新奇を追うことに暇がない時代となり、真弓馬や宝船は境内から消えていきました。長い歴史を持つ古来伝承の遺風が消滅することは惜しく、虚空蔵堂で独りこれを保存することになったそうです。
この、「外来の風潮が激しく入ってきた時代」についても、いつかは書かれていないのではっきりしません。明治維新ではなくて、第二次大戦以後ではないかという感じがします。あるいは敗戦後しばらく経った、1960年代かもしれません。
1960年代は、地球上のどこもが大きく変わった時代でした。


時代考証はさておいて、私が関心を寄せるのは、村松山虚空蔵堂の往時の賑わいです。
「参詣者の列が、里を貫き野を越えて、数里のかなたまで連なっていた」というのは、誇張ではないのでしょう。
私がまだ小学校に上がる前、祖母の家から3キロほど離れた藤戸寺の縁日は、いつもにぎわっていました。寺に向かって歩いて詣でる人の姿がそこここに見え、寺に着くといつもは静かな境内が、人、人、人だったのを思い出します。
普段はあまり歩いて行かない距離も、お米を入れた小さな袋をさげ、隣近所誘い合って世間話をしながら歩き、途中の祠や石仏にもお参りしながら行くと、そう遠く感じません。そして、寺に近づくに連れて、その賑わいが肌で感じられます。一つの高揚感、仏さまに対しても自分に対しても、なにか成し遂げた、あるいは行かずに感じる後ろめたさを回避したという想いを、誰もが感じていたのかもしれません。

かつて、村松山虚空蔵堂に集まった人々。馬や船を刻み、運んで境内で売った人たち、そしてそれを買って神棚に納めた人たち、そんな大人たちを見上げる子どもたちの想いも、村松山に行って、ちょっと感じられたような気がしました。

そして、絵馬でも何でも機械でプリントにする時代に、手描きの板絵馬が残っていることを、とても嬉しく思いました。





4 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さん海綿おおきいでしょー
手触りが解るとおもいます50gです。

さんのコメント...

昭ちゃん
ありがとう。大きいのでびっくりです。それに50グラムとは!卵ほどの重さですね。
私が拾ったのは復元力が弱いです。捨てます(笑)。

昭ちゃん さんのコメント...

姐さん何かが風化したものでしょー 
勉強が楽しいです。

さんのコメント...

昭ちゃん
最初は海藻の浮袋と簡単に考えたんですけどね。中まで詰まっていました。
もしかして発泡スチロールかとも思い、どうせ捨てるならと2つほど燃やしてみました。なかなか燃えず、匂いとしてはちょっと動物的な(毛糸を燃やしたような)匂いがしました。
面白いですね(笑)。