のらさんが、とかち帯広空港に迎えに来てくれて、芽室から狩勝峠を越え、富良野、芦別、赤平、雨竜を通り、留萌をかすって小平(おびら)、苫前を通り、羽幌にあるのらさんの秘密基地に到着、ここで4泊お世話になりました。
狩勝峠 |
「そんなことに今更感心するのかい」
と北海道の人には言われそうですが、走行車線の左端を示す矢印の標識がどこまでも続いているのを、初めて見ました。
雪が降り積もったときや吹きだまったとき、道路の端を知らせてくれる標識です。ソーラーパネルで夜には点灯するものが各種、中には反射板でただ光るだけの矢印もありましたが、ほんの一部の海岸沿いのたぶん雪が吹きだまらない道を除いて、街中にもどこにもこの標識がありました。
中央分離帯があるところで、それを示す矢印の標識があるところもありました。
ときおり、自転車やオートバイでツーリングの人、車に布団を積んだ人に出会いましたが、北海道は9月に入ると、観光地はどこも閑散として、観光客目当てのレストランなどは、すでにどこも閉まっていました。
ベニバナトチノキのとげとげのある実を拾いに寄った富良野の山部にある「太陽の里」にも、人影はほとんどありませんでした。
鉄でできた古めかしい遊具の中には、馬の頭のついたシーソーもありました。
プラスティック製ではなくて、金属を鋳込んだ立派な馬でした。
滝川町の江部乙神社には、「笑う狛犬」がいました。
鳥居は下から銅板に巻かれています。
偶然通りかかった、神職の方にお話を伺えたのですが、元々本殿は鳥居の奥にありましたが、道路拡張で移築しなくてはならず、現在では鳥居をくぐると直角に曲がった位置に置かれているそうでした。
阿吽の狛犬は、1910年に屯田兵の石工さんが奉納したものです。
広いのに、ものが整然と並べられている店内。
校舎棟から渡り廊下を渡ると、講堂棟に行けます。
講堂にもいろいろなものが置いてありますが、講壇は演奏会などもできるようにしつらえてありました。
渡り廊下に置いてあった、ガラス製の筌(うけ)。
ガラスでできた漁具なんてあり得る?生まれて初めて見るものでした。さすがガラス浮きなどガラス産業に優れていた北海道だけあります。
北海道には竹が生えていませんが、竹製品をまるきり使っていないわけではない、本州から運ばれてきた竹製品も見かけました。しかし、筌も竹製のものよりガラスでつくる方が安かったのでしょう。
この筌を見て、骨董市などでよく見る蠅取りのガラスのトラップも、きっと北海道でつくられたに違いないと思いました。
「豆電球」で私が買ったのは、中国のぬいぐるみの獅子と、
牡丹印の食料紅でした。良心的な値段、どちらも200円でした。
これもラベルには丸に青の文字です。名前は食料紅ですが、たぶん食青だったのでしょう。
ビンの形は、福岡のあかずきんさんにいただいたもの(右)やおもちゃ骨董のさわださんの持っていたもの(左)と違って背が低く、
「ベニヤ」と「スカ川」のエンボスはありません。
福島県須賀川でつくられた食料紅が、九州まで行っていたことに驚きましたが、北海道にも行っていたのです。
途中、道路と並行して走る線路を貨物列車が行くのを見ましたが、船でそして貨物列車で、はるばる北海道各地に運ばれたに違いありません。
2 件のコメント:
春姐さんなんにでも感激することが大事ですよ、
感嘆詞の連続だったことでしょー
こちらも楽しみに待っています。
昭ちゃん
そうそう、感嘆の連続でしたよ。
どこもきれいで、ドライブしていても楽しく、このあたりの看板だらけの道とは大違いでした。いつだったかタイ人を連れて日本を周ったら、「すぐ海に突き当たって落ち着かない」と言っていましたが、そこが大陸育ちと島国育ちの違うところ、いつも海が見えて、とても落ち着きました(^^♪
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