2019年10月3日木曜日

ペイズリー

織りものをしているKさんのお家には、興味深い本がいろいろあります。
先日ペイズリー文様の本を借りてきました。


『Evolution and Variation of the Paisley Pattern』は、1993年から94年にかけて、渋谷区立松濤美術館で、「ペイズリー文様の展開、カシミアショールを中心に」という特別展があったとき、カタログとしてつくられた本です。
ペイズリーについては、簡単には知っていたのですが、この本を読み、インドのカシミールでつくられていたカシミアショールがどんなに手が込んだものだったか、改めて驚きました。
というのも、ペイズリー文様を、刺繍や捺染や絞りではなく、織りで出していたのです(のちに、織りよりは簡単な刺繍のものもつくられました)。

カシミアショールは、軽いものです。
あちこちに落ちているカシミア山羊の抜け毛を拾い集めて糸にするのですが、信じられないほど細い糸をつくったようです。模様なしで織ったものは、指輪の中をするすると通せたと言います。


カシミールでは綾織りの地(平織りより目が詰まる)に綴れ(つづれ)という、模様部分だけ色糸を刺す織り方で文様をつくります。


余りにも複雑な模様のため、分業で部分をつくってつなぎ合わせることもしたようですが、つなげることなく、一枚のままで織っていた職人たちもいました。

カシミアショールを織るハリル・ミール氏、115歳

緯糸の色糸は管に巻いて、模様のところだけ経糸をくぐらせたのです。


これが織りで出した文様とは、信じられないほどです。

初期のショールをまとったアブドゥラ・クトゥブ・シャーの肖像(17世紀)

ペイズリーは、ムガール朝の王侯が着用したショールとパトカ(腰巻)に施された文様の中で、草花文が一本の木となり、抽象化した文様です。

やがて、カシミアショールはヨーロッパやイラン(ペルシャ)などに輸出されるようになり、それぞれの地で熱狂的に受け入れられます。


ヨーロッパでは、宮廷を彩ったロココ・スタイルの衣装がフランス革命とともに消え、1795年ごろから薄い綿モスリンでつくられた簡素な形のドレスがもてはやされるようになっていました。このドレスは下着に近いもので、防寒のためカシミアのショールが欠かせませんでした。
やがて上流階級では、花婿が結納品としてカシミアショールを贈るのが慣習となり、ナポレオンは二番目の妻マリー=ルイーズに17枚ものショールを贈りました。しかし、そのナポレオンが1806年に大陸封鎖を行ったことから、イギリス船の運ぶ商品が来なくなると、カシミアショールの輸入は滞り、フランス製ショールへの期待が高まりました。
それ以前からも、高価なカシミアショールに替わるものが自国でつくれないかと、イギリスやフランスではいろいろな試みがなされていました。
カシミアの毛をロシア経由で輸入したりもしましたが、粗悪品も出回りました。


フランスでは、カシミアショールを模して、様々な試行錯誤がなされ、デザイナーも生まれました。そしてついにジャガード織り機を使って紋織りにすることに成功、大量生産が可能になりました。
ショールは正方形になったり長方形になったりしながら、生産され続け、ペイズリー文様も伝えられていきました。

やがて、ドレスのスタイルが変わり、ドレスの上にはマントやケープが着用されるようになり、1880年代にはショール・ファッションは終焉を迎えます。
それでもペイズリー文様は、ときおり不死鳥のようによみがえって、今に至っています。

中央アジア、ブハラでつくられた経絣(たてがすり)のペーズリー

ちなみに私的には、カシミアショールの緻密なペイズリーや、精巧なものは10万枚もパンチカードを必要としたというジャガード織りのペーズリーより、インド周辺諸国でつくられた素朴なペーズリーの方が何倍も好きです。

ペイズリー文様のスカーフをまとって水くみするインドの女性






4 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

織りでどうやってこんなに細かい模様を作るんでしょう!気が遠くなります。織っているおじいさんが115歳っていうのに驚きました。

さんのコメント...

hiyocoさん
織りでこんな複雑な文様をつくろうと思うこと自体ばかげているような気がします(笑)。一日織って1㎝織れるかどうか。また、部分をつくってつなげるというのも、気が遠くなる話です。
おじいさんの年は、「戸籍もないのに本当なの?」と思いがちですが、彼らは「あの飢饉の年に彼は生まれた」とか、周りの出来事によって正確な年を数えたりしますから、たぶん本当なのでしょう。写真を撮ってから間もなく亡くなられたそうです。

karat さんのコメント...

おはようございます。
織りで文様を作ることは想像しても気が遠くなりますが…。それより、そのように大変な模様の貴重なスカーフを普段の労働に普通に着用しているインドの女性が気になります。
写真などでも、たとえば中国奥地の民族が派手な手の込んだ民族衣装を着て農作業していたりするのを見ても不思議な気がします。あるいは南米の高地でも派手な民族衣装でジャガイモを収穫したり…。汚れるんじゃないかと…。私なら汚れてもいい服でやるけどなぁ、撮影用かな?と。あるいはまじめにあれをいつも着ていて、労働もするのでしょうか?洗濯とか着替えとか…どうでもいいことを考えてしまいます(^^;)。

さんのコメント...

karatさん
豪華な衣装を身にまとって労働する女性たちについて、仕事着と称して、息子のおさがりの染みの抜けない、襟首や膝のあたりが破れた服を着て、郵便局くらいなら平気で行ってしまう私には、何もコメントできません(笑)。

その昔東北タイで、絹の手織りの絣のパトゥーン(サロン)を身に着けて、泥の中で田植えしている女性たちを見て、「どこが貧しいねん!」と感動したことがありました。タイの山岳地帯でも、40年ほど前までは、老いも若きもいつも手の込んだ民族衣装を着ていました。でも安心して、いざというときに着る服も、彼らはいっぱい持っていたのでした。
でもあれから40年、世代交代もあって、観光用にしか民族衣装を着なくなっていることでしょう。また、インドはもともと、既婚の女性はサリーでしたが、最近では既婚でも活動的なパンジャビーを着る人が増えています。