あまり帽子はかぶらないけれど、Kさんが編んでくれた帽子は、寒い朝など重宝します。
頭を絞めつけず、耳を覆ってくれるのでかぶり心地満点です。
海のような、空のような、森と畑のような色も好きです。
Kさんは彼女が学生時代に知っていましたが、昨年Mさんの家で偶然に、30年ぶりに会いました。
もちろん、音楽をやっているとか、編みものをやっているなんて、まったく知りませんでした。
彼女のFacebookを見ると、編みものがたくさん出てきて、ときおりよく似た形の帽子も載っています。
今までに、いったいこの形の帽子を何個編んだのでしょう?
Kさんとは、偶然再会してからもう一度会いましたが、2度とも、同じような帽子をかぶっていました。
これをかぶると、大黒さまの頭巾のような姿になります。
4 件のコメント:
春姐さんakemiさんに追加してください。
当時出征した家族が戦死すると「遺族の家」と書かれた
表札の半分ぐらいの表示を玄関に貼ります。
悲しい印ですが中にはそれを口実にいろいろトラブルがあったのも
事実です。耐え忍ぶ戦時中でも、、、、。
40年ほど前ですが建て替えた旧家に残っていました。
昭ちゃん
了解です。
かつて、戦死者のいる家族は巷に溢れていましたね。戦後も命をつなぐことにきゅうきゅうとしました。
食べられない子どもがいるからと給食が始まりましたが、先日、4年にわたって余って捨てることになっていた給食のパンと牛乳を、もったいないからと自宅に持ち帰っていた60代の高校教師が、通報によって三か月の減給処分、依願退職しました。
昭ちゃん、寛容さがなさすぎない?
牛乳とパン代を31万円払ったんだって。捨てればよかったの?私、とっても腹を立てています。通報した人ってどんな人でしょう?
もっと悪いことをしている人がたくさんいるでしょう!
姐さん食べ物を残す、もう満腹なのにこれ以上無理をしてたべないよー
出前授業でいつも問題になっていました。
先生から「昭ちゃん先生から言われて何でも食べる子になりました」
嬉しかったです。 親のしつけより飽食の時代かなー
昭ちゃん
そうですね。
でも、この先生の通報者、ひどいでしょう?
その昔、上総掘りという井戸の掘り方を教えて海外協力する人を育てていた方が、訪ねてきた参加希望者にまず、自分で適量を取るカレーをふるまって、自分のお皿に取ったものを残した人は全部はねると言っていました。私も同感です。
定食などで、お腹いっぱいでご飯を残したいときがあります。でも、次のご飯で減らせばいいと、お腹いっぱいでも、一息ついてからでも全部詰め込むことにしています(笑)。まだ、詰め込めますよ。若いなぁ。
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