エチオピア土産に、ファテレさんから木綿のショールをいただいてしまいました。
手織りで、しかも緯糸(よこいと)は手で紡いだ糸です。
模様のところは、茶色、緑、金色の細い糸を3本どりにして織っています。
経糸(たていと)が細い、細い!
で、エチオピアの筬(おさ)を思い出しました。竹とよい刃物がなければ、細かい筬をつくることができません。
織物の目数を数えるための拡大鏡があります。
センチでも寸でも測れますが、寸で測った方が誤差が少ないので、日本では一般に寸が用いられています。
拡大鏡で、エチオピアの幅広の織り機の筬と、コートジボアールの狭いバウレの筬(右)の羽数を数えてみました。
エチオピアの筬は、1寸に11羽(枚)で、
バウレの筬は、1寸に16羽でつくられていました。
アザライからお借りしました |
エチオピアでは、筬の目が粗いので、ショールはガーゼのように荒く織られたものが主流です。
上の「アザライ」からお借りした写真も、布が薄いので2枚重ねにしてあるそうです。1枚では寒い時期には。2枚重ねて羽織ります。
拡大してみると、こんな感じ、まるでガーゼのようです。
いただいたショールの経糸の本数は、1寸に33本ありました。ということは、私の持っている、定期市で売られた筬が一般的なものであるとすると、筬の1つの目に3本の経糸を通していることになります。
経糸を上下させるには、写真の一番手前に見えている糸綜絖(いとそうこう)が関係しているので、筬に経糸を3本通して織ることはできますが、2本はともかく3本は限界だと思われます。
また、この写真を見ると、筬から手前の経糸の幅と、織り上がった布の幅が同じであることが理想なのに、ずいぶん縮んでいることがわかります。
こちらは糸が寄らないで、きれいに織れています。
ちなみに、エチオピアでは現在では女性の織り子さんもいるようですが、北からイスラム圏を通って伝播されたので、伝統的には全部男性です。
では、バウレの筬では、布と筬の関係はどうでしょう? バウレの筬の羽数は全部で82本ありました。
西アフリカの織りものは、細く織ったものをつないで広くします。このバウレの布もオレンジ色の経糸が布の「みみ」に使われていて、1枚の布の幅は10.5センチ、経糸数は168本で、それを10枚つないで広い布にしています。
ということは、羽数84本(以上)の筬を使い、1目に2本の経糸を通して織ったと思われます。
左はマリのドゴンの布ですが、手紡ぎの糸で織られています。
バウレの布もかつては手紡ぎの糸で織られていましたから、1目に経糸1本通していたのでしょう。
16世紀ごろからヨーロッパは海洋経由でアフリカに接触し、19世紀末になると、自国で工場生産した製品を盛んに持ち込んで、奴隷とした人々やアフリカの産物と交換していきました。コートジボアール=象牙海岸にも早くから工場生産品の糸がもたらされ、名の通り、象牙が奪われていったというわけです。しかし、海岸から遠いブルギナファソやマリには影響が届きにくく、最近まで、自分で栽培して手で紡いだ糸が残りました。
さて、筬の羽数は、「羽」を留める糸の太さによって決まります。糸の太ささえ変えれば「目」を自由自在の大きさにつくることができますが、竹のあるアジアでは、極細の目の筬がつくられるものの、竹のない地域では限界がありました。
写真は、日本の着物を織った筬です。
多いものは1寸に48羽もあります。
これで絹織物や麻の上布が織られ、目の少し粗い筬では、「太物」と呼ばれた木綿が織られました。
羊毛など、太い糸を織るために、目の粗い竹の筬もつくられました。
日本では竹の筬はもうつくられてないのでしょうか? 現在では反物もほとんど機械で織られていますが、機械なら、目が均等で壊れにくい金属の筬しか使えません。
私が織りものを習っていた1970年代には、すでに竹の筬は一般的ではなく、金属は鉄の筬しかありませんでした。鉄はすぐ錆びるし、かといって油もそうつけられない、手入れが大変でしたが、今ではステンレスの錆ない筬に取って代わられてしまいました。
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