2017年7月8日土曜日

飾り壁


飾り壁づくりが、断続的に続いています。
十枚のガラスを額縁に入れ終わってから、梁と束(つか)をつくりました。束は、材が長いままで、「溝切り」で溝を彫ってもよかったのですが、私の好きな方法、短くしてからテーブルソーで溝をつくりました。



梁には、溝だけでなく、束を立てるほぞ穴も開けました。
 

額縁に入れたガラスを梁の溝に嵌めながら、束を立てます。
左右の端は、なんとも方法がないので、溝も彫らず、ただ柱とつき合わせるだけです。



でも、上部は組むことが物理的に可能なので、ほぞを切って、上の梁に嵌め込みます。



設置場所の、上の梁です。
ほぞ穴が開いていますが、これはここを壁にするつもりだったので、間柱を立てるために、プレカットで開けてもらったほぞ穴です。飾り壁を嵌め、その下にガラスを入れることに設計変更したので、このほぞ穴は使えません。無視して(一部、隠せないところは埋木をして)新しいほぞ穴を四つ開けました。
真上を向いてノミを使うので、首が痛くなります。やっと治った目にも、口や鼻にも、容赦なく木くずが飛び込んできます。



いよいよ、嵌めます。
幅には、2ミリほど余裕を持たせたので、柱の間に押し込んで、二人で両端を少しずつ押し上げながら、梁に嵌るまで動かしていきました。



最後は、クランプで締めて、見えないところにビスを打って留めました。
下の梁の下側には、ガラスを嵌めるための溝が彫ってあります。



コンクリート柱の南側を嵌め終わり、北側も嵌めたいところです。



すでにほぞ穴も溝も開け終わっていますが、重いので一人では嵌められません。
夫待ちですが、今週は飯田行きがあったので、その前は準備に忙しく、行った後はちょっと疲れて、休んだりしました。
私も、今週は農作業の集中する七月第一週でもあり、大豆を蒔いたり、ねぎを植えたり、ついでに庭仕事などしていると、なかなか飾り壁を嵌める機会が巡ってきません。



外から見たところです。
この下が嵌め殺しのガラスになり、その下が壁になります。





2017年7月7日金曜日

七月第一週


しばらく前に、きゅうりフレームにネットを張りました。
七、八年、もしかしたらもっと使いましたが、さすがにぼろぼろ、張りなおしたのです。 



場所は固定したままです。
立てた当初は、うずら豆とともにナタマメ、オキナワスズメウリ、フウセンカズラなどなど、賑やかに植えていましたが、この数年、うずら豆だけを蒔いています。 



八郷の地元で伝えられたうずら豆、七月の第一週に蒔かなくてはなりません。
毎年、「まだまだ、まだまだ」と思っているうちに、七月第一週がやってきます。


昨年は、平年以下の収量だったけれど、おいしくいただいたし、Yさんに種をおすそ分けすることもできました。


欲張って、フレームの内と外の両側、四列蒔きました。
蒔いたところをしっかり踏み固めて、これで私の夏が来ます。


それにしても、トチ、カツラ、ヤマボウシ、スモモなど大きくなりすぎ!
ちょっと枝を落とさないと、家の周りに暗闇が出現しています。

今年は、Uさんにいただいた、やはり八郷の在来大豆の「青御前」も、蒔かなくてはなりません。
七月第一週は、飛ぶように過ぎていっているんだけれど.....。






2017年7月6日木曜日

飯田へ


六人乗りの車をレンタカーして、八郷を朝の5時に出発して、さとのわ(郷の和、地域通貨)の有志面々と長野県飯田市の、地域エネルギーへの取り組みを見に行きました。
常磐道で東京へ、中央道に入っていったん諏訪湖まで北上した後、天竜川に沿って、深く切れ込んだ伊那谷を南西へと下がって行ったところに、飯田はあります。

衝立のようにそびえる二つの山脈に挟まれ、天竜川やその支流にあちこちえぐられた飯田は、昔から交通の要所でもあり、八郷とは比べものにならない大きな町でした。


5時間のドライブの末、約束の10時ぴったりに、「おひさまエネルギーファンド」という、環境保護活動をしていたNPOが発展してできた株式会社に、到着しました。
「おひさまエネルギーファンド」は、建物の保全もするという約束で、1923年(大正11年)に建てられた元測候所を借りて事務所にしています。


午前中は、飯田市役所の方から市としての取り組みについて聞き、午後から「おひさま」の取り組みを聞きました。

仕組みを簡単に説明すると、「おひさまエネルギーファンド」が保育園、老人ホーム、あるいは個人の家の屋根を、20年後に返還するという約束の元に、借り受けます。そして、ソーラーパネルは、別の個人の出資などによって調達して、借りた屋根に乗せます。

個人の出資は、一口10万円で10年後に出資者に返済されるものと、50万円で15年後に返済されるものの二種類あります。都会の大きな会社がソーラーパネルを田舎に設置して、利益をすべて都会に持ち去るのではなく、地域でお金が回ることを目指してはいますが、地域の人だけではなく、どの都道府県の人も出資でき、何口でも出資できます。もちろん返済されるお金には利子がつきます。
そして、屋根を貸した人は、いくばくかの貸し賃をもらうとともに、10年後に、出資金を返済したあとのソーラーパネルは、屋根を貸した人のものとなります。 
中学校で、「ソーラーパネル設置」を公約に掲げて当選した生徒会長の尽力で、中学校の屋根にソーラーパネルを乗せたというお話もありました。


説明のあと、山を越えて東側に位置する上村の、小規模水力発電建設予定地に行き、このプロジェクトを推進するまえしまさんにお会いして、その計画を聞きました。
天竜川の支流である上村川のそのまた支流から取水し、上村川のほとりに発電所をつくって、上村川に放流する計画です。


ちょうどこの滝の上あたりを取水地にするそうです。


75歳を超えたというまえしまさん、超お元気でした。


山は1000メートルを超えているので、支流は山の低い八郷とは比べものにならないほどの水量があり、勢いよく流れていました。


そして、美しく手入れされていました。
 

上村川からはずいぶん入ったところですが、しばらく前まで近くに一軒だけ人家があったとか、その家が取水場にしていたところに、鹿に向かっての警告が書かれていました。
鹿は、ちゃんと読んだでしょうか?
 

市役所のおがわさん、「おひさま」のはらさんやよもぎださんの取り組みもおもしろかったのですが、なんと言っても、まえしまさんの情熱には、みんなで力をもらいました。
今は「無」なのに、これから「有」にしようというのです。 


帰り、諏訪湖で一休み。


空は暗桃色から次第に真っ赤になり、月も出ました。
八郷に着くころは、途中での土砂降りもやみ、長い一日が終わりました。






2017年7月4日火曜日

豆雛

骨董市のまことやさんから、いつも、いろいろいただいてしまいます。
朝早く起きて、東京から来て、商売もしないでくれてばかりでは割が合わないと、ささやかなクッキーを届けました。
「あっ、ちょっと待って」
と、おかみさんが箱の中に手を突っ込んで、出してくれたのは、小さな木彫りのお雛さまでした。


「掃除したら、出てきたの。差し上げようと持ってきたので、もらって」
「えぇ、そんなにもらってばかりじゃぁ、悪いよ」
「いいの、いいの」
「ああ、いいんだよ」
と、まことさんまで言うので、クッキーでお雛さまを釣ってきました。


高さがたった15ミリほど、一刀彫です。
もう少し大きくつくる方がずっと楽そうです。


台の裏は、何かにくっついていたのにはがれた跡のように見えます。
元々は、どんな形をしていたのでしょう?


この棚に飾るには小さすぎますが、とりあえず、ここにいてもらうことにしました。


お雛さまのお顔の下の三角は扇でしょうか?
やっぱり吉野雛に見えますが.....。




2017年7月3日月曜日

マイ・プレート

日曜日に、「森とつながる、いのちにやさしいものづくり」という、八郷暮らしの実験室の木工ワークショップに参加しました。
講師は、長野県松本在住の更家雅則さんです。

 
更さんが用意して下さった材料で、自分の時間や力量を考えながら、お皿、スプーン、カップなど、好きなものを選んで、かりかり削ってつくるワークショップです。

かねて、実験室のIさんやYさんが持っている、マイプレート、とくに立食の時威力を発揮する、コップも、お箸もスプーンも差し込むことができるお皿にあこがれていたので、もちろんそれを選びました。


これです。
材料は松の木、形に切り出し、粗削りしてくださっています。
チェーンソーの刃がついたグラインダーで削るのですが、注意深く作業しないと、とても危険なものだと、うかがっています。


この机や椅子も更さんの手づくりです。机のところどころに空いている穴が、クランプを通したり、棒をさして、ストッパーにしたり、いろいろ役に立ちます。


お皿を、机に固定するための道具も素敵です。


机の端に引っ掛けて使います。
二つある穴の、右は左手の親指を入れる穴、大きくて丸いのはコップを入れる穴です。


貸していただいた、ノミや切り出し、これがじつに気持ちよく切れます。
刃ものを研ぐのが苦手な私には、垂涎の道具たちです。
かりかり、かりかり。


表が削れたら、裏を削ります。


裏は、更さん手づくりの南京かんなを使います。
小さい刃のかんなが粗削り用、大きい刃のが仕上げ用です。
 

このかんなが素晴らしい。面白いように削れます。


と、ここでお昼になり、おいしいご飯を頂きました。


いろいろな野菜を、いろいろに調理したものをご飯に乗せ、たれをかけていただきます。
美味でした。


さて、午後からも裏削りの続きです。


サンドペーパーを使わないで、ノミ仕上げにすることになり、ささくれ立っているところを、更さんがきれいに削って、仕上げてくださいました。


家族四人で参加された方、家族の名前を焼き鏝で入れるために、鉛筆で下書きしているところです。
私の選んだお皿と同じ形のお皿ですが、コップホルダーのないものです。
一歳児は眠ってしまいましたが、三歳児は、木っ端の積み木を新幹線や駅に見立てて、7時間半、よく遊びました。


竹のコップもつくり、焼き鏝で名前を入れ、クルミの油を塗って、仕上げました。
竹のコップは、底のあたりを穴に合わせて細く削り、皮はかんなで取り去り、内側の面を取って薄くして、飲みやすくしてあります。


どうですか?
素敵でしょう!
松ですから、だんだん飴色になります。






2017年7月1日土曜日

頭陀袋


片づけをしていたら、モンの袋が出てきました。
糊で模様を描き、藍で染めてつくったもので、タイのバンコク郊外のパナッニコム難民キャンプにいた、モン人の難民が売っていたものです。

ラオスに住んでいたモン人の一部は、アメリカに利用されて、ヴェトナム戦争に巻き込まれました。ヴェトナム戦争でラオス民族戦線が勝利したのち、アメリカに加担したモンたちはラオスに留まるのが難しくなり、メコン川を渡ってタイに出てきました。1979年からのことです。
難民となった人々は、タイ北部の国境沿いの、バン・ビナイ、バン・ナムヤオ、ソプトゥアンなどの難民キャンプで、気の遠くなるような長い年月をすごしたのち、アメリカ、オーストラリア、フランスなどへの定住が決まった人たちは、バンコクに近いパナッニコムの「出国準備キャンプ」に移され、そこで、出国手続きや健康診断をするとともに、語学、職業訓練など、定住に必要な最小限を学んだ後、第三国へと旅立っていきました。


パナッニコム・キャンプは、忙しいキャンプですし、通常数か月しか滞在しないので、これは、国境添いのキャンプでつくって持ってきたか、染めていた布を運んできて、仕立てたものでしょう。

袋にするために染めた布で、肩紐にも動物が染めてあります。


この形の袋は、タイやラオスでは、定番中の定番です。
お坊さまは、袈裟と同じ山吹色や暗黄茶色の、この形の袋しか持っていません。ラオスでは、子どもたちの学校鞄として、この袋が使われています。
タイに住んでいた時は、私も使っていたし、息子たちも使っていました。


肩紐布と袋布の二枚の布だけ組み合わせてつくる、シンプルな袋ですが、大きいのでも小さいのでも、自在につくれます。
タイ北部の村では、幅が60センチもあるような大きな袋を、山地に住む人たちが、額に紐をかけて、背中に背負い、物資の輸送に使っていました。
山から、ミェンという、お茶の葉を発酵させた嗜好品などを運んできて、米や魚などと交換して山に戻るのです。
その袋は、ふもとの村に住むおばあちゃんが織って、縫って、つくっていました。


シンプルな袋だからこそ、意匠にこだわることもできて、こんな、絹の紋織の袋まであります。
もっとも、絹紐だと肩からすべって、とっても使いにくいので、お金持ちだからと贅を尽くせばそれなりの見返りがあるのではないところが、面白いところです。