2014年1月30日木曜日

きりこ



仙台でもう一軒、Hさんに連れて行っていただいた飲み屋は「炉ばた」、全国にある炉ばた焼きの店の元祖だそうです。
コの字型のカウンター席の中には畳が敷いてあり、真ん中には炉があって、お酒のお燗をする、お湯の入った燗鍋が火にかけてありました。

普段ほとんどお酒を飲まず、飲む時も冷やで、熱燗の味はすっかり忘れている私ですが、炉の道具の風情に惹かれて、久しぶりに熱燗をいただいてみました。絶えて久しく忘れていた味でしたが美味。お酒もすすみ、お酒は熱燗がいいなぁと、思ったことでした。

お酒と言えば必ずお燗をする時代がありました。
父の晩酌も熱燗でしたし、もっと小さい頃、家に客人があったり寄り合いのときは、忙しい大人に代わって、空のお銚子と燗をしたお酒を持って、台所とお座敷のあいだをを往復するのは子どもの役目で した。


その「炉ばた」の神棚に貼ってある「きりこ」は、南三陸地方に古くから伝わるお正月の切り絵です。


神職が切ったもので、各神社で違った意匠になっているとか、「炉ばた」には三枚飾ってありましたがどれも素敵でした。
神棚の達磨は、仙台の松川だるまでしょうか。


次の日に、Hさんに松島、石巻、女川、南三陸町と連れて行っていただきました。
町が津波で一掃された南三陸町志津川の仮設の商店街には、


きりこの意匠でつくった切り絵を模した看板が、ずらっと並んでいました。
今は、きりこの看板が仮設商店街の周りに集められていますが、土地整備のはじまる前は、酒屋さん、散髪屋さん、八百屋さんなどなど、津波で流される前にお店があった、その場所に立てられていたものだそうです。
一つのお店で二枚セットのきりこには、屋号や職業のわかる絵を切ったものと、メッセージとが表されていました。





4 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

「長火鉢の思い出」
戦前京橋の伯母の家に母と遊びにいきました。
伯母はいつも長火鉢と神棚の前に、、、
美しい灰ならしが私の思い出です。
お小遣いはかならづ引き出しから、、、。
 戦後アメリカがずいぶん買占めたとか、
昔からある便利な生活のセットですね。

さんのコメント...

昭ちゃん
昔は粋な女性がいっぱいいましたね。伯母上は、長いキセルで煙草なんか吸っていませんでした?今、煙草が健康に害があると言われるおもな原因は、タバコ栽培に使われる農薬と、巻き紙に含まれる化学物質が、煙になった時に発がん物質を出すのだそうですね。もともと、アヘンでも煙草でもゆがんだ栽培や使い方をしなければ、薬でさえあったことでしょう。
長火鉢は時々骨董市で見かけます。昔より安いんじゃないかな。でも、長火鉢は買えても、長火鉢の周りに漂っていたまったりした時間は、永久に失われてしまいましたね。

昭ちゃん さんのコメント...

春さんまったくその通りで、
江戸時代から続いている気風のいいいなせな姐さんでした。
手の平で火種を転がし次をつけるまるで手品ですね。

さんのコメント...

昭ちゃん
あはは、どんぴしゃりでしたね。今はテレビの時代劇などでも煙草を吸う場面はほとんどありませんが、お歯黒したり眉を剃った人が出て来ないのと同様、キセルを持った人も登場しないのでは、ちっとも時代考証ができていませんね(笑)。
火鉢の灰は、木の灰ではなく、稲わらや小麦藁を燃してつくりました。