先日、我が家に初めていらしたTさんが、土間入り口を入るなり、
「あらっ、アサヒシトロンのビンがある。昔、森鴎外を読んだら、アサヒシトロンを飲む場面があって、「どんな飲み物だろう?」とずっと思っていたんだけれど、こんなビンに入っていたのねぇ」
と、感慨深げにおっしゃっていました。
たぶん、おもちゃ骨董のさわださんから買ったもの、
「ラベルつきだよ」
とかなんとか言われて、ビンの透き通った雰囲気や形が好きで、ラベルつきには全然こだわっていない私は、たいした感慨もなく持ち帰ったものだと思われます。
さっそく、アサヒシトロンで検索してみましたが、アサヒビール・リボンシトロンは出てきても、アサヒシトロンは出てきません。
ビンの底に近い方には、「ASAHI BREWERIES.LTD.」とあり、
ビンの肩近くには、見慣れた三ツ矢のマークがついています。
ラベルには、Dia Asahiと大きく筆記体で書いた下に、アサヒシトロン、発売元は群馬酒販と書かれています。そして、その下に小さな文字で、製造元は宇都宮にある多喜屋となっています。これだけで、えらい複雑です。
ウィキペディアには、
「大日本麦酒株式会社は、GHQが指示した、過度経済力集中排除法による会社分割で、1949年に朝日麦酒株式会社と、日本麦酒株式会社に分割され、三ツ矢サイダーはユニオンビールと共に朝日麦酒が継承し、戦前までの「アサヒビール・リボンシトロン」の組み合わせから「アサヒビール・三ツ矢サイダー」の組み合わせに代わった」
と書いてあります。
ということは、1949年には、アサヒビールからは三ツ矢サイダーを出しているはずだし、今もある群馬酒販がこのラベルの群馬酒販なら、昭和34年創業ですから、このアサヒシトロンは、1959年以降に売り出されたものとなります。
そして、肝心の森鴎外は、1922年に亡くなっています。
これまで、なんとなく左から書いてあるものが戦後、右から横書きしたものが戦前と思っていましたが、明治のカタログなど見ると、左から横書きしたものもちらほら見ます。としても、朝日麦酒株式会社と三ツ矢サイダーの陽刻がビンに一緒に刻まれていることから、これは1949年以降につくられたものに違いありません。
ということは、Tさんには残念な結果ですが、森鴎外が飲んだのは別のアサヒシトロンということでしょう。
余談ですが、ラベルに大書きされているローマ文字の筆記体、かつて私たちが英語を習いはじめたときは必ず書かされ、試験にも出てきたものですが、それは日本だけの現象だったようで、今では(というかずいぶん前から)学校では全く教えてないそうです。