2011年9月29日木曜日
米揚げ籠
少し昔の日本では、米揚げ用の籠(笊、じょけ)は、家庭の必需品でした。
三つのうち、一番大きいものが直径約40センチ、五升用の籠(五升じょけ)です。
この籠は、東京の立川にあった、たぶん甲州街道に面していた、大きな大きな籠屋さんで買ったものです。
その籠屋さんは、販売だけでなく製造もしていたでしょうか?今となっては定かではありませんが、製造していたとしても、全国から集めた籠を販売していたようでした。
当時、立川あたりには、まだ農家もたくさん残っていました。1970年代のことです。
買った当時は、籠にについて何も知らず、産地もたずねませんでしたが、『すまう・写真でみる日本生活図引』(須藤功編、弘文堂)に収録されている、昭和20年代から40年代の写真で見ると、この米揚げ籠は、九州や四国の籠のような気がします。
水俣のかごやさんは、今でもこれと同じ籠をつくっています。五升じょけどころか、一斗じょけ、二斗じょけもつくって、手仕事を次世代につないでいらっしゃいます。
縁が美しく巻かれていますが、縁の巻き方だけでは、西の方でつくられたものと決められません。
写真を撮ろうとしたときに入ってしまった猫がじゃましていますが、東京の篠崎笊は、やはり真竹製で、縁も丁寧に巻いてあります。
もっとも、この籠は米揚げ籠ではなく、茶碗籠です。
福島県三島のマタタビの米揚げ籠です。
東北、あるいは信州のどこのものか特定はできませんが、鈴竹の米揚げ籠です。
東京の篠崎笊も含めて、関東以北の米揚げ籠は、西のものより深くつくられています。
浅い米揚げ籠は、籾を入れたり、むくための渋柿を入れたりと、多様な用途にも利用できますが、深いものは、米揚げに限定されていたのではないかという気がします。
我が家で、日常的に米揚げ籠として使うのは、一番小さい鈴竹の籠だけです。一度にお米をとぐのは三合、多いときでも、五合以上とぐことは、めったにないからです。
もっとも、お正月のお餅をつくときなどは、大きな米揚げ籠も、本来の用途で活躍してくれます。
2011年9月28日水曜日
はろうきてぃ
先日、珍しく所用で東京に行きました。
しかも東京の中枢部、旧都庁跡に行ったので、まるで、現代のピラミッドに紛れ込んだような気分でした。
東京駅にほど近いところ、ハローキティの絵を全面に描いた、はとバスが停まっていました。
バス全体が広告で埋めつくされたバスを、初めて見たのはバンコクでした。1990年代初頭だったでしょうか。
「おもしろいなあ」
と思っていたら、遅れて日本でも全面広告バス(ラッピングバス)が見られるようになりました。2000年ごろからのことです。
仕事を終えて、ビルの外に出てみると、別のハローキティのはとバスが停まっていました。
これって、広告なのか、ただの客寄せなのか、わかりませんでした。
何でも集めてしまう私ですが、また猫好きの私ですが、地域限定ものが多いというハローキティは、集めても底なしのようで、対象外です。
と、ここまで書いて思い出しました。一つだけありました。
六年前ほど前でしょうか。母のお供でお墓参りに行き、その帰りに岡山駅で買った、駅弁の容器です。確か、岡山名物のばら寿司が入っていたような気がします。
お弁当は、母に笑われながら新幹線の中でいただいて、桃太郎キティの容器だけそのまま持って帰りました。
2011年9月27日火曜日
西アフリカの木の実の楽器
西アフリカの楽器です。手で振って音を出します。
この楽器に使われている木の実は、モダマに見えます。モダマにしては、厚みが薄いのですが、こんな種類もあるのかもしれません。
楽器の上に、手持ちのモダマを置いて比べてみました。二倍くらいの厚さの違いがあります。
持ち手は竹のように見えますが、葦の親分のような草です。太く、硬くなり、中が詰まっています。
もっとも、竹でも空洞にならない種類がありますが、西アフリカの方には竹が生えていないと思います。
アサラトをペアで使うものだと知らないころ買いました。両手の指に引っ掛けて、手を振って、木の実を打ち合わせて使う楽器です。
アフリカ関係のイベントで手に入れたものです。
もともと音楽は苦手なのに、ガーナで彼らとの音感の違いをいやというほど知らされたので、アサラトを練習してみる気にもなれず、ただ木の実を愛でています。
西アフリカの人たちは、缶詰の空き缶だろうと、釘だろうと、打ち合わせたとたんに身体が動きます。連続して聞こえてくれば、よちよち歩きの子どもでさえ、身体中でリズムを取ります。
木の実の中には、トウアズキが入っているそうです。
どうせ、ペアで使うものですから、もう一セット買って、これをばらしてみればいいのですが、もったいながりやで、とてもできません。
それにしても、これは何でしょう?アサラトにしては、木の実はきれいに削られてしまっているし、模様は南米的です。
アサラトはもともと、お母さんが子どもにつくってやるおもちゃだったそうです。
2011年9月26日月曜日
2011年9月25日日曜日
ピクニックバザール
笠間の、みやもとかずみさんがアトリエとして使っている、豚小屋を改造したガラジで、毎年九月末の土曜日、日曜日に、ピクニックバザールが開かれています。
わかりにくい、駐車場もない場所ですが、年を重ねるごとに、賑わいが増しています。
木工のみやもとさんのほか、陶芸のしがみさこさん、左官のむらおかずこさんなど、作家さんたちが作品を並べています。
コーヒー屋台も出ていますし、しがさんは小さなバーをやっていて、今年は自家製のビールとサングリアを出していました。
いつものように、みやもとさんのキーマカレーを食べて、のんびりしました。
見つけたのは、おづつみあきこさんの陶器の小さな自動車でした。長さ四センチほどです。
2011年9月24日土曜日
ほろ酔い招き猫
この招き猫たちは、ただの置き物ではありません。
招き猫形酒ビン入りのお酒です。頭には、注ぎ口がついています。
この三匹は、以前群馬酒造に注文して送っていただいたものです。
だるまを抱えた猫、左手上げの猫、右手上げの猫などいろいろいますが、みんな「開運招福」と書かれた小判を持っています。
五匹の中で一番大きな招き猫は、骨董市で見つけた空ビンです。
やはり群馬酒造のものです。
中に、一匹だけ、「開運招福」ではなく、「福源」と書かれた小判を持った猫がいます。たぶんこれも骨董市で見つけたような気がしますが、よく覚えていません。
前垂れも、顔も違います。
右手前が「福源」招き猫ですが、注ぎ口のところで、頭が大きくへこんでいます。
ネットで調べてみると、安曇野に「福源」という酒屋さんがありました。江戸時代から続く老舗のようで、招き猫入りのお酒をつくっている雰囲気は、全然ありません。
いったい、どこからきた猫でしょうか?
これを書くために、群馬酒造もネットで調べてみましたが、検索の仕方が悪いのか、招き猫の形のビン入りお酒を見つけることができませんでした。
しかし、いらっしゃい招き猫焼酎というのを見つけてしまいました。
もっとたくさん、全国的に招き猫入りのお酒があると面白いのですが、酒造会社としてみたら、お酒を気に入ってくれたお客さんが、捨てにくいボトル入りのお酒をずっと買い続けてくれるかどうかは、疑問ですから、せいぜいラベルに招き猫を印刷するくらいで、止めておくのでしょう。
ラベルに招き猫が描かれているお酒は、わりとあります。
それにしても、酒ビンの招き猫さんたち、みなさん異国生まれの顔をしています。ビンだけ中国でつくられたものでしょうか?
こんな、ほろ酔い顔の招き猫にお酒が入っていたら、面白いのですが。
2011年9月23日金曜日
台風一過 その二
今朝の空は鉛色。
昨日とはうって変わった、寒々しさです。
ところで昨日、朝食をとりながら窓の外を見ると、パイプを立て、ネットを張って育てているうずら豆の支柱が、大きく傾いていました。
もうすぐ収穫時期を迎えるというのにたいへん、さっそくロープで引っ張ったりして、なんとか立て直しました。やれやれ。
戻ろうとして、ふと見ると、大きな桐の木が倒れていました。我が家の敷地続きですが、Hさんの土地に生えている桐です。
その前夜、台風のさなか、そういえば二、三度、みしみし音がしました。
「なんか、音がしない?」
「壊れるものはないだろう」
「あれっ、また音がした?」
「う~ん?」
なんて、のんきな会話をしていたのですが、そのとき、桐の木が倒れていたのです。
Hさんの土地は、もともと松林だったそうですが、松が次々と枯れ、そのあとに雑木が生え、私たちが越してきたときは、その雑木がみんなクズ、フジ、ツタなどの蔓に巻きつかれて、めちゃくちゃの状態でした。
折を見ては、蔓を切ったり、下草を刈ったりしたので、雑木も元気になりましたが、クズに覆われていたときに弱っていたとみえ、桐や少し残っている松は、これまでも台風や雷であっさり倒れてしまうことがありました。
それにしても大きな木が倒れたものです。
大きな音もせず、振動もなかったのは、他の複数の木の上に倒れていて、まだ地面に倒れきっていないからです。
「どうしようか?」
「どうしようもねえだろう」
「.....」
「それより、下の道路にSさんの杉が倒れているから、なんとかしなくちゃ」
と、夫。
さっそく見に行くと、杉が道路をふさぐように倒れ、電話線に引っかかってとまっています。
自分で切ると言う夫にしばし待ってもらい、NTTに電話してみました。電話線が切れるとたいへんなことになります。
しかし、NTTは台風の後始末で、忙しくしているようで、全然つながりません。
待っていられないと夫、電話線が持ちこたえるのを祈るばかりでした。
チェーンソーでまず二つに切りました。
そして、電話線に負担がかからない方向にロープで引っ張って倒しました。うまくいきました。
あとは、細かく切って、Sさんの土地に放り込んでいきます。
道路に出ていた部分をすべて切って、やっと一丁あがりです。
Sさんは、私たちが越してきたころ、梅と杉を植えてある土地をとてもきれいに管理していました。しかし、すぐに病を患って病院に入ったきりになりました。
その後も毎年、Sさんの妹が、シルバーさんを頼んで、年に数回は手入れしていましたが、今年はまったく草が刈られなかったので、どうしたのかと思っていました。
聞くところによると、妹さんも、家をたたんで、どこかへ行ってしまわれたということです。
あーあ、道路に沿った部分は反対側を刈るついでに刈っていますが、敷地の中までは刈りきれません。そろそろ梅の木も、クズやカナムグラに覆われそうになっています。
2011年9月22日木曜日
2011年9月21日水曜日
落し蓋
大豆を煮るために、落し蓋を出してみたら、みごとにカビだらけでした。
よく洗って、しばらく乾かしてから引き出しにしまっているのに、このところの湿度の高さに負けたようでした。
昨日から雨が降っていますが、台風15号の接近とともに、いよいよ本降りになってきました。
我が家の床は、塗装していない無垢の杉板です。冬場の乾燥時には、板と板の隙間が5ミリ近く開くところもありますが、今はどこもぴったりと閉じています。
洗うだけでは、十分でないような気がしました。
よく洗った落し蓋を鍋に入れて、石のすり鉢を重石にして、
ぐつぐつ煮ること約10分、なんとかカビは退散してくれたでしょうか?
木の落し蓋ですから、気をつけていても、夏場はが時々かびます。
でも、しまってあるのが全部いっぺんにかびることはそうありません。
当分、外で乾燥させてみますが、それでもかびるようだと、ほかの素材の落し蓋を考えた方がいいのかもしれません。
これを書き終えて、もしやとすりこ木やへらしゃもじなど見てみるとかびているものもありました。
やれやれ。
2011年9月20日火曜日
お菓子鉢
昔、私の祖母の家には、漆塗の菓子鉢がありました。
普段は使いませんが、お客さんが来ると和菓子などを盛って、客用の茶器とともにもてなしていました。
当時は、どこの家にもそんな菓子鉢があったような気がします。
我が家の菓子鉢は緋色で、いかにも「和風」ですが、北欧のものです。
合板でできていて、ステンレスの取っ手がついている、現代風なものです。
背が高いけれど直径が小さい(20センチ)方がいいか、背が低いけれど直径が大きい方がいいか、迷いに迷って、両方買ってしまいました。
両方あって正解でした。どちらも、同じほど出番がありますし、一緒に使うこともよくあります。
どうやって合板にしたのでしょうか。曲げわっぱのような継ぎ目は、まったくありません。型を使い、一つひとつ、丸く曲げながら、ずらして、重ねて、貼っているのでしょうか?
見れば見るほど、不思議なつくりです。
直射日光の当たる、戸外でのお茶には、この琺瑯のお菓子入れを使います。
瓦屋さんや左官屋さんなど職人さんのお茶、手伝ってくれた友人たちとのお茶など、家の建設中はもっぱらこの箱が活躍しましたが、室内の方が快適になったこのごろでは、出番が減っています。
雑貨屋さんで手に入れましたが、もともとは、医療器具入れとしてつくられた箱でしょうか?
菓子鉢に蓋があれば、片づけるのがちょっと遅れても、犬猫にうっかり食べられたりしないので安心です。
お菓子がほんの少ししかないときや、ごくごく小さなコンペイトウのようなお菓子には、アロン・サイスの陶箱を使います。
益子で素敵な織部をつくっていたアロン・サイスは、3月の地震とそれに続く原発事故により、ニュージーランドに帰国してしまいました。
アロン・サイスの自由な形は好きですが、残念ながら織部の色は、我が家のほかの器とはあまり合いませんので、これだけです。
蓋は、ずっと前に三つに割れてしまって、お隣のJさんに漆でつないでもらっています。
見えるところだけでなく、裏まで楽しくつくってあるのが、彼の器のおもしろいところです。
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