しばらく前に、つくばに住むUさんから、
「35年ほど前に、ぼくにプラムディヤの 『人間の大地』(インドネシアの小説)上下2巻とモハッシェタ・デビの『ジャック・モハーンの死』(インドの小説)を貸してないですか?」
という連絡が来ました。
さっそく本棚を調べると、『ジャック・モハーンの死』はあったので私の本ではないみたい(私が2冊とも持っていた可能性もあるけれど)だけれど、『大地』はなかったので、私のだろうと連絡しておいたら、先日持って来てくれました。ないことにまったく気づいていませんでした。
1983年 |
『ゲリラの家族』(プラムディヤ・アナンタ・トゥール著、押川典昭訳、めこん、1983年)は、「祖国を守ろうとして、崩壊していく一つの家族」を描いた、プラムディヤの初期の代表作です。
1986年 |
また、『人間の大地』以下4部作は、1960年から10年間、流刑地ブル島に勾留され、表現手段を奪われたプラムディヤが、同房の政治犯にその物語を日夜語って聞かせたという、長い長い物語の第1部です。
舞台は1898年から1918年にかけてのオランダ領東インドで、インドネシア民族が覚醒し、自己を確立していく長い闘いを描いた、インドネシア近代史再構成の物語で、1980年に同書が発行されると、インドネシアの人々は熱狂してこれをたたえ、初版1万部が12日間で売れるという空前の評判を呼びました。
当時の副大統領アダム・マリクは、彼らの親や祖父たちがいかに植民地主義に敢然と立ち向かったかを理解するために、この『人間の大地』を読むよう若い世代に奨励すべきである、との推薦の辞をよせ、またある評者は、この本はこれまでに出たすべての歴史書の存在を無意味にしてしまうとまで激賞しました。
しかし、あまりの影響力に驚いたインドネシア政府は、『人間の大地』、第2部の『すべての民族の子』、第3部の『足跡』、第4部の『ガラスの家』を発禁処分とし、現在もその処分は解けていません。
しかし、海外での評価は高まるばかりで、世界各国で翻訳発行されています。
1988年 |
私がプラムディヤを読んでいたころ、翻訳に時間がかかっていて、『すべて民族の子』の次の巻は、なかなか出版されませんでした。
読者よりも出版社「めこん」の桑原さん(小さな出版社で、社長の桑原さんが一人いるだけ、ときにアルバイトの人がいた)の方が翻訳があがるのを心待ちにしているはずなのに、会うたびに私は、「まだ続きは出ないの?」と訊いていました。当時、「めこん」は次々とアジア文学を出版していて、私は「めこん」の近くを通るたびに寄って、新しい本を見つけるのが、楽しみの一つでした。
あれから、『ゲリラの家族』を含めた5巻の内容をすっかり忘れてしまうほどの長い年月が経ちましたが、昨年、30年ぶりくらいに桑原さんにお会いする機会がありました。
お顔を拝見すると思い出したのはプラムディヤのこと、『人間の大地』の続巻が出ているかどうか訊くと、20年以上前に出ているとのこと、遅ればせながら、次巻の『足跡』(1998年)と『ガラスの家』(2007年)を買いました。
古本で買ったゆえ、出版社には何のメリットもないのですが。
『ゲリラの家族』は小さい字で2段組みになっていますが、『人間の大地』からは文字が少し大きくなり、1段組みになっています。
そして、最初の5巻は1冊が300余ページですが、『足跡』は786ページ『ガラスの家』は729ページの超大作、押川さん(もちろん面識なし)はよく訳されたなぁと感心してしまいます。
『足跡』まではミンケ(プラムディヤの分身のプリブミ。プリブミとはオランダ人でも混血でもない生粋のジャワ人)の主観で語られていますが、『ガラスの家』では、メナド人(スラウェシ島出身の人)であるバタビア警視のパンゲマナンが語る形式をとっています。植民地政府がプリブミの社会運動をどのように監視し、工作活動を展開したか、先住民でありながら権力の手先でもあるパンゲナマンが、ミンケを尊敬しながらも追い詰めていく立場を正当化するという屈折した心理が描かれているそうです。
『人間の大地』が戻ってきたことを契機に、『足跡』を開いて、再びプラムディヤの世界にはまっています。まだ、『足跡』の途中までしか読み進んでいませんが。
今年の7月、『百年の孤独』(G・ガルシア・マルケス著、鼓直訳、新潮・世界現代の文学、1972年)が文庫化されて、1大ブームを起こして売れているという話を聞き、驚いています。面白いけれど、長いし、難解なのに.....。
では、プラムディヤももっと売れ、読まれに読まれることも夢ではありません。