2022年3月31日木曜日

湯籠バッグ

いろいろなバッグを使い分ける人、すごいと思います。
私は、バッグを替えると、忘れものが出てしまうので、ほぼ替えることができません。どこへ行くのも同じバッグです。


この数年は、ほぼこの布バッグに頼っています。この一つ前に使っていたショルダーバッグも取ってはあるのですが、ちょっと小さすぎたので、今では使うことがありません。捨てるべきですが、もしもの時(どんな時?)にと、捨てられないでいます。
バッグには、財布、鍵、眼鏡、スマホなどの必需品と、エコバッグ、数枚のレジ袋を入れた巾着、夫の補聴器の予備の電池、櫛、手鏡、ティッシュ、ウエットティッシュなど入れた巾着、お薬手帳、健康保険証、貯金通帳などを入れた袋などを詰め込んでいて、出かけるときは、これをつかんで出さえすればこと足りるようになっています。

ところで、田舎住まいなので、出かけるときは車です。となると、ちょっと近所の郵便局などというときは、大きなバッグを持って行くとかえって邪魔になります。


その時に役立つのがこの湯籠です。


いなりぐちが欲しくて注文したとき、水俣の井上さんにご紹介いただいたからだと思いますが、おまけとしていただいたものです。以後、使い倒すほど使っていますが、ビクともしていません。


細いひごと太いひごを使って、美しく編み上げています。
縦横15センチほどの大きさですが、


当座必要なものが入れられて、探さないでさっと取り出せます。


湯籠をつくっているところを動画で見ることができます。
もっとも、縁巻きが違うし、持ち手のつけ方も違うので、動画の籠師さんはまったく別の籠師さんですが、形は似ているので大分県別府の籠師さんだと思われます。


いなりぐちの美しさは言うまでもありませんが、ささっと数をつくるのであろう湯籠も、本当に美しく仕上がっています。











2022年3月30日水曜日

もう、大丈夫


数日前のこと、朝起きると金魚のつくばいに異変が起こっていました。
縁に回した竹が乱れ、縁に座っていたkuskusさんのウサギくんがつくばいの中に落ちていました。上の写真は、落ちていた竹とウサギくんを拾い上げた後です。
「何が起こったの?」
つくばいの中をのぞくと、赤い金魚の姿が見えず、白、黒、赤、金のまだらの金魚だけが所在なさげに泳ぎ回っていました。餌をやってもいつものように食べないで、うろうろするばかりです。赤い金魚が縁から外に転げ落ちていることはないかと調べましたが、姿も形もありません。猫か何かに襲われたに違いありません。
暖かくなって金魚たちは、無防備に水面に浮かんできていることが多かったのですが、これまで外敵にやられたことは一度もありませんでした。またやられたくない。どうしたらいいか?
頭に浮かんだのは金網を被せることでした。


長い間金魚たちとともにいたウサギくんには、その役目を卒業するので、漂白剤風呂に入ってもらいました。


金魚が1匹ではかわいそうなので、やや大き目の金魚(鯉系?)1匹と、小さな金魚2匹を買ってきました。


新しい金魚たちをつくばいに放すと、先住のまだらは、新入りの大きい金魚に注目、追いかけまわしましたが、すぐに落ち着きました。
先住の金魚がいるところに新しい金魚を入れると、自分の縄張りに入って来たとばかり新入りの金魚をつつくことがあるそうですが、お店で、
「これがいい」
とお願いしたとき、元気に逃げ回ってなかなかつかまらなかった金魚なので、共存できると信じていました。しばらくして覗くと、まだらもすっかり落ち着いて、みんなで優雅に泳いでいました。
ぴったり置ける網を買ってきたので、野良猫の奇襲には、金魚たちも対応できそうですが、これではホテイアオイを浮かべられません。ホテイアオイは強い草なので、網の上からでも生きられそうですが、網の真ん中を刳り抜くという手もあります。


網を置いたのでつくばいの縁に置けなくなったウサギくんは、金魚のお守り役を引退して、室内に越してきました。

環境の変わった金魚を生かすコツは、2、3日餌をやらないことです。ということは、先住のまだらも断食につき合わなくてはなりません。
友だちができてすっかり落ち着いたまだらと目が合うと、申し訳ない気もしますが、がまんがまん。





 

2022年3月29日火曜日

恥ずかしながら


恥ずかしながら、また救急車で運ばれる怪我をしてしまいました。
のどかな田舎に響き渡る救急車のサイレン、ご近所迷惑は甚だしいものがあります。
天井を張っていたのですが、足場が悪く、ちょっと脚立の広げ方が少なかったのか、靴が滑ったのか低い脚立から転げ落ちて、たぶん基礎の角に頭をまともにぶつけて後頭部を切ってしまったのでした。


しばらくして気づき、現場から母屋まで歩いて帰り、脳外科に運ばれました。
傷口は5センチほどですが意外と深かったとかでなかなか出血が止まらず、髪の毛はぐちゃぐちゃになってしまいました。何針縫ったのかは知りませんが、縫った後、ホッチキスでは9カ所留めている音が聞こえました。


おでこは、思ったより出血が激しいと知っていますが、後頭部もすごい。でも出血した方がしないよりいいとは聞いていました。血液が皮下に残らないからです。おかげさまで、CTスキャンはとてもきれいでした。
というわけで、ちょっとふらふらしていましたが、入院もせず帰宅しました。
仰向けに寝るとちょっと縫ったところがつってしまいますが、右向きも左向きも大丈夫、後で木枕をしたら、首に当てるので仰向けにも寝られることがわかりました。
いつも履いている滑りやすい安全靴は、やっと捨てました。
来週の月曜日に抜鉤(抜糸ではなくて抜鉤とは何?ホッチキスも取る?)です。





 

2022年3月27日日曜日

大リーグのベースボール・ジャケット


先日、はなちゃんの母が、
「これ、まだたけちゃんが着られるかしら?」
と小さなスタジャンを持ってきました。小さいはなちゃんがこれを着ている写真も見せてもらいました。4月から次男一家が移転してくるので、荷物整理をしていて出てきたのでしょう。

長男がまだ小さかったころ、アメリカのデパートで、赤と緑、色違いのスタジャンを2枚買いました。
わりと粗末な布でできていて、傷んでしまったので、次男がこれを着られる年頃になったとき、ワッペンだけ取り外して、まったく同じ大きさで、ちょっと丈夫な布を使って、つくり直しました。
それをまた次男がよく着て、緑のはとっくにお払い箱になっていましたが、比較的傷んでなかった赤いのを捨てずに持っていて、それをはなちゃんが着てくれました。


表地は木綿、裏は木綿のネル、リブ編みの裾や袖口は、母が機械で編んでくれたものでした。


ワッペンは大リーグの各チームのもの、傷んだ元のスタジャンから取り外して、新しくつくったものに縫いつけました。
ボストン・レッドソックス、ワシントン・セネタース(現在のミネソタ・ツインズ)、ニューヨーク・ヤンキース、クリーブランド・インディアンズ(2022年から、政治的に配慮してガーディアンズに改名)と、


ボルチモア・オリオールズ、そしてデトロイト・タイガースの6球団です。
1970年ごろには、中国はまだ鎖国状態でした。この稚拙なミシン刺繍はアメリカでつくられたものか、それとも安いおもちゃなどの市場を占めていたホンコン製か、アメリカ製であるような気がします。
稚拙とは言いながらも、タイガーの顔の輪郭など、よく雰囲気を出しているなと、感心してしまいます。

たけちゃんには、今だとまだ、ぎりぎり間に合うかもしれません。ただ、最近の幼児服は、袖ぐりなど格段に着やすくなっているし、伸縮自在な織り方をした布を使っているし、軽くなっているしで、この服はもう着にくいものとなっている気がします。

まったくの余談ですが、朝の連続テレビ小説などを観ていて、昔の赤ちゃんが出てくると、いつも気になることがあります。それは、着物を着た赤ちゃんの抱き方を誰も知らないことです。どんなドラマでも、赤ちゃんの両脇を持ってそのまま抱くので、着物はずるっとせりあがって、脚がむき出しになってしまいます。
着物を着た赤ちゃんは、寝ている姿できちんと着物の裾を合わせなおして、それからお尻のあたりに手を当てるような感じで抱かなくては、着物がはだけてしまいます。それは当たり前のことだったのに、もう誰もが覚えていないようです。
息子たちの年代が、着物型の長着を用意された最後の赤ちゃんか、今では新生児もニットの着心地のよさそうな服を着ています。






 

2022年3月26日土曜日

窓、内側の枠


外からはめた窓を、内側から見たところです。
既製品を使っているので、柱と窓の取り合いが、場所によって違うのですが、ここの場合、サッシは柱と柱の間隔(芯々91センチ)に届かず、窓の脇にも細い壁ができます。


外側にはもう額縁をつくり、壁を張っていますが、内側では金属部分が見えています。
そこに、外側同様、額縁をつくって、金属部分を隠していきます。


窓サッシは、外側はアルミですが、内側は結露を防ぐために樹脂でできています。


まず額縁をつくり、上と左右の細い壁には仕上げの板を張りました。仕上げの板といっても、あの、夫が安く買った、短くて加工もしてない板の表面を磨いて使っています。
樹脂部分だけが見えて、金属は見えなくなっています。一番上の写真との違いがわかるでしょうか?


これは別の場所、床から立ち上がっている壁は、床を張ったあとで幅木(はばき)をつけてから仕上げるのですが、床につながってない壁は、床に関係なく仕上げることができます。


これで、出来上がりです。


内壁の板は本実(ほんざね)ではなく相じゃくりの板を使っているので、随所に釘が見えてしまいます。


これは、材木屋さんの設備部門で、その昔に仕入れたもののいくつか残っていたもので、ドイツ製の銅の釘です。


太くても柔らかいので、いちいちドリルで穴を開けて、力いっぱい打ち込まなくてはなりませんが、日本の銅釘や真鍮釘に比べて、段違いの安心感があります。ときおり、抜きたいと思っても、ぎざぎざがついているので抜けないほど、しっかり留まります。


薄い板には33ミリ長さの釘、厚い板には50ミリの釘を使っています。
さて、室内の開口部の処理に関しては、玄関ドアを除いて全部仕上がりました。






 

2022年3月25日金曜日

名残りの雪


雪の次の日の一昨日は快晴でした。
この積もり方、丸っこくて、


トラと小春を思い出しました。


アルミブリッジに積もった雪。


コンクリートタイルを敷いた道に積もった雪。


午前中は、北向きの作業棟の屋根の上には、雪がしっかりと残っていました。


そのうち本屋根の雪が、次々と滑って落ちて、下屋の屋根に溜まりました。


昨日、雪の降った次の次の日、下屋の屋根の雪はズルズル滑って、軒先まで進んでいました。


何度もこの下を通らなくてはならなかったのですが、直撃されませんでした。


そして今朝。雪はちょっとだけ残っています。







 

2022年3月24日木曜日

ディエベド・フランシス・ケレ


プリツカー賞は、建築の芸術性を通して、建築業界および人類に多大な影響を与えた、存命の建築家に対して授与される、建築界のノーベル賞とも言われている賞です。
2022年のプリツカー賞には、ブルキナファソ生まれのディエベド・フランシス・ケレ(65歳)が、アフリカ人として初めて受賞しました。

ブルキナファソの小さな村に生まれたフランシス・ケレは、少年時代に大工仕事を学んで、いつかもっと立派な、そして涼しい建物を造ることを夢見ていました。
1985年、ケレは大工の職業訓練の奨学金を得て、ドイツのベルリンに渡りました。日中は屋根と家具の作り方を学び、夜はその他のクラスを受講する生活を送り、1995年にはベルリン工科大学の奨学金を勝ち取り、2004年に建築の上級学位を取得しました。


受賞のきっかけとなったプロジェクトのひとつ、2001年に故郷のガンド村に建設した小学校です。


この学校の建設費用は彼が募った寄付で賄い、地元で採掘される粘土でつくった圧縮レンガを使い、地元の人々の手を借りてつくったもので、冷たい空気を室内にとどめると同時に、天井を覆うレンガから熱を逃すことで、エアコン設備なしに快適な室内環境を保てるように設計されています。


高いところに設けた張り出し屋根(オーバーハング)が、レンガの天井から熱を逃す作用を担っています。
この新しい校舎建設により、ガンド村の小学校の生徒数は120人から700人にまで増加したそうです。また、これをきっかけに、教師用の住宅と図書館も建設することになりました。
このプロジェクト以降、財団をつくって寄付を募り、その地域の資源を使い、地域社会の発展に資する建築をつくることが、フランシス・ケレの特徴となりました。


上の写真は、2016年に建設した、ブルキナファソ、クドゥグのリセ・スコージ中等学校です。


リセ・スコージ中等学校は、集会に使われるコミュニティースペースの建物を中心に、9つの建物群で構成されています。


縦に並べられたユーカリの木のフェンスが日除けとなり、生徒と教員が憩う、落ち着いた空間を生み出しています。


クドゥグのリセ・スコージ中等学校の増築部分、ブルキナ工科学校(2020年)です。


建設現場で成形した日干しレンガが、教室の内部空間を涼しく保ち、コルゲート鋼板の傾斜屋根は、ユーカリの木の幹で裏打ちされています。
屋根に落ちた雨水は地下の貯水槽に集められ、敷地内にあるマンゴー畑の水やリに利用しています。


これは、ブルキナファソのレオにある、外科クリニック+ヘルスセンターの建物です。
外科施設、入院病棟と、産科が併設されています。


その病院で働く研修医とボランティアのための宿泊施設、この写真だけではよくわからないのですが、外科クリニック+ヘルスセンターは、この写真の手前にあるのでしょうか?


病院の建物も宿泊施設も、圧縮レンガに漆喰を塗って、さらなる遮熱を目指すと同時に、レンガの風化を防いでいます。
写真だけではわからないのですが病院ですから、ソーラーパネルなどが設置してあるのだと思われます。


2014年の暴動の際に破壊された前の議事堂の代わりとして計画されたブルキナファソの国会議事堂は、段差と格子が特徴的なピラミッド型の建物で、127人収容可能な会議場を有しています。


これは、現在建設中のベナンの国会議事堂をの完成予想図です。


これ以外にもフランシス・ケレの建物はマリ、トーゴ、ケニア、モザンビーク、スーダンなどのアフリカ諸国で見ることができます。


また、アメリカやヨーロッパ諸国で、数々のイベントのパビリオンやインスタレーションを見ることもできます。

プリツカー賞の発起人であるハイアット財団のトム・プリツカー会長は、
「フランシス・ケレは、すべてが不足している土地で、地球環境と住人の持続可能性を追求する、建築界における草分け的な存在です」
と評価しています。そして、
「彼は建築家であると同時に、世界から取り残されている地域に暮らす無数の市民の生活向上に奉仕する人間なのです。ケレは、美、慎み深さ、大胆さ、発明力が包括された建築作品を通して、この賞が掲げる理念を優雅に体現しています」
と称賛しています。