2011年4月30日土曜日

人形と遊ぶ 完





最後の人形は、男の赤ちゃん人形です。

裸にしてみると、手は上腕から、足は膝下が片一方と、足先がありません。足はともかく、手は、その痕跡から、どんな手がどうついていたのか、かいもくわかりませんでした。

着物は、二枚着ているような、「見せかけ」がついているものを一枚着ているだけでしたが、ぼろぼろでした。
人形の着物は、新しい反物でつくることはまずありませんから、古着でつくったものと思われますが、それにしても、じっとしている人形が着ていて、こんなにぼろぼろになってしまったということは、どういうことなのでしょうか?長い年月が経っているということでしょうか?
とっても不思議でした。




着物は、祖母の着物でつくりました。
袖は、女の子の振り袖とは違っていて、袖口が、袖下まで開いています。着物の縫い方の本にはなかったので、適当に縫いました。




下着は、もと同僚のNさんからいただいた、端布でつくりました。もう20年も前にいただいたものです。




結局、新しく買ったのは、針と、一体分の髪の毛、そして丸ゴムだけでした。
使うあてもなく、いろいろなものを捨てないで持っているのが、こんな時に役立ちます。もっとも、役立ったものはごくわずかなのに対して、死蔵しているものが多すぎるきらいはありますが...。

着物は四枚縫いました。これは最小限の枚数で、本当は女の子の下着と、男の赤ちゃんの肌襦袢か長襦袢も欲しいところです。
でも、今回はこれだけで十分、私の人形遊びは終わりです。

いつか、、きっと関心を示すだろう母にも、見せようと思っています。




2011年4月29日金曜日

山姥




何度か、「聖母マリアですか?」とたずねられたことがあります。
いいえ、れっきとした日本の土人形の、山姥です。




山姥は、日本の妖怪です。子どもをさらって食べたり、美しい女性の姿で旅人をもてなし、寝入ったら食べたりする、恐ろしい存在です。
日本各地に、いろいろな山姥伝説がありますが、自分の子を失った悲しみから、子どもをさらって食べるようになったという話もあります。
この、『たべられたやまんば』(復刻版フレーベル館、松谷みよ子文、瀬川康男絵)では、こんぞ(小僧)を食べようとしたやまんばが、おしょうにおだてられて納豆に化け、逆に食べられてしまいます。




そんなおどろおどろしい山姥に比べると、この鹿児島県の帖佐人形の山姥は、慈愛に満ちています。その昔、鹿児島市内の骨董屋で見つけました。
妊娠祈願・子育て祈願の人形、あるいは子の成長を願う、お雛さまの飾り物だったのでしょうか。

400年もの歴史を持つ帖佐人形は、太平洋戦争のさなかに途絶えました。私が鹿児島に行った頃には、すでに廃絶してから長い年月が経っていました。
その後しばらくして、型を小さくして、復活されたようです。

山姥の土人形はしかし、ガーナに行ったとき、船で送る長持ちに入れて、粉々に割ってしまいました。残念でしたが、時間がたっぷりあったので、手間をかけ、しっかりと継ぎ直しました。
今だったら、日本でだったら、きっと修復はあきらめていたことでしょう。




写真を撮っていると、いつも邪魔が入ります。




その邪魔は、私がコンピュータに向かっていると、いつのまにかデスクに置いた籠の中に収まっています。



2011年4月28日木曜日

まち針



人形の着物を縫ってみて、改めて思ったのは、和裁はまち針をたくさん使うということでした。
そして、次に思ったのは、江戸時代、お針で内職をする人も多かった時代に、少ない着物を洗っては縫い直さなくてはならなかった時代に、人々はどんな縫針やまち針を使っていたのだろうかということでした。

今と違って工場生産できなかったのですから、つい、針を一本一本つくるのは、大変な作業だったと思ってしまいますが、存外、鍛冶仕事ですいすいつくっていたのでしょうか?
メッキ処理などないので、ちょっと使わないと、二度と使いものにならないほど、錆びてしまったことでしょう。針仕事をする人も、年中休みなしだったに違いありません。

でも、どうやって、針穴を開けていたのでしょう?興味津々です。




骨董市で見つけた、昔のまち針です。頭はガラスでできています。
いつごろのものかはわかりませんが、いまのまち針と比べると、ずいぶん太く、薄い絹には、突き刺さりそうにありません。

私が小さい頃は、祖母の針箱の中で見るまち針は、セルロイドの頭だったような気がします。あるいは、薄いボール紙のような頭のまち針もあったでしょうか?ガラスの頭は見たことがありませんでした。




こちらはいつも使っているまち針です。
ホームセンターで買ったものですが、かわいい頭が気に入っています。使っているうちに曲がったり、頭が取れてしまうものもあり、まち針は数年に一度くらいは、新しく補給しなくてはなりません。

頭のまん丸い、西洋まち針を使ってみたこともありましたが、短すぎるので、もっぱら日本形のまち針を使っています。
もっとも、お裁縫はめったにしませんが。




これも、骨董市で見つけたもの。
セルロイドの派手な色が気に入っています。包装の裏に、学校で使うために、まち針の頭の裏に名前を書くことができるとの、説明書きがあります。




包装がかわいいので、なかなか使えません。
こうやって、私の裁縫箱の中には、使わないものが増えていきます。仕方なく裁縫箱も増えて、いま三つ持っています。あ~ぁ。

でも、ときおり裁縫箱をあけて、使わない裁縫道具を眺めてみるのも、これはこれで楽しいことです。


2011年4月27日水曜日

牛車



その昔、タイ国境にできたカンボジア難民のキャンプでは、たくさんの人々が、審査に通って、アメリカ、ヨーロッパ諸国など、第三国に定住するのを待っていました。
直接的には、ポル・ポトの圧政を逃れて、地雷の埋まっていた国境を超えてやってきた人々でしたが、もとをたどれば、ヴェトナム戦争の結果としての難民ということで、アメリカをはじめとする各国が受け入れを表明した、珍しいケースでした。




難民の人々は、誰もが着の身着のままで、家財道具などもほとんど持っていません。
そんななか、手に技術のある人は、キャンプで竹籠をつくったり、木彫りや石彫りのアプサラと呼ばれる神さまをつくったり、配給の缶詰の空き缶を使ったオイルランプをつくったりして、キャンプの内外の人に売って、少しでも今後の生活費の足しにしようとしていました。

そんな、難民の人がつくって、自分の小屋先に並べてあった牛車です。いろいろな木を使っていて、よくできていて、車輪もまわります。
タイでは牛車を見ることはありませんでしたが、後に訪れたカンボジアで、これとそっくりの牛車を見たり、乗ったりすることになりました。




ただのおもちゃというだけでなく、これを見ていると、牛車の構造や、牛のつなぎ方などがよくわかります。
これをつくった人は、きっと本当の牛車もつくっていた人に違いありません。

2011年4月26日火曜日

人形と遊ぶ 三





一番左の人形は、ゴムが伸びきって、頭が首から離れがちで、手もだらっとしていました。

ビスクドールなどつくったことがないので、身体の中がどうなっているか皆目わかりませんでしたが、キューピー同様、ゴムで引っ張っていることはわかります。
丸ゴムを買い、なんとかなるだろうと、伸びたゴムを切ってみました。




それぞれのパーツにフックがついていて、なんとかなりそうです。
手と手は、首のところが大きく開いているので、簡単につなぐことができました。
足と首は、右足と首、左足と首というように別々につないでなくて、一緒につないでありました。

ゴムは、そうとう強く張らなくては、ぴっちりとはまりません。普通は、ピアノ線の先が折れ曲がっているような道具を差し入れて、ゴムを引っ張るようですが、適当な道具がありません。
どうやって、首のフックに通しておいたゴムを引っ張って、足の穴から出せるのか?ヘアピンを使ってみたり、試行錯誤でした。
最終的には、ゴムに長めの紐を二本結んでおいて、その紐を、足をつける穴から出しておき、紐を引っ張りながら、ゴムがのぞいたところで捕まえて、足のフックに引っ掛けました。
うまくいきました。




手足がついたら、今度は髪の毛です。前からみると少し髪がありますが、




後ろからみると、ほとんどありません。
ネットで、人形の頭髪用の、モヘアを買いました。一方の端が編んであって、長い長い縄のれんのようになっています。
頭髪植えつけ用に、キャップのようなものも買いましたが、使いませんでした。




頭髪を剥がしてみましたら、束ねた髪の毛をボール紙の穴に入れて、それを乗せていました。




同じ方法で、ぐるぐる巻いたモヘアをボール紙の穴に突っ込み、頭に接着しました。




それが乾いてから、頭の下の方から、残りの頭髪を、ぐるぐる、螺旋状に貼りました。




着ていた服は、色が褪せているだけでなく、ぼろぼろでした。




しかたなく、手持ちの古いハンカチを二枚使って、新調しました。細かい模様のハンカチを表布に、洗いすぎて無地に近くなっていた、ちょっと厚手のハンカチを裏布にしました。




頭は、いろいろ試みたのですが、ぼさぼさです。どうしてもハリネズミスタイルから脱却できません。
当分、このままで過ごしてもらうことにしました。


2011年4月25日月曜日

染料のビン





毎年、日当たりのいい斜面に咲き乱れるタチツボスミレです。白花のスミレも、濃い紫色のスミレも咲きますが、タチツボスミレが一番花が大きくて、繁殖しています。
そんなタチツボスミレを摘んできて、小さな花瓶に挿そうと思ったら、どれも口が小さすぎます。
もっと口の大きな花瓶はと見回したら、ボブビルのビンがありました。

ボブビルは、イギリスの調味料(コンソメ)入れです。





昨年、プランターごといただいたプリメラ・マラコイデスについてきて、今年はマラコイデスは出なかったのに、プランターいっぱいに増殖したパンジーが、プランターだけでは足りずに、庭のあちこちに花を咲かせています。

パンジーは、あさひ染のビンに挿しました。
あさひ染は、毛糸や布の染料だったのでしょうか?
祖母や母は、私が小さい頃、よく毛糸を染めなおしたり、着物をほどいて絞り染の布団をつくったりしていましたが、たしかみやこ染という名前の染料でした。




どこの家にも、染料の一つや二つ、当たり前にあった時代がありました。
それとも戦後も、こんなことをしていたのは、私の家だけだったのでしょうか。お雛さまのときに、天井からつるして飾る和紙の桜も、縁をほんのりと桃色に染めてくれました。
染料のビンは、落ちにくい染料が付着しているので、すぐに捨てました。土に埋めたでしょうか。

だから、ときおり骨董市で染料のビンを見かけると、不思議な気持ちがします。もしかして、掘り出したものでしょうか?まさかね。

私が持っている染料のビンは、馴染みのあったみやこ染ではなく、まったく知らなかったあさひ染のビンと、京染のビンです。
京染のビンには、まだ染料が付着しています。





2011年4月24日日曜日

ガラスのキューピー





キューピーが、まだ残っていました。
キューピー型のニッケ水のビンです。
こんなに特徴的なビンなのに、いつ、どこで買い求めたものか、全然覚えていません。わかるのは、もう20年近く、我が家にいるということだけです。

初めて手に入れたひょうたん型のニッケ水のビンは、25年ほど前に、京都大学の近くの雑貨屋さんで買ったことを鮮明に覚えているのですが、時々記憶にないものがあるのは、どうしたことでしょう。

もともと不安定なので、低いところに置いておいたので、今度の地震でも割れませんでした。




ブリキの、おもちゃの金盥(かなだらい)には、浦島太郎になりすまし、亀の背中に乗って、竜宮城から戻ってくるキューピーが描かれています。
戦前のおもちゃで、同じ模様のバケツもあるそうですが、私は持っていません。




持っているのは、金魚のバケツだけです。
両方とも、近所で開かれる骨董市で、顔なじみの骨董屋さんから買いました。

ところが、先日、震災後初めて行ってみた骨董市では、彼は店を出していませんでした。しかも、彼の定位置には別の店が出ていました。福島県郡山の骨董屋さんなので、どうしたのかしら、もしかしたら被害が大きかったのかしらと、心配しています。
大きな津波被害と原発事故に隠れて、ほとんど報道されていませんが、郡山など福島県の内陸部でも、茨城県の各所でも、通常だったら大ごとの被害が、かなり出ています。まだ水道が復活していない地域もあります。

もちろん、大きな被害とは比べようもないのですが。



2011年4月23日土曜日

火を吹く怪獣





底に車がついていて、弾みをつけると、火を吹きながら走っていた、小さなゴジラです。
息子たちが中学生になってから買ったものだから、もしかしたら、私が好きそうだと、見つけてくれたものかもしれません。
久しぶりに走らせてみたら、走るけれど、火は吹きません。




別の怪獣もいます。右は誰?
やはり火は吹かなくなっていました。




胸から光線を出していた、ウルトラマンもいました。
ウルトラマンは、光線を出さないどころか、走らせようとしてもつんのめって転ぶばかりです。
何度やっても転んでしまう。どうしたのでしょう!








2011年4月22日金曜日

人形と遊ぶ 二





汚れたり、傷んだりした人形の修理が、遅々として進んでいます。




最初のうち、人形の着物を縫うことは、苦痛以外の何ものでもありませんでした。しかし、形になっていくにしたがって、だんだん楽しめるようになりました。
そして、合理的な縫い方を編み出してきた先達たちに舌を巻いています。着物を縫うのは、見た目よりはずっと易しく、そして丈夫に縫えるのですから。




糸は、大叔母の裁縫箱を、母から譲り受けたときに、その中に入っていた糸を使っています。
昼間は土いじりや大工工事をしているので、手が荒れていて、うっかりしていると、絹糸が手に引っかかってしまいます。




細い針は、二本だけ裁縫箱に残っていたのですが、縫うときの力の入れ方が悪く、両方とも折ってしまったので、しかたなくネットで、縫うための短い針と、くけるための長い針を買いました。
細い、細い、針の穴も見えないくらい細い針です。




とうとう、三つ折れ人形の女の子の長襦袢が縫いあがりました。
着物は祖母の羽織り裏でしたが、長襦袢は母の長襦袢だった布です。




着せてみると、まあまあです。「可」くらいでしょうか。

というのも、普通、人形の着物は、着物とその下に着る下着、そして長襦袢の三枚がセットになっているようなのです。ところが、下着は仕立てていません。
着物と長襦袢の二枚だけなので、振袖の振りのあたりがなんとなく寂しく、おまけにもとから身につけていた、長さの違う肌襦袢の袖が、振りの間から見えてしまうので、あまり姿がよくないのです。

また、袖を短くつくりすぎたので、幼児用の着物にはつきものの、肩上げもできませんでした。
帯は、ちりめんの布を縫ったものですが、気に入っています。




当分はこれで勘弁してもらいます。


2011年4月21日木曜日

瀬川康男の犬棒かるた


  子育て時代に、私は瀬川康男の絵本が大好きでした。子どもたちは、瀬川康男の本ならどれでも好きというわけにはいきませんでしたが、『ことばあそびうた』(谷川俊太郎詩、福音館書店)や、『おおさむこさむ』(こどものとも、福音館書店)などは好きで、一緒に楽しみました。


  そのころ、福音館書店から、瀬川康男のかるたが発売されました。


本棚にしまえるカバーを開けると、かるたの箱と解説書も入っている、贅沢なつくりのかるたでした。


  そして、読み札も一枚一枚、手書きされていました。


絵のまわりに描かれている植物は、全部違う種類のものです。 「つきよにかまをぬく」の札のまわりには月見草が、「しらぬがほとけ」の札のまわりには蓮の花が、 「もんぜんのこぞうならわぬきょうをよむ」の札のまわりには仏桑華の花が、 「おににかなぼう」の札のまわりにはオニユリの花が配してあるという楽しさで、子どもたちと何度も何度もかるた取りをして、楽しく遊んだものでした。


  ところで、「びんぼうひまなし」の札のまわりの植物はいったいなんでしょう? ちょっと考えてみましたが、わかりませんでした。