2011年4月19日火曜日

人形と遊ぶ 一



しばらく前のことです。
骨董市で、まことさんの店に、きったない人形が並んでいました。
どれも薄汚く、手足をとめるゴムは伸びて、だらんとしています。割れた足を無造作にバンドエイドで止め、それがずれている人形もいるし、足も髪の毛も無くなってしまっている人形もいました。
遠目にはゴミの山のようでしたが、近づいて見ると、みんな、殊の外かわいい顔をしています。

なかに、一体だけ、損傷が少ない西洋人形がありました。
値段を聞いたら、ちょっと間をおいたまことさん、
「まとめて買ってくれないかなぁ」
「う~ん。そんな気はないなぁ」
私はにべもなく断りました。

一体だけさえも、買う決心がつかなかった私は、
「人形を買うなら、それなりの気持ちの準備がいるから、もう少し考えさせて」
と言って、家に帰りました。
人形は、手元に置くとおろそかにできません。やはり魂の存在を感じてしまいます。日本は人形を愛でる文化ですが、韓国のように人形を怖れる文化も、よく理解できます。

私は、市松人形もビスクドールも一体も持っていません。
小さいころ、お雛さまと一緒に飾っていた、私の着物を着た、新生児ほどの大きさの市松人形は、かわいいというより、目も半開きの口も恐ろしい感じでした。頭髪は、一部ネズミにかじられていたし...。
あの子はいったい、どこに行ってしまったのでしょう。
長じてからは、素敵だなと思う人形もときおり見かけましたが、買えるような値段の人形には一度も逢ったことはありませんでした。

家に帰っても、まことさんの人形が、ちょっと気になりました。
昼食後、売れ残っていたら、もう一度どうするか考えようと、一体分のお金を用意して、再度骨董市に行ってみると、人形はまだいました。

まことさんの話だと、たった二、三日前にこの人形たちを仕入れたとか、その時の領収書まで見せてくれて、
「おれも商売だからちょっと上乗せするけど、全部一緒に買ってくれるとありがたいなぁ。今まで一緒にいた人形だから」と、また言います。
人形たちは汚れたり傷んだりしていますが、確かにかわいいし、格安です。
そして、これまでずっと一緒に過ごしてきたなら、離すのがかわいそうな気持ちもよくわかります。

「でも、お金を持って来なかった」
「お金はいつでもいいよ」
「前に、そんなこと言われて、支払いしようとしたら、まことさん忘れてしまっていて、『なんだっけ?』って言ってたじゃない。またそうなるわよ」
「あははは。でもよかったぁ。一緒に買ってもらって」

というわけで、人形たちは全員で我が家に来てしまいました。




人形を詰め込んだ、昔の仕立物を入れる大きな箱を、夫に見つからないよう、裏口からそっと入れました。すぐにバレますが、しばらくは、内緒にしておきたいと思ったのでした。

修理は、一番痛んでなかった、右端の西洋人形(日本製)からはじめました。




手製のケープと靴下は脱がせて、顔を拭いたり、下に着ていたオリジナルの服を洗ってアイロンを掛けたりしたら、よい雰囲気になってきました。
まだ、手足をとめるゴムがゆるめですが、それは、他の人形たちの修理の目処がついてから、ゆっくり替えるつもりです。




次に損傷の少ない三つ折れ人形の女の子の修理にとりかかりました。
まず、バンドエイドを剥がし、割れていた桐のひざ下を接着しました。汚れていた襟を新しくすると、肌襦袢と腰巻は、そのまま使えそうでした。




袖がべっとりと汚れていた長襦袢は、洗おうとしたら、手の中でぼろぼろに崩れてしまいました。
着物も色褪せていて、みすぼらしいので、新しくつくらなくてはなりません。

自慢じゃないけど、着物は一度も縫ったことがありません。しかたなく、『やさしい、お人形さんのきもの』という本を、買ってみました。そして、人形が着ていた着物と、本の説明を参照しながら縫いはじめましたが、初心者には決してやさしくありません。




写真つきの、数ページにわたる説明を、何度も何度も読み返しても、なかなか理解できません。半信半疑で縫ってみると、はじめて、「ああ、こういうことか」と、腑に落ちることの連続で、一度に数工程こなすだけで、どっと疲れが出ます。




というわけで、休み休み、何日もかけましたが、やっと着物が縫いあがりました。
昔の人は、暗い行灯の光で、一晩で着物を縫ったとか、「うそでしょう?」と言いたくなります。

祖母の羽織り裏だった布で、ちょっと地味ですが、まあ我慢してもらいましょう。
次は、長襦袢です。
どうやら、長襦袢の縫い方は、着物の縫い方とは違うらしい。

まだまだ時間がかかりそうですが、まだまだ楽しめそうです。



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