2015年5月31日日曜日

トラと小春

あまり抱っこされるのが好きでなかったトラですが、最近、椅子に腰かけていると、脚に身体をすりつけてくるだけでなく、よくじっと見上げるようになりました。低い椅子に腰かけていると、勝手に膝に乗ってくることも増えました。年とって、人恋しくなったのでしょうか。
1903年の9月生まれですから、11歳です。


トラの左耳はちぎれ、右耳もお辞儀しています。
猫の耳はもともと冷たいのか、あるいはトラの耳だけ血のめぐりが悪いのか、耳をもんでもらうのが大好きです。


もともとは、トラにもちゃんと耳がありました。
2003年10月4日に近所の猫屋敷からもらってきて、この写真は10月5日のものです。


ところが、なんてこと!
10月13日には、もう耳がなくなっています。
最初、小心者の犬のうなぎは、トラにおびえっぱなしでしたが、そのうちに距離を縮めようとつきまとい、叱っても叱ってもトラの耳を甘噛みしてしまいました。
トラはまだ200グラム足らずと小さかったからか、耳の毛細血管が切れて血が通わなくなって硬化し、お医者さんに行くと、耳をおせんべいのようにぺきぺき折られてしまったのです。


それでもトラはうなぎを母と思い、出ないおっぱいを吸い、仲良く暮らしました。


やがて、2004年1月に小春が生まれると、トラの遊び相手はもっぱら妹分の小春に限定されました。


いつも一緒、小春もまったく嫌がらず、相手をしました。


そのうち、大きさが逆転しましたが、相変わらずの仲良しでした。


ただ、小春が不慮の事故で死んでから、トラにかまってくれる犬はいなくなりました。

トラが、廊下で待ち伏せして飛びついたりするのを、うなぎもうなぎの母のアルシも、小春のようには受け止めてくれず、嫌がったりおびえたりするからです。


昨日は小春が死んでから六年目の命日でした。
小春が生きた時間は、五年と四ヶ月だけでした。
死んでから一年ほど沈みきっていた残されたものたちは、六年も経った今では何とか立ち直りましたが、今だに小春の写真を見るだけでも、悲しさが押し寄せます。







2015年5月30日土曜日

光の魔術


朝起きて、玄関を歩いていたら、頭上に光を感じます。
「あれっ、電気を消し忘れていたかしら」 まさかね。夜じゅう真っ暗でした。


二階へ行ってみると、真東の小さな窓から、光が帯状に入り込んでいます。


正直、二階は展示室ですから、暗ければいいとしか思っていませんでした。
それなのに、こんなに光が楽しめるとは。

 
階段室には光が溢れていますがほんのいっとき、あっという間に陽がのぼって、もとの静けさが戻ってきます。
しかも、太陽の登る方向はぐんぐん違って、毎日光の入り方が違うので、居ながらにして宇宙を感じてしまいます。





2015年5月29日金曜日

麺類

我が家では、基本二食です。
西式健康法を実行するなら、間食はせず、お酒は飲まず、腹七分目にしなくてはなりませんが、間食はするし、お酒は飲むし、ついつい腹いっぱい食べてしまいます。

ただ、小松菜、ホウレンソウ、キャベツ、人参、大根の五種類の野菜をすりおろしたものはほぼ毎食食べるようにしています。まあ、続けられることだけを続けているという感じでしょうか。

そんな我が家、昼は麺類かパンのことがほとんどです。
というわけで、麺の在庫はすごい、食品庫には麺類を入れた容器が四個もあります。


八郷の五分づきの小麦でつくったうどんを入れている、イギリスの琺瑯の、もともとはパン入れです。


1930-40年ごろのものです。


これに、八郷のうどんがいっぱい詰まっている時もありますが、今は在庫薄、いただきもののそうめんも入っています。


カンボジアのブリキ屋さんの手づくりの缶には、手延べうどんが入っています。


缶の両方についている持ち手は、これ以上あがらないので、手をはさむ心配もなく、持ち易いという、優れものです。
カンボジアやタイのブリキ細工は、日本のブリキより厚いものを使っているので、重いうどんを入れても安心感があります。 


うどんは小分けにしていない徳用品、茹でたのが余ってもこしの強さが失われないので、おいしく食べられる三重県のうどんです。


あとの二つは、プラスティックの密封容器です。


大きい方には手延べひやむぎが、


小さい方にはスパゲティー、マカロニ、ビーフンなどが入っています。
大量に消費する春雨はまた別のところに入っています。

たった二人で、在庫あり過ぎという感じでしょうか。お米もたっぷりあります。
もっともそのおかげで、大地震後に数日間停電し断水しましたが、ボンベのガスが使えたので、沢の水を汲んできて、あるもので食いつなぐことができました。





2015年5月28日木曜日

本三昧


西洋珍職業づくし』を読んだとき、似た本を持っていたなぁと思い出し、本棚から引っ張り出してみました。


杉浦日向子の『一日江戸人』(新潮文庫、2005年)です。


この中に含まれる物売りの話はごくわずかですが、久しぶりに読んだら、すっかり杉浦ワールドにはまってしまいました。


はまりついでにと、ほかの本も取り出してきて、しばし江戸を楽しみました。
もっとも、『江戸アルキ帖』(新潮文庫、1989年)は読み返したりしませんでした。
何度か読んで、ほとんど覚えています。


ほかにも物売りの本があります。
『インドの大道商人』(山田和著、平凡社、1990年)は、路上で商売する人たちにインタビューした本です。


もう20年も前に読んだ本で、職業のいろいろがおもしろかったことはともかく、どんな本文だったかすっかり忘れていましたが、読んでみてびっくりしました。
山田さんのインドとつき合う姿勢もさることながら、あまりにも文章が美しいのです。

文章が美しいといっても、いわゆる美文調は嫌いです。
いつの時代にも美文調の人がいます。現代も、某料理研究エッセイストとか、某人類学者とか、書きだしから誇張した美文を連ねられると、鳥肌が立ってしまい、読み続けられなくなってしまいます。
また、最近の文学賞をもらうような、意味もない言葉が書き連ねられている文も、我慢が切れて読めません。そして、翻訳の文の中にも、
「日本語を勉強して、出直してきたら」
と言いたくなってしまうものがあります。

でも、山田さんの文は読みやすい。過不足なく、状況がしっかり伝わってきます。


というわけでもっと読みたくなり、『インド ミニアチュール幻想』(山田和著、文春文庫、2009年)を買ってしまいました。
こちらは、上の三冊のような社会の底辺の人たちの話ではなく、群雄割拠していたマハラジャやスルタンたち、いわゆるヒンドゥーやイスラムの王たちが私蔵していたインド細密画の話ですが、なにせ文がいい、自分でインドを旅しているような気になってしまっています。





2015年5月27日水曜日

八郷風景

今年は、大型連休のあたりに雨が降らなかったためか、田んぼによっては田植えが遅れています。
もっとも、遅れていると言っても昔に比べると、田植え時期は一ヶ月から二ヶ月早いし、品種は早生なので、冷害に遭うという問題もありません。
多くの田んぼは水道水を使っているし、山の水を使っている田んぼにしても、水が枯れるということはないので、待っていれば田植えができます。


私はと言えば、この時期だけしか見られない、田んぼに逆さに映った景色が、いつもの年より長く見られてごきげんです。

昨日も、郵便局で用を足して出てきたら目の前にこんな景色が広がっていました。






2015年5月26日火曜日

あたり!

八郷の工芸作家さんたちが自主運営している、近くのこんこんギャラリーでいま、「やさとの椅子展」をやっています(5月31日まで)。


ギャラリーの裏庭で石窯ピッツァも焼いていた今週の日曜日、のぞいてみました。
椅子展の感想などアンケート用紙に書くと、抽選があります。くじ運は徹底的に悪い私、手づくりの抽選機をがらがらと回したら、これは珍しい、「当たり」の赤い玉が出ました。
たぶん、今年の運は、これで使い果たしたかもしれません。


椅子をつくった方たちのつくった、小さな賞品たちの中から、自動車を選びました。


てっきり、陶器の自動車だと思っていましたが、家に帰ってよく見たら、木でできていました。
椅子をつくっているのは、おもには木工家の人たちですから、当然と言えば当然です。


それにしても、前から持っていた焼きものの自動車とすっかりなじんでいます。







2015年5月25日月曜日

マッサージチェア

14年間使っていたマッサージチェアが壊れてしまいました。今まで、何度か部品交換してもらったのですが、部品を保管しておくのは10年だとか、部品がどこにも見つからず、もう直しようがなくなりました。
買ったのは14年前ですが、店頭でお試し用として使っていたのを安く買ったもので、もっと前につくられていました。

ところで、私たちはマッサージチェアがないと身体が持ちません。
仮設小屋に住んでいたときでさえ、狭い部屋の一角にマッサージチェアが陣取っていました。 一日働いて、力を使いきって、身体がくたくたとき、マッサージチェアに横になると極楽です。そのまま、ぐっすりと眠り込んでしまうこともよくあります。
場所は取るし、形も決してよくはなく、マッサージチェアがないと室内はすっきりするのですが、身体の維持には代えられないのです。


ベッドの足もとに置いている古いマッサージチェアを片づけて、新しいのが入る前の寝室です。
それにしても、マッサージチェアがないと、なんてすっきりしているのでしょう。空気が軽やかです。

これまで持っていたものは、それでも割合シンプルなものでした。
形が気に入るものはなかなか見つかりませんでしたが、なんとか許容範囲のものを見つけ、今度はヤフーオークションで買いました。
部品の保管期間が10年ですから、あまり古いものは危険なので、値段、形などを見ながらの選択でした。

というわけで、とてもお見せできませんが、またマッサージチェアのある暮らしをはじめています。







2015年5月24日日曜日

ニシキ糊ビン

糊ビンが好きです。糊ビンを見つけたとき、同じものを持っていたり、不当に高いと感じたら買いませんが、たいてい心惹かれます。

それでも、同じお店で同じ時に、別の関心を引くものがあったら、糊ビンの存在はあっさり忘れて、他のものに関心を移してしまいます。
私にとって、糊ビンはそんな存在です。


ラベルが残っている、ニシキ糊のビンです。
今でも糊をつくり続けているニシキ糊工業株式会社は、ネットで調べてみると昭和27年創業です。ということは、戦後7年も経ってから創業したというのに、このラベルはどうして右から書いているのでしょう?


現に、『輸入・廃盤文房具発掘メモ』 というブログに掲載されている、北名古屋市の「昭和日常博物館」に展示されているニシキ糊のビンのラベルは、左から書かれています。
形も、少し違います。


しかも、効用書きにも、諸所に古い漢字が使われているので、謎が深まるばかりです。


素敵な字だけれど、戦後だったら、もっと新しげなラベルをつくるはずだと思ってしまいます。


さて、糊ビンの蓋はねじらず、緩やかにかぶせるのが一般的です。


蓋の裏には、プリントがあります。
もし戦後つくられたものとしたら、進駐軍のゴミの中から出てきたか、あるいは救援物資(ララ物資)として配給されたコンデンスミルク(?)の空き缶の、再利用ではないでしょうか。


中に入っていた糊は、最後までしっかり使われたと見えて、指ではとり切れなかった糊がこびりついています。
底にニシキという陽刻があるのですが、どうやっても読めるようには撮れませんでした。
 

高さも直径も37ミリほど、家庭では使いやすい大きさです。
大きい糊ビンの方は、事務所などで使われた業務用だったのでしょう。




2015年5月23日土曜日

お片づけ、しましょうね

去年の二月、関東地方に大雪が降ったとき、工作機械を入れているビニールハウスと、材木置き場にしているビニールハウスのフレームが、雪の重みでつぶされました。被害は関東一円だったので、フレームが市場から消え、新しいのを買うなら半年待ちという状況でしたが、作業棟さえ完成すれば要らないものなので、曲がったフレームを下から押し上げたりしながらそのまま使い続けてきました。

ところが、フレームがちょっとでも曲がると、ビニールには雨水が溜まります。
雨水が溜まって垂れさがり、いったん伸びたビニールは元に戻らないので、さらに溜まり易くなり、補修しておいてもついには水の重みでビニールが破れます。
ビニールの張り替えは手間だし、値段も高いので、破れた上から手持ちのシートを張ってその場をしのごうとしました。
ところが張ったシートにも雨水が溜まり、ずり落ち、破れ目から容赦なく雨が降り込みます。


とくに、中身が詰まっていて、下からユンボの力でフレームを押して矯正できなかった材木置き場の方は、もうめちゃくちゃな状態になってしまいました。

 
「梅雨の前になんとかしたいね」
ということで、別の場所に組んでいた単管パイプの使わなくなった物置を壊して、そのパイプで、ビニールハウスの横に材木置き場をつくりはじめました。
 

まず、中でも一番大切な材木をここに移し、移し終えたら今あるビニールハウスを取りはらって残りのものを入れる場所をつくる、そんな段取りです。


それと並行して、取り壊した物置の残滓、大風で倒れた松の枝、切った植え木などなど燃やします。
 

燃やしはじめてから4時間後、たくさんあったものはほぼ燃えました。


太い松もあったので、すべてが灰になるまでには、それからも3時間ぐらいかかりました。
すっきり。


今朝の焚き火場の様子です。


新しい材木置き場にはもうこんなに材木が並んだというのに、


ビニールハウスの中はめちゃくちゃ。
先が長そうです。