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2026年6月3日水曜日

「ぼんくら」の箕、いろいろ

6月3日は「みの日」=箕の日。箕の日に勝手に協賛です。

NHKオンディマンドで見ることができる、宮部みゆき原作の「ぼんくら」に箕が、正確に言えば箕形のちり取りが登場していました。
煮売り屋、豆腐屋、籠屋、団子屋、大工、桶屋、納豆屋などが暮らしている「鉄瓶長屋」を舞台に事件が起こる物語です。


これは、長屋の若い差配(さはい)の佐吉さんが掃除をしているところ、ちり取りとして藤箕(ふじみ)を使っています。

三木謙次さんの挿絵

文庫版『ぼんくら』の挿絵の佐吉さんも箕のちりとりを使っています。


しかし、いくら差配さんとは言え、フジを経材(たてざい)に使う藤箕は立派過ぎませんか?
藤箕は、おそらくいつの時代にも高価だったはず、ちり取りには、藤箕ではなく、竹でつくったもっと目の荒い箕が相応しいのですが、それも登場していました。


これこれ。
同心と中間の間にちらっと一瞬見える、壁に掛けてあるのが、ちり取りや土木工事などに使われた持ち手のある箕です。


別の店子のところにも、持ち手のあるちり取りの箕が常備してあります。


土木工事にも使われた荒物であった箕の縁を、江戸時代当時、針金で綴っていたかどうかは疑問ですが、この形の箕は広く普及していたものと思われます。
針金をつくる技術は、金属加工の技術が伝わった古墳時代から奈良時代に、すでに大陸から伝わってはいましたが、手づくりだったので高価ではなかったかと思われます。


余談ですが、部分的にしか映っていませんでしたが、板を組んだちりとりも出てきました。
私が小さいころ、各戸にあったのはこのようなちり取りでした。


差配さんのちり取りは、差配さんが使うものだから、長屋の住人が使っているものと区別したのかもしれません。


また、壁にか掛けてある、網代に編まれた箕もありました。
長屋の掲示板というわけでもないらしい。謎の使い方でしたが。

追記: 

5月3日の箕について「箕のページ」に取り上げていただいています。






2026年5月3日日曜日

津軽箕(?)

5月3日は「箕の日」、箕の日に勝手に協賛です。


上の写真の箕は、どこの箕でしょうか?
自然を編む知恵と技 箕』の「全国片口箕産地一覧」の写真と見比べたり、奥畑正宏さんの「調査ノート」を読んだりしながら推測して、「津軽箕」かなと思いましたが、はっきりとは特定できませんでした。幅90センチ、奥行き73センチ、高さ16センチの大きな箕です。
もしかしたら津軽箕ではないかも知れませんが、津軽箕であると仮定して、以下、津軽箕について書いてみたいと思います。

津軽箕の経材(たてざい)はフジ、緯材(よこざい)はイタヤカエデ、縁材はネマガリダケ、巻材はサルナシ(=ニギョウ)、補強材はヤマザクラの樹皮で、ヤマザクラは補強というより素敵な装飾に見えます。


『自然を編む知恵と技 箕』の第6章資料編の、「全国片口箕産地一覧」の表によれば、1950年代には、青森県弘前市の東目屋村と西目屋村の2カ村合わせて、箕のつくり手の家が約30軒ありました。
時代的に、津軽箕の生産量が最も多かったのは1955年(昭和30年)で、一人のつくり手が年間で300個ほど箕をつくり、できた箕は、つくり手自身がおもに青森県内を行商して売りさばきました。
30軒のつくり手がそれぞれ300個ずつつくったということは、1年間で9000個もの箕が生産され、青森県の農家に供給されたことになります。

太平洋戦争終戦以前の農業形態は、少数の地主が農地を所有していて、多くの農民は地主の農地を耕す小作農でした。
戦後まもなくの1946年(昭和21年)に、占領軍発案の民主化政策として「自作農創設特別措置法」が制定され、地主から農地を強制的に買収し、その土地を耕している小作人に払い下げる大規模な改革が行われました。また、農地改革によって創出された自作農が自身の土地をより効率的に耕作するためと、土地改良事業の一環として、1950年ごろから急速に区画整理(圃場整備)が組織的に行われるようになりました。
それらのことと、1955年が箕の需要のピークだったことは、深く関係していたように私には思われます。この頃までに箕が自作農になった各農家にいき渡ったのではないでしょうか。
私は昭和30年に1000円で購入したと墨書きのある箕を持っています。箕は自作農家には必需品だったものの、値が張るものでした。



さて、日本の片口箕の、もっとも古い出土品は、弥生時代前期(紀元前8世紀ごろ)のもので、箕は水田稲作とともに朝鮮半島からもたらされたものと推定されています。
もたらされて以後、箕は何千年にもわたって、農業などに欠かせないものとして、途切れることなくつくられ続け、使われ続けてきましたが、1960年代(昭和20年代半ばから30年代半ば)に、生業である稲作を含む農業の劇的変化により、衰退を余儀なくされました。



箕は、農具の中でも特別なものでした。
2025年に発行された『秋田県立博物館研究報告第50号』の、齊藤壽胤さんと丸谷仁美さんが書かれた、「箕を売る 太平(おえだら)箕の行方と箕売り習俗」には、以下のような一文があります。

 「箕」は、穀物を入れてあおり、籾殻や塵を選別する、または穀類を集める、入れる、 運ぶ、などに使われることが多いことから、箕そのものが穀類の豊穣をもたらすと感受され、刈り上げの節供や小正月の御霊の飯を盛る祭器具とも なり、また、病気や悪霊除却の呪具とも見なされて、
他の農具とは格段な信仰的に扱われることが明らかである。






 

2026年4月22日水曜日

市場籠の修理

先日、市場籠を使っていたら、なんか痛い。


見ると、持ち手に巻いた蔓(さるなし?)がささくれだっていました。このまま使えば傷が広がります。
そこで、布を巻くことにしました。


端布の引き出しに、丈夫そうな反物の端布がありました。
しかし、カーブしている場所に使うので縞では模様合わせが大変、布が硬いのでカーブに馴染ませるのが大変。


ということで、強度は劣りますが馴染みやすい、絣の古着の端布を使うことにしました。


これで大丈夫。汚く縫っているのですが、絣なので目立ちません。


2008年から活躍してくれている市場籠は、他に傷んでいるところはありません。

この市場籠を編んでくれた岩手県一戸の鳥越もみじ交遊舎では、2018年ごろから、材料のスズタケに花が咲いて枯れて、技術の伝承の危機に直面しています。
スズタケは120年周期で枯れるとされていて、復興するには20年もかかり、その間に次世代の籠師さんを育てることが困難で、存亡の危機に直面しているというわけです。
スズタケが生えているところを探して、少しずつ編んでいるようですが、なんとか乗り切って欲しいものです。










 

2026年4月5日日曜日

新しいくず籠

東京郊外で住んでいた家は、コンクリート打ちっぱなしでした。
断熱材のまったく入っていないコンクリートの家は、雨漏りはするし、結露はするし、冬は寒くて、住むのにかなりの根性が要る家でした。当時はコンクリート打ちっぱなしならそれが当然、公共施設も雨漏りで悩んでいたし、つくばで住んだ公務員宿舎も似たり寄ったりでした。
といっても、半地下や中二階、屋上や渡り廊下のある楽しいつくりで、息子たちや友だちにとっては遊園地のようだったのではないかしら。


その、床も壁も硬い家で使っていたくず入れは、合板の筒形のものでした。蓋つきと蓋なしのものをいくつか使っていて、コンクリート打ちっぱなしにはよく似合っていました。
合板のくず入れは、のちに住んだつくばでも活躍しましたが、引っ越しや留守を重ねているうちに傷つき、八郷に来た時にきれいな姿をとどめていたのはたった1つのみ、それをずっと居間で使ってきました。
しかし、木の家にはモダンなくず入れはあまり似合わないもの、居間以外の食堂、書斎、寝室、階段室などでは、もっと素朴な、ラオスの籠カンボジアの籠サラワクの籠などをくず入れとして使っています。

しばらく前に、連続テレビ小説の「ばけばけ」(だったか?)で、私の祖母が鏡台の横に置いて使っていた、竹で編んだ四角いくず入れとそっくりのくず籠をちらっと観ました。見たとたん、忘れ果てていたそのくず籠が、記憶の奥底からよみがえってきて、懐かしさでいっぱいになりました。それは、私が子どものころでさえ古めかしく感じていたものでした。
「そうだ、傷んできた合板のくず入れを、そろそろやめて籠にしよう!」
夫はみかんの中袋や、べたべたしたアイスクリームの包み紙などを、台所のごみ箱まで持って行くのを面倒がって、手近なくず入れに捨てたりするので、それに耐える籠を見つけなくてはなりません。


そして今、暫定的に中国の柳の籠を使っています。
頑丈にできているし、いざとなったらごしごしと洗えるので安心です。


もう一つ、くず籠候補があります。
その昔、中学生になって、日本で学んだ方がいいかと、タイから一足先に単身帰国して寮生となった長男に持たせたくず籠です。


油性ペンで息子の名前の書いてあるこの籠は、寮の部屋で使うからと小ぶりです。


よく見ると細かい仕事の籠です。
毎年バンコクでは、刑務所で更生のために受刑者に指導してつくられた工芸品の展示即売会がありました。
質の高い籠が並んでいて、今でも我が家の籠たちで、その展示会からやってきたものがたくさんあります。残念ながら、形はよくても防虫のためか、てっかてかにニスを塗り過ぎたものが多くて、これもちょっとニス多めです。






2026年4月3日金曜日

箕と言われているけれど???

4月3日は「箕の日」、箕の日に勝手に協賛です。


この韓国の籠たちは、「3個一緒で送料無料の箕」として売られていました。
箕のことを、韓国では키(キ)と言い、箕を振るうことを키질(キジル)と言い、この키 は日本在住の方が韓国で40年ほど前に手に入れたものとのことでした。


スズタケのような竹(笹)でできていて、なかなか良い形をしているのですが、本当に箕として使うものでしょうか?
柄の先まで40センチほど、こんな小さなもので、穀物を振るうことができるとは思えない、ままごとくらいにしか使えそうにない小ささです。


3つのうちのこの2つは、同じ人が編んだのか、縁は丸みを帯びて美しくできています。


ところが、右端の1つは縁線がきれいにカーブしていないし、深さもないので、別人が編んだように見えます。


きれいに仕上がっている籠の方は、曲げた角に竹の節をできるだけ集めるように編んでありますが、もう1つの方は、そんなことにはお構いなしで、節はばらばらに散らばっています。


口の部分は、丸いままの竹を芯にして、それに経材(たてざい)の割竹を巻きつけて、編み始めています。そのため、口は分厚くなっていて、塵取りとしては使えそうにありません。
しゃもじとして使うなど、別の用途があったのか、用途不明ではありますが、籠編みの専門家ではない人が自家用につくった籠(韓国にはそんな籠が多い?)にしては、とてもきれいに編めています。


もしこれが箕なら、どうやって使うのか知りたいものです。


ところで、」で検索していたところ、韓国にはおもしろい風習があったらしいことがわかりました。おねしょをしたとき、箕をかぶって隣家などに塩をもらいに行くのです。日本でも箕はほかの農具と違って、信仰や豊穣の対象になっていましたが、韓国でも特別なものだったようです。


また、韓国のニュースのサイトで、世界食糧デーの飛び切り素敵な写真も見つけました。
パキスタンのラホールで、女性が穀物(米か?麦か?ラホールならどちらの可能性もあり)をあおっている写真、なんと素敵な箕でしょう! 
あおり方も大胆で、これぞ箕といった写真でした。



追記:


かねぽんさんが教えてくれたのですが、これは箕ではなく、お米を研ぐ福じゃくし、ボグジョリでした。
もともと、収穫しても混じりものの多かったお米をこれに乗せて水の中で洗ったりして、石やごみと選り分ける道具でしたが、今ではお米がきれいに脱穀・精米できるようになって、道具としては無用になりました。しかし、旧正月の夜明け前にこれを買って玄関に飾っておくと、福が来るというお正月飾りとなって残っています。
個人でつくったものではなく、ある地方でみんなで集まってつくり、全国に売られたようでした。

余談ですが、お米を研ぐ道具としては、木鉢がありました。




 

2026年3月16日月曜日

思い切って捨てましょう!

生活道具であれ、電動工具であれ、壊れて新しいものを買ったとき、古いものをすぐ捨てるかどうか悩みますが、多くの場合取っておく傾向にあります。
私は家電や電動工具はすぐに捨てたいのですが、夫は何でも取っておきたい派で、チェーンソー、コンピュータ、丸鋸など、古いものがたまる一方です。
「この丸鋸は、きちっと直角が出ないし、何台もあるんだから捨てていい?」
「捨てちゃだめ! その丸鋸でゴムやプラスティックを切るから」
など、捨てない理由があったはずなのに、のちに夫がその古い鋸ではなく、私が一番大切にしている丸鋸でゴム板を切っている現場を目撃したりします。

夫には文句を言いますが、私にも捨てられなかったものがいろいろあります。


このビルマの籠の蓋もそうです。
姪の娘のみおちゃんに新しい籠を買ってきてもらって、もう役目を終えた籠なのに、うだうだと持ち続けています。


身の方はとっくにモビールにしてしまいましたが、蓋はそのまま取っておきました。


でも、無駄に場所を取っているし、そろそろ捨て時かもしれません。


写真は結婚するとき母が買ってくれたすり鉢とすりこ木のセットです。
すりこ木には、大きなひび割れが入っていますが、何年も気にしないで使ってきました。


しかし、よく見ると割れ目にゴマだの味噌だのが詰まっていて、だからと言って問題はなかったものの、そろそろ捨て時かと気づきました。


代わりのすりこ木がないわけじゃありません。
大きいすり鉢用の大きいすりこ木もあれば、その昔、友人の家で見た『婦人之友』に載っていた、辰巳芳子さん考案のすりこ木もあります。


茶漉しは、夫が勝手に食用ではない油を超すのに使って、文句を言ったら間に合わせで買ってきたものは、柄がすぐ外れるものでした。それでも、柄をはめれば使えたのですが、その柄をなくして使えなくなったので、右の茶漉しを新しく買いました。ずいぶん前のことです。お茶を入れるとき、茶漉しを使うことはほとんどないのですが、ときどき別のことで出番があります。
柄のない古い茶漉しは、夫が食用でない何かを漉したくなったとき使えるよう、目につきやすい台所の引き出しにそのまま入れていますが、何年も何もなかった。そろそろ処分した方がよさそうです。

まだまだ、古いシーツ、古い風呂桶、古い長靴などなど、思いがけないとき出番があるので捨てられないものがたくさんあります。シンプルな生活が、なかなかできません。







2026年3月6日金曜日

蔓の籠


ヤフーオークションで見かけた、バケツ形でちょっと楕円形の籠です。
蔓(かずら)で編んでいますが、収穫籠なのか、あまり見たことのない材料と形のものでした。値段は安かったのですが、送料の方が高かった、安いものにはよくあることです。


胴は市販の紐で、すだれや菰(こも)のように編んであります。


底は底で、蔓を楕円形に形づくりながら、紐で押さえて編んで、それを胴に取りつけています。
この写真で、胴の下縁の上に紐が見えていますが、この紐で底を胴につなげているというわけです。


胴の編みはじめと編み終わりはきれいに始末されています。
底をつくってからその円周に合わせて胴をつくったのか、胴を先に決めておいて、あとからそれに合わせて底をつくったのか、わかりません。


稲わらで菰を編んだり、竹や萩ですだれを編むときは、1段編むごとに新しい材料を差し入れますが、これは長い蔓を端(縁)で折り曲げながら続けて編んでいるので、長い蔓の長さが足りなくなったときは、端ではなく途中で新しい蔓を継ぎ足しています。


端で折り曲げながら編んでいるため、縁の始末をする必要はなく、縁は美しい仕上がりです。
この籠を出品されていたのは佐賀県の古道具屋さんです。
九州には蔓だけで籠を編む地域があったのでしょうか? もちろん、この籠が九州のものとは限りませんが、竹の手に入りにくい地域でつくられたのかなと思いました。


右のアオツヅラフジのテゴと比べると、その太さがよくわかります。蔓はでしょうか?


蔓は、どんなものでもいいというわけでなく、まっすぐに伸びた、太さが均一なものが必要なので、材料集めが大変です。
この籠は美しく編めているだけに、自家用につくられたものか、それとも売りものとしてつくられたものか、売りものとしてつくられたなら、年中蔓で籠を編む籠師さんがいたのか、それとも冬場の農閑期だけ編んだのか、籠師さんはほかの形の籠も編んでいたのか、などなど想像の広がる籠でした。

追記:

本田さんのご要望に応えて、外側と内側から見た底の写真や、つなぎ目の写真などを追加します。


底は、「これ、あり?」というくらい、紐でからめて形づくっています。


底材の最後の始末。



内部には、うっすら埃がついていますが使用感はないので、使わないで置いていたものと思われます。


節はできるだけ内側に来るように編んで、機能だけでなく美しさも考えていたことがわかります。