2011年1月31日月曜日

トゥルカナのボウル





東アフリカの、ケニア北部に住むトゥルカナ人は、木工をはじめ、手仕事に長けた人々です。

トゥルカナの木のボウルです。
東アフリカでは、西アフリカほど、容器としてヒョウタンが使われていないのは、何故なのでしょうか?
西アフリカでも木彫りの家具、彫像、マスクなどはたくさんつくられていますから、材料となる木が豊富にあったかどうかという問題ではなさそうです。

トゥルカナのボウルは、円形ではありません。円に限りなく近いもの、細長いものという差はありますが、必ず楕円形をしています。
そして、カーブが緩やかな面の一ヶ所に穴を開け、短い紐を通してあります。壁につるしても使っているのでしょう。

私は、このボウルを台所に置いて、半端なお菓子や海苔など、細々したものを入れて使っています。




この細長い形のボウルは、薄くて、すべすべに磨き上げてあります。




これには、祖母のミシンの引き出しに入っていた、ミシン糸を入れています。

私も、彫刻刀とノミで、ボウル(限りなくお皿に近いもの)づくりに挑戦してみたことがあります。でも、浅く彫っただけで、根気が尽きてしまいました。トリマーやルーターの使い方がうまくなったら、またやってみたいと思いますが、彫刻刀とノミだけでは、もうたくさんです。

それに比べ、トゥルカナの人が、簡単なナイフ一本で、こんなに深く彫り出したと思うと、ただただ脱帽するばかりです。




お椀ほどの小さいボウルです。釘入れにして使っています。




ほかの三つは、たぶんナイロビのお店、アフリカン・ヘリテイジで買ったものですが、この、今にも壊れそうなぼろぼろのボウルは、日本で買いました。
いたんでいたので値引きしてあって、格安でした。




木の脂分も抜けきって、やっと形を保っている、ボウルの底です。




二ヶ所修理してあったのですが、へたくそな修理で、あまり用をなしていません。




ブルギナファッソに住む、ロビの美しい修理とは大違いです。
トゥルカナの中にも、不器用な人もいるということでしょうか。




トゥルカナの女性が、このボウルを運んでいるところ。
『Africa Adorned』の載っていた写真です。美しい!




男性もかっこいいこと!
毎日、体を締めつけないTシャツとフリースで、緊張感なく過ごしている自分を、ちょっとだけ反省したくなります。






2011年1月30日日曜日

アビシニア高原の雑貨





エチオピアの市場で見つけた、とげ抜きと針のセットです。
もしかしたら、とげが刺さったとき、この針でほじくって取り出す? そんなことをしたら、傷口が化膿してしまいそうです。




草籠を編むとき使う針です。
乾燥した土地の、どこにでも生えてくるギニアグラスを刈って、しべだけ選りわけて、籠の材料にします。




籠編み針の頭は、鉄をぐるぐる巻いて平らにしてあります。




実際に籠を編んでいる写真です。壺には水が入っていて、ギニアグラスを濡らしながら編みます、




古い紙焼き写真の複写で、ぼやけていますが、針の使い方が見えます。
針でしっかり穴を開けておき、その穴に草を通しながら、芯になる草を巻いて、編んでいきます。




このタカラガイの束は、単なるストラップでしょうか。それともお守りのようなものでしょうか。
エチオピア北部の、村の雑貨屋のような小さな店に、ポツンとぶらさがっていました。

海抜3000メートル、海から遠く離れているところだからこそ、タカラガイが素敵に見えるのでしょうか?
1993年、エリトリアがエチオピアから分離独立して、エチオピアには海がなくなりました。

久しぶりに、『Africa Adorned』という本を開いてみて、その美しさに圧倒され、ひっくり返りそうになりました。卵ほどの大きさの琥珀や、象牙、銀、ビーズなどを重くて動けないほど身体につけた美しさ!
エチオピアの写真もいっぱいありました。
改めて、アフリカはすごいと、実感しました。


2011年1月29日土曜日

トゥルカナの雑貨




アフリカの小さな、小さな壷です。
ケニアのナイロビにある、アフリカン・ヘリテイジという、一日居ても飽きない、アフリカ各地の手工芸品を集めた、博物館のようなお店で手に入れました。

ケニア北部のトゥルカナ人がつくったものです。
薬入れでしょうか? それとも火薬入れでしょうか?





壺は木をくり抜いたもの、その上に、動物の角を細工した小さな口がついています。角の部分は、半透明で、ちょっと光を通します。
壺の肩には、金属を嵌めた、三ツ星の模様が三ヶ所についています。

蓋は木ですが、紐を巻いて補強したつまみがついています。どうやってつくったのでしょう?
蓋には、素敵な手づくりの鎖がついていて、その先に、幅の広いとげ抜きのようなものがついています。とげ抜きは、実用的なストラップだったのでしょうか。

私につくらせたら、壺を彫るのに一年、鎖をつくるのには一年以上かかるに違いありません。




小さなブリキの箱は、ナイロビの路上で、トゥルカナ人(もしかしたらマサイ人)が市を開いていたところで手に入れました。
これを売っていた人は、男性だったか女性だったか忘れてしまいましたが、地味な人で、これ以外には、ほとんど何も並べてなかったような気がします。
廃物利用の手づくりだと思いますが、蓋は簡単に開けられ、しかもぴったりしまって、はずれてしまう心配がありません。

華やかな色のビーズ細工などが、ずらっと並んでいるのに交じって、錆びた、たばこも入らないほど小さい箱がぽつんと置いてあったのは、ちょっと場違いな感じでした。
値段をたずねると、割と高いことを言います。
交渉しようにも、英語は通じなくて、相手は一貫して、「買わないなら、買わないでもいいよ」という態度です。




「あんな汚い箱、いつまで待っていても、誰も買わないのに」と思いつつ、気になる私、とうとう買ってしまいました。
もっとも、500円か、600円くらいだったと思います。




トゥルカナのナイフは、なかなかユニークな形です。刃は外側についています。
木工細工に長けたトゥルカナの人たち。木のボウルの内側を削ったりするのに、この形のナイフは重宝するのでしょうか?


2011年1月28日金曜日

隣国の猫たち





かれこれ30年も前に、香港で手に入れた、中国の山東省の土人形です。
私は猫だと思っているのですが、もしかしたら虎でしょうか?
額には、虎であることを示す、「王」の印はありません。

中国には、素敵で、素朴な土人形が、いろいろあります。

地球上には、人形(ひとがた)のある文化と、ない文化があります。
もともとは宗教的な背景のもとにはじまった人形やおもちゃづくり。人形(ひとがた)をたくさんつくる文化にも、つくろうとしない文化にも、それぞれ理由があります。

日 本、中国、インド、ルーマニア、フランス、スペイン、メキシコ、ペルーなどは、人形をたくさんつくった文化です。
そして、韓国、イスラム諸国などは、あま り人形をつくらなかった文化です。
また、タイやビルマのように宗教儀礼のためには人形(ひとがた)をつくりますが、おもちゃとしてはつくらなかった文化も あります。




ソウルの仁寺洞(インサドン)の骨董屋で、この小さな木彫りの猫を見つけたときはびっくりしました。

韓国は、人形(ひとがた)を畏れ、つくらなかった文化です。
いまでこそ、民族衣装をつけた人形が、お土産物屋にところ狭しと並んでいますが、人や動物を模したものは、伝統的にはほとんどありません。
わずかに結婚式の木彫りのカモのつがいがあるくらいです。

「これはおいくら?」とたずねると、骨董屋さんが私をまじまじと見つめて、「えっ。お客さん目が高いねぇ」と言いました。骨董屋の常とう句と知りつつ、そう言われると、ついつい嬉しくなってしまいます。
「とっても珍しいものだよ」
確かに珍しいと思いました。お値段は、高いものには手を出さない私にとってはちょっと高めでしたが、買えないほどではありませんでした。

「カモを彫る人が、子供にせがまれて、木端でつくったのかしら」、なんて、ついつい想像してみてしまいます。




2011年1月27日木曜日

ちょい古の猫たち





猫の卵立てです。裏に、JAPANと刻印されている、イギリスに輸出されたものです。
日本で見る猫とは、ちょっと表情が違います。




どこで出会ったか、忘れてしまった猫たちがいます。日本の骨董市で出会った猫もいれば、ほかの国で出会った猫もいます。
この黄色い猫は、どうだったでしょうか?




楽隊猫たち。
楽譜を持った猫は、招く理由もないのに、招いているようです。そんなことをしているのは、きっと日本の猫でしょう。




これこれ!
これが典型的な、ちょっと古い日本の猫たちです。
小さい頃、よく見かけたような、見かけなかったような...。




その典型的な日本猫に比べると、この親子猫など、「どこの猫だろう?」と思わせる雰囲気を漂わせています。

もっとも、土の素焼きに彩色したものは日本向けの猫、磁器でできているものは、外国製だったり、外国向けの日本製だったのかもしれません。

2011年1月26日水曜日

西洋猫





我が家には、日本猫はたくさんいますが、西洋猫はほんの数えるほどしかいません。
このソフトビニールの猫は、イギリスの猫です。背丈が28センチもあるのっぽさんです。




青い、おしゃれな上着を着たイギリス猫は、ポーズを決めて、にんまり笑っています。




ビアトリクス・ポターの『ピーターラビット』の物語に出てくる、トムとそのお母さんのタビタ・トウィチットです。
ピーターラビットはイギリスのお話ですが、これはフランスでつくられた、焼き菓子に入れて焼く、小さな小さなフェーブです。
お母さん猫の高さが30ミリ、フランス猫と言うよりは、やはりイギリス猫でしょうか。




ドイツの子猫。
ドイツには、このような木の人形がたくさんあります。たとえば猫だと、大きな猫型のドーナツのような輪を削り出し、それを薄切りにすると、何十匹もの猫ができます。そして、それをきれいに削り、彩色して仕上げていくのです。




たぶん、セットではなかった、別々に選んで買ったような気がします。
子猫、キツネ、アヒル、ウリボウの組み合わせは、実世界ではありえない組み合わせですが、我が家ではこの四匹でずいぶん長いこと、仲良く暮らしています。




これもドイツ猫の親子です。
シンプルな形ですが、猫の特徴をよくとらえています。母猫で25ミリくらい、尻尾だけは別の木を挿してつくってあるようです。

2011年1月25日火曜日

鉄砲のお供





火薬入れと、たぶん弾入れです。ビルマのものです。
火薬入れはいいとして、弾入れは、上が大きく開いています。ドーナツのような部分に弾を入れれば、大きな口からこぼれやすいだろうと思うのですが、どうやって使ったものでしょうか?

バンコクの骨董市場で見つけました。
壊れかけたようなのも含めて、埃をかぶって三つ四つ、箱にどさっと入れてあった中で、一つだけ選ぼうとして、迷った挙句、甲乙つけがたい二つを買って来てしまいました。




火薬入れは木をくり抜いてつくってあり、筒の底には革が張ってあります。




筒の上部には別の木を嵌め、その先にラタン(か竹)でつくった細い口がついて、ラタン(か竹)の蓋がかぶせてあります。




筒の紐を通すところの、細工もていねいです。



そして、弾入れは、ラタンで編んであります。




装着するときに使うのでしょうか? 留め金は、何かの骨でできています。

木をくり抜いて筒をつくるなら、まっすぐな方がずっと簡単そうです。
どうして、火薬入れの筒は曲がっているのでしょう?




これは、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大きな森の小さな家』の挿絵です。
ローラのとうさんの弾入れと火薬入れですが、火薬入れは水牛の角でできています。
火薬入れは、ビルマの火薬入れとそっくりです。ビルマの火薬入れは、この形を模したのでしょうか?

『大きな森の小さな家』はアメリカのお話ですが、そこに登場する人たちは、イギリス人やアイルランド人の子孫です。ですから、これがイギリスの伝統的な火薬入れとするならば、東南アジアに鉄砲が伝わったとき、火薬入れも一緒に伝えられたことが考えられます。
ビルマはイギリスの植民地でもありました。

それにしても、ビルマでは水牛の角が手に入りやすいというのに、木彫りの筒を使っているには、なにか理由があってのことと考えられます。



もう一つの火薬入れと弾入れです。
火薬入れはやはり木をくり抜いてつくってあり、底は革をかぶせず、何かをつめて、漆で固めてあります。




口には木の栓をして、それからラタン(か竹)の蓋をかぶせてあります。蓋は割れてしまったので、上下を細いラタンで巻いて、修理してあります。




弾入れのドーナツ状の部分は、なんと針金でできています。
太い針金をコイル状にして、細い針金で編んであるので、頑丈さは、ラタンの比ではありません。

ラタン細工は簡単ですが、針金細工は、すごく難しそうです。
太い針金は曲がりにくいし、細い針金は折れやすい。
そんな針金を使って、こんなに美しい籠が編めるなんて、針金をどうしても美しく扱えない私には驚異です。




この、針金のコイルもみごとです。
もはや、神業のようです。


2011年1月24日月曜日

コンピュータが死んでしまった



木曜日に、コンピュータが起動しなくなりました。
あいにく夫は留守、電話で息子に聞いたりして、セーフモードなら起動することがわかりました。
金曜日に、一度だけよみがえり、そして再びダウン、二度と普通には立ち上がりませんでした。
土曜日に夫が帰ってきて、手伝ってくれ、一晩かかって、別のコンピュータにデータを移し変えました。
日曜日には近くまで来たからと息子がやってきて、さらにいろいろ設定しなおしてくれました。

やれやれでした。




コ ンピュータのない丸四日間、思ったより楽しく過ごせました。
ないならないで、やっていけるものです。といいながら、復活して嬉しいです。

お正月に古いコンピュータをくれた上の息子も含めて、ひとえにみなさんのおかげでした。

コンピュータが使えない間、昼間っから本を読む日もありました。
ちょうど、『大きな森の小さな家』を書いた、ローラ・インガルス・ワイルダーのかあさん、 キャロライン・クワイナーの子ども時代の物語、『ブルック・フィールドの小さな家』(マリア・D・ウィルクス著、福音館書店)など7巻がそろっていたのは幸運でした。

犬猫と日向ぼっこしながら、開拓生活の物語を楽しみました。
これは、アメリカ独立から70年、奴隷廃止運動が盛んになり、南北戦争が勃発するころの物語です。
開拓者が土地を得て開墾できる陰には、あちこちでアメリカ先住民の土地を取り上げて、法律や武力で彼らを特定な州に押し込め、さらにその州も奪って、居留地に押し込めるという、悲劇が隠されています。

その蛮行を差し引いても、便利で快適な生活を捨てては、家族単位で西へ、人のいない場所へと向かう初期アメリカ人の、エネルギーには圧倒されました。



2011年1月20日木曜日

割れたしゃもじしゃもじ立て



二階の展示室に行ってみたら、しゃもじ立てが、床に転がっていました。
落ちたときには、さぞかし大きな音がしたでしょう。全然気がつきませんでしたから、外で作業していたときか、散歩していたときに倒れたのでしょう。




拾い上げてみると、引っ掛けていたところが割れて、ぱっくり開いています。これでは落ちるはずです。




骨董市で見つけたものですが、もとからひびが入っていて、二ヶ所、針金で巻いてありました。
今は、何本も太い割れ目が走り、分解寸前です。




針金で巻いたら、なんとかなるでしょうか。
割れ目を万力で押さえると、割れていないところに無理な力がかかり、みしっと音がして、すぐにもばらばらになりそうです。

もともと、竹の断面は円形ですが、楕円形に変形しています。削り取られた開口部のところが、左右に広がろう、広がろうと、強い力がかかっているのです。




元からの針金も、しめなおしました。




針金は合計、6ヶ所巻きました。満身創痍!
青竹を切ってきて、新しいしゃもじ立てをつくった方がいいような気もします。