2025年10月14日火曜日

住み始めていました

先日 痩蛙学舎でお会いした、大地の再生を目指し、自然と共生する生活を目指す建築家や、有機農業、地域運動などをやっていらっしゃる方たち5人が訪問されました。
一日目はご自身のやっていらっしゃることなど話し合い、二日目は八郷の中をめぐりました。訪問先は「やさと暮らしの実験室」、O家、S家、「つながる図書館」などでした。


まずは、有吉佐和子の『複合汚染』に触発されて結成された、有機農業と消費者を「ていけい」によって結ぶ運動の草分けである「やさと暮らしの実験室(旧たまごの会)」を訪ね、建ててから50年経って老朽化した外壁を自分たちで張り替えて、塗料を塗ったりしているところを見ました。


屋根が外せる模型もつくっていて、農畜産業のかたわらの修復作業は長丁場になりそうですが、外壁修理には何人かのボランティアたちも参加していました。


次に、今年から住み始めたOくんの家に行きました。躯体の刻みと上棟だけは友人たちの手を借りたものの、あとはすべて自力建設、大きくて広々とした家には、Oくんの「こうしたい」と頭の中で発酵させていた工夫や試みがいっぱいで、超気持ちいい空間が広がっていました。


ロフトに行くかわいらしいケヤキの階段は、


途中から梯子になって、その先に広々としたロフトがあります。


こだわりの台所は、シンク・ガス台の上に何本ものステンレスの棒が渡してあって何でも掛けられる、とても使い勝手がよさそうでした。そして、天板もステンレス、しかし引き出しが全部無垢の木の手づくりなので、冷たい無機的な感じはしません。
床材は、材木屋さんから半端ものを格安で買ってきたもの、場所場所によって幅が違っていたりするそうですが、まったく気になりません。また、窓ガラスはヤフーオークションで定価の半値以下で買ったもので、各窓によってメーカーが違ったりするそうです。


外の壁にかかっているのは何でしょう?


うおぉぉ!植物の壁飾りでした。
玄関を入ってすぐの部屋は植物のために用意されたもの、冬はこれらの植物も室内へと移動するそうです。
立派な無農薬無化学肥料の野菜を栽培し、田んぼもつくる合間に、大工仕事だけでなく建具まで全部自分でつくり、庭づくりだけでなく、観葉植物も色々育てているOくんは、まさに超人に見えます。
3人の子どもたちも、楽しそう、友だち100人きても楽々遊べそうな、楽しい家になっていました。






2025年10月13日月曜日

首振り招き猫


日本招猫倶楽部の2025年の復刻版、萬古焼き写しの「首振り招き猫」です。
日本招猫倶楽部では、毎年、9月25日(語呂合わせで来る福、招き猫の日)に合わせて復刻猫をつくっています。昨年も一昨年も買わなかったのですが、今年の復刻猫は気になって、3年ぶりに注文のハガキを書きました。
注文のハガキを書いたものの、自分の年齢のことなど考えれば買うべきか、買わざるべきか、10日ほど迷ったのち、とうとう思い切ってハガキを投函しました。


数日後、届いた包みを開けてみたら首振り招き猫は思っていた以上にかわいくて、とくに目が素敵で、いっぺんに気に入りました。


身体に頭が乗っている感じ、身体はツボのようになっていて、頭の下に伸びた首の下には錘(おもり)がついていて、それが前後に揺れて首を振るのですが、この錘部分のバランスを最高にするのに制作のご苦労があったそうです。


そのご苦労のかいあって、ちょっと動かすと静かに首を振りはじめ、とても長く振り続けます。


技術が高い萬古焼きの首振り招き猫が、瀬戸の中外陶園によって、見事に再現されています。











 

2025年10月12日日曜日

1年前の写真

Googleフォトを開くと、ページの巻頭に勝手に1年前の写真が出てきます。今朝は、昨年イノシシに庭の石をひっくり返された写真が出てきました。


写真は懐かしいけれど、どこもかしこもめちゃくちゃでした。


今年もイノシシは、近くまで来ていますが、庭の中まで入ってきていません。


昨年は、毎日、朝起きて外の惨状を見るのが怖いくらいでした。


草むしりは行き届いていないけれど、今年は平和なものです。





 

2025年10月10日金曜日

柳行李

 我が家にある大きな行李は6つ、柳行李が4つ、スズタケの行李が2つ、すべて私の両親が使っていたものです。


父は海軍の軍人だったので、軍艦や駆逐艦に乗る生活をしており、スーツケースも段ボール箱もなかった時代の移動生活に、柳行李は必需品でした。

さて、1966年にガーナに行った私たち夫婦は、木箱をアルミでくるんだ大きな箱を2つ買い、それに衣類や食器、なぜか土人形も詰めて船便で送りました。内部に仕切りもない箱に詰められるだけ詰めて送ったので、土人形がいくつか割れて、がっかりしたものでした。


そのとき、割れた鹿児島県の帖佐人形の山姥です。


今だったら、少しは分別がついているのでこんな薄くてもろい土人形を、港の荷揚げ降ろし人が乱暴に扱うに決まっている、仕切りもない箱に入れて送らないと思いますが、その時は空洞をよいことに、中に小さい人形を詰めて送ってしまいました。


ガーナに送った木箱は、1つは次の移住地アメリカに直接送り、1つは日本に送り返したように記憶しています。そして、出産のために一時日本に帰国していた私は、日本からの荷物を両親から借りた柳行李に詰めてアメリカに送りました。
余談ですが、土人形たちは夫がガーナからアメリカに送った荷物に含まれていて、アメリカにも行きました。


そのとき借りた柳行李は、とても頑丈にできています。
外側には太い糸で目を詰めて織った麻布が貼ってあり、


内側には薄い麻布が貼ってあります。


角は革で補強し、ベルト通しをつけ、底には両側から持ち上げられるように持ち手までついているものです。
柳を編んだ固い箱ににタコ糸で革を縫いつけるのがどんなに大変なことか、職人さんの技に脱帽です。





2025年10月8日水曜日

秋の食卓

草刈りをしていて、ミョウガの花を見つけました。


8月に収穫して、しばらく途絶えていましたが、9月の半ばごろにまた花が見えたので収穫、今回は三度目の収穫でした。
8月の終わりに、Mさんの家でみごとなミョウガの群生を見たので、
「豊作でしたか?」
と訊いたら、
「うちのミョウガは秋ミョウガなのでこれからです」
とのことでした。
我が家では三度も花が咲いたので、何ミョウガと呼んだらいいのでしょう? それとも、元々ミョウガは、間をおいて何度も収穫できるものなのでしょうか?


夏は終わったのにまだ食べているそうめんの薬味にして、ふんだんにいただいていますが、切ると、太ったミョウガにはこれから咲こうとしていた花がいっぱい詰まっています。


Oくんが、収穫した枝豆を持ってきてくれました。
夫が好きなのを覚えてくれていたのです。枝豆だけでなく柿も美味でした。


枝豆は4つに分けて、毎日おいしくいただいています。


この辺りは柿、梨、ぶどうなど果物の宝庫で、農産物直売所には季節ごとにいろいろな果物が並びますが、今の季節、終わりが近いぶどうや出始めた柿と並んで、栗がたくさん並んでいます。どれも、保存のための燻蒸をしていない栗です。
私たちは栗も大好き、栗の季節には毎年、圧力鍋で茹でて昼食として食べていましたが、今年は夫が夕食にも食べたいと言うので、夕食にまで茹で栗を、リスのようにせっせと食べています。
上の写真は夫が買ってきた栗(半分量)、ほとんどの栗に割れ目が入っているものでした。


茹でたら割れ目が広がって、ナイフが要らない、手でむけるほどでした。







 

2025年10月7日火曜日

地平線

 日本は山がちででこぼこしているので、地平線が見えるところは、そう多くないと思います。
見えるとしたら、北海道でしょうか。


ところで、土浦のK病院の7階からの眺め、見事な地平線が見えます。
この景色を拡大してみると、


霞ケ浦と牛久大仏が見えます。


南に目を移しても地平線が続いています。


東から南の角をはさんで西まで180度見える窓ですが、ずっと地平線、見事です。

茨城県は道路の総延長が北海道に次いで全国2位です。
総面積が北海道の12分の1にも満たないのに道路の延長距離が長いのは、ひとえに土地が平らだからなのでしょう。







2025年10月6日月曜日

猫神さま日和


招猫倶楽部の会報『福の素』74号に、「猫神信仰と丸森町(宮城県)の猫」という特集記事があり、その中で『猫神さま日和』(八岩まどか著、青弓社、2018年)という本が紹介されていました。
なぜ、招き猫が生まれたのか、猫への信仰はいつどう始まったのかなどなど、少しははっきりするかなと、買ってみました。
著者の八岩さんは、20代のころから昔ながらの湯治場をめぐり、温泉の歴史、文化、民俗に興味を覚えて執筆活動を開始された方だそうです。
猫神への信仰に関することに関しては、情報社会ではあるとはいえ、いったいどこでその情報を見つけたのか、紹介場所は広域にわたっています。そして、猫神信仰のある場所に赴き(もしかして空振りもあったのか?)、足で歩いて猫神信仰の証拠を見つけるだけでなく、そこに伝わる伝説なども聞き出し、それを淡々と紹介している面白さ、一気に読んでしまいました。


目次は、
 
 養蚕の守り神
 猫又と化け猫
 猫の恩返し
 守り神としての猫
 貴女・遊女と猫
 福を招く

となっていて、猫への信仰が、立体的に浮かび上がります。
猫神信仰は各地で、養蚕が盛んになった江戸時代以前の安土桃山時代からあったようです。

鹿児島県の猫神神社

日本には、縄文の昔からヤマネコはいましたが、イエネコは奈良時代から平安時代にもたらされたとされています。大陸から仏教の経典などを運ぶ際に、ネズミにかじられないように船に猫を乗せてきました。

京都府の木島神社

それほど、人と猫とは古いつきあいでありながら、国民的なおとぎ話には、犬は出てきても猫が出てこないのは不思議です。
しかし、各地の伝説には猫がよく登場していることを知ると、「昔語り」から「おとぎ話」が選定されたとき、猫の話は道徳的な教訓を含んだものではなかったため、無視されたのかとも思いました。

栃木県の金花猫大明神

猫神信仰は養蚕の隆盛とともに各地で盛んになりましたが、養蚕の衰退とともに消えていきました。

熊本県の生善院

今では、鼠害除けというより、愛猫の健康を願って詣でる人たちが多いそうです。

余談ですが、招福猫児で知られる世田谷の豪徳寺は、かつては訪れても人影がまばらでしたが、聞くところによるとSNSで情報が拡散されたらしく、インバウンド、とりわけ中国からの観光客で押すな押すなの大盛況らしいです。

静岡県の御前崎





2025年10月5日日曜日

文房具

 諸事情があり、図案を描く必要が生じました。
「必要な文具は、家にあるかしら?」


このところ使ってなかったシャープペンシル、透明なプラスティックのもの差し、それに丸描きが、次々とみつかりました。


丸描きが見つかってよかった、小さな丸を描くのに丸描きは欠かせません。


物差しは金属のもの、竹のもの、いろいろありますが、図案を描く場合は透明なものに限ります。これは、息子のものだったのか、いしいひさいちさんの、読売ジャイアンツの監督や選手のイラストがついています。
長嶋監督や中畑選手、


落合選手や原選手の姿もあります。


色鉛筆はおそらく夫の母のものでしょう。クーピーペンシルはてっきり私のものと思っていましたが、削り器を手に取ると、妹の息子の名前が書いてありました。いろいろなところから、いろいろなものが集まっているものです。
一番心配したのはコンパスでした。息子が使っていたのがあったはずだけど、ちゃんと部品がそろっていたかどうか、不確かでした。


と、息子のコンパスが見つかる前に、別のコンパスが見つかりました。


直線を描くカラスグチや、コンパスに着けるカラスグチがついていましたから、古いものです。カラスグチの柄は、動物の骨でできています。
付属の炭素棒は古すぎたのか、よく書けなくて使いものになりませんでしたが、鉛筆を短く切って芯だけ取り出して使ったら、コンパス自身はとても使いやすいものでした。


画用紙もあるはずと探したのですが、これは見つからなくて、というか、探すのが面倒になって、画用紙だけは買ってきました。
ドラえもんのポケットほどではありませんが、家を探せばたいていのものは出てくるものでした。