『Architecture without Architects』(Bernard Rudofsky著、1964年)は、ニューヨークの近代美術館で開かれた同名の写真展のカタログ本でした。
私がこれを最初に目にしたのはガーナのクマシで、夫の同僚のアメリカ人の建築家Mの家でした。何と魅力的な本であったことか、確か借り受けて家でじっくり見た覚えがあります。
当時、地球は今よりも広く、しかもほとんどの人たちは自国にとどめられていて、わりと自由に世界を旅ができたのは、アメリカ人くらいだったかもしれません。
この本では、世界中の、その地域に住む人々には当たり前だけど、ほかの地域に住む人々にとっては何とも珍しい風景を、垣間見ることができました。
1966年の秋、夫がガーナ第二の都市クマシにある工業大学で働くために、私たちは初めて飛行機に乗って、1週間もかけてクマシに着きました。
当時の飛行機は長時間飛ぶことができず、羽田からレバノンのベイルートまで、香港、バンコク、カルカッタ、カラチ、テヘランと、給油のためにいちいち立ち寄りながら、飛びました。
しかも1週間に1便というルートも多く、飛行機の乗り継ぎは中継地で数日待つのが当たり前、航空会社がホテル代も食事代もすべて持ってくれたものでした。
初めて見る日本以外の景色はもの珍しく、着陸や離陸のときは窓の外に目が釘づけでしたが、カラチでこのパネルが林立する風景を見たときは、何のためのパネルか、訳が分かりませんでした。
それが、この本を見て初めて理由がわかったのです。
カラチやハイデラバードなど西パキスタンでは、風はいつも決まった方向から吹きます。その風をとらえて、煙突状の穴から室内に取り込んで冷を取っていたのです。冷房がなかった時代の熱帯の知恵だったのです。
テヘランに着陸するとき、屋上にお椀を伏せたような家が連なっていたのも、興味津々でした。
「どうしてこんな形をしているのだろう?」
これは、イランのイスファハーンの写真ですが、テヘランも同じようなものでした。
のちに、パレスチナの旧市街にある家や、古い農家に泊めていただいたとき、この形の建物の内部を、初めて味わいました。
石を積み上げていくと必然的に丸い天井ができるのです。天井が高い室内には、気持ちの良い安心感のある空間が広がっています。
この本には、驚いたことに日本の写真もたくさんありました。
これは北部と書いてあるだけ、屋敷林で囲われていて、冬は家をわらで雪囲いをすると書いてありましたが、もしかしたら富山県
砺波地方の垣入(かいにょ)でしょうか?
東北本線で埼玉県の大宮を過ぎると、かつてはどこにでも見かけた、屋敷林のある風景でした。
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カメルーンの屋敷囲い |
囲われた家というカテゴリーでも、風除け、動物除け、賊除けなどいろいろあります。
植物の屋根というカテゴリーには、日本の兜屋根の家が載っていました。左から風が吹くのかしら、雪が降るのかしら、屋根がこんなに長く伸びた家があったことは知りませんでした。これも、北部と書いてあるだけで、どこだかはわかりません。
草屋根では、スーダンの家も印象的でした。
屋根はとてつもなく厚く、部屋への入り口は小さい。暑さ対策だと思いますが、屋根は屋根だけで終わらず、のちに家畜の飼料とか畑の肥料に転用されるに違いありません。
ヴェトナムでは、家を移転するとき、柱などは解体して運んで組み直し、草屋根はそのまま持って行く話、今ではよく知られていますが、
「これは何?」
写真を見たときはびっくりしました。
水車は、人類が開発したもっとも古い原動機で、日本には平安時代に導入されました。
シリアでは、ビザンティン帝国時代(東ローマ帝国時代、395-1453年)から水車がさかんに用いられたようで、この写真はその痕跡を残すハマーの水車です。ハマーの水車は、直径が小さいものでも10メートル、大きいものでは22メートルもある、巨大な水車でした。
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マリのドゴンの村 |
たまたま、アフリカにいたことで、土づくりの家や集落などを自分の目で見ることができたことは、とても幸運でした。
1976年には、鹿島出版会から翻訳本、『建築家なしの建築』が出版されました。
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モロッコのマラケシュ |
それにしても、建築のいろいろな表情、長年の暮らしから出てきた形や知恵には、一様に引きつけられるものがあります。
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中国の黄土高原の土の中の家 |
すべてモノクロの写真で、印刷技術もさしてよくなかった時代の写真集ですが、今でも見るたびに魅了されます。