2026年6月10日水曜日
『中国東北部の玩具』
『中国東北部の玩具ー日本に来た旧満州の郷土玩具』という、100ページほどの本があります。
2003年に、兵庫県の龍野市立歴史文化資料館で開かれた同名の企画展のカタログです。
中国東北部の玩具の企画展は、駒井虚峰さん(1912−2000年)が同市に寄贈したコレクションの150点と国内の所蔵機関から借りた400点が展示された、見応えのあるものだったようです。
日本が植民していたとはいえ、旧習を徹底的に破壊した文化大革命などを経て、中国にはほとんど残っていないおもちゃたちが、地球上に残っていることに、安堵の胸を撫で下ろすような、複雑な思いで可愛いおもちゃたちを眺めてしまいます。
中国玩具を代表するものとして布老虎(プゥラオフゥ)があります。
我が子のおもちゃとしてまた魔除けとして、母が心を込めてつくるものですが、当然不器用なお母さんもいたはずです。
一つ上の写真は吉林や新京あたりの布老虎、すぐ上の写真は天津あたりの布老虎、地方色もあり、個人差もあり、興味津々です。
この本に載っている膨大な数のおもちゃたちを見ていると、東アジアや東南アジアのおもちゃのルーツが中国だったことがはっきりわかります。
ゴムで前に進むおもちゃや竹の蛇。
さまざまな形の動くおもちゃ、そして土人形。
いつかこれらのおもちゃたちが、中国に残ったわずかなおもちゃと出逢ったり、現在は日本にあるものが旧満州あたりに博物館ができて、そっくり帰還したりする日が来るのではないかと、夢見るものでもあります。
子が健やかに育って欲しいという願いがこもっているのが伝わってくる、中国の昔のおもちゃたちです。
2026年6月9日火曜日
2026年6月8日月曜日
まん丸招き猫
1990年代半ばまで、食堂のショーウインドーの、小判を持った常滑系の招き猫以外、街を歩いていて招き猫を目にすることは稀でした。
私はどこかに招き猫はいないかと、キョロキョロしながら歩くのが常でした。そんな時に手に入れた招き猫かしら? それともお正月に有楽町の阪急百貨店で開かれていた「開運招福まねき猫市」で手に入れたものかしら?
珍重したことはなかったけれど、愛嬌のある招き猫です。
どこを見てもまん丸です。
焦茶色の部分だけ釉薬がかかっています。
記録するのが苦手な私、今となってはどこで手に入れたものか、どなたがつくったものか、まったくわかりません。
継ぎ目がなさすぎるので、もしかしたら型に流し込んでつくった?
2026年6月7日日曜日
起土人形
高さ140ミリの、左手を挙げた起(おこし)土人形の招き猫土鈴です。
起土人形の特徴で地塗りの胡粉に雲母を混ぜているので、パールのような輝きがあります。
起土人形の中には、背中は白いままのものもある中、招き猫は背中側も丁寧に彩色されていて、紅白の水引きも似合っています。
「ねこれくと」を参照させていただくと、起土人形は愛知県一宮市(富田村が起町に編入され(中略)、現在は一宮市)の中島家によって明治初期に創始され、おもには大日山美江寺でお蚕祭りの時に授与された蚕鈴をつくっていました。
養蚕と招き猫を含む猫信仰の関係は各地に見られますが、養蚕の最盛期であった昭和の初め頃でさえ、お蚕祭りで授与される蚕鈴は宝珠や米俵を形取ったもので、猫土鈴はなかったのが、なにか面白いところです。
底には前の持ち主のラベルが貼ってあり、「62年(1987年)3月15日」、「富田招き猫土鈴」、「起土人形」と書かれています。起土人形は富田土人形とも呼ばれていました。
首紐から下げているのは、宝珠と鈴2つでしょうか?
挙げた左手は、元々の型がずれていたのかちょっと太くなっています。起土人形は足など凹凸が深いので、型抜きも難しかったようです。
現在は、中島一夫さんのお連れ合いの中島一子さん(99歳)が6代目として制作を続けていらっしゃいますが、残念ながら後継者はいないそうです。
2026年6月6日土曜日
獅子?
我が家のおもちゃたちや民具はガラス扉のない棚に並べていますが、1つだけガラスのある棚を置いていて、布でできたものはできるだけその棚に並べるようにしています。
ちょっと見たいものがあって扉を開けてみたら、繻子(しゅす、サテン)地に刺繍したぬいぐるみの動物がいました。
どこで、いつ手に入れたかまったく覚えていません。
中国製でしょうか、たて髪のような刺繍があるので、ライオン(獅子)に見えます。
200と書いたシールが貼ってあるということは、骨董市で200円で売られていたってことかな?
繻子織りは、綾織よりももっと長く糸が表地に現れるように織ってあるので、光沢が出ますが、張りのある布になります。
切り口がほつれやすく、とても縫いにくい。どんなことがあっても絶対に縫いたくない布です。
そんな、ほつれやすい布で、中国の人はよく細かい仕事をするなぁと、改めて感心してしまいました。
象牙多層球もすごいし、米粒に南無阿弥陀仏と書くのもすごいけれど、お土産物として数をこなす仕事でさえ、すご腕を発揮しています。
追記:
別件で過去の記事を見ていたら、この獅子は、のらさんを訪ねて北海道に行ったとき、のらさん行きつけの骨董屋さんの「豆電球」で買ったものと判明しました。その時買った食紅のことはよく覚えていたのに、記憶というものは途切れ途切れだなと思った次第でした。
2026年6月5日金曜日
金魚のおもちゃ
ブリキとセルロイドを組み合わせたおもちゃです。立てると、金魚と枠がくるくる回りながら降りてきます。
縦棒がねじってあり、それに平たく穴を開けた小さな円盤が通してあるので、重力でブリキの枠と金魚も一緒にくるくる回りながら降りてきます。
枠や金魚の穴は、丸く大きく開けてあるので、ねじれ棒への抵抗はありません。
セルロイドの金魚たちは、成形するときに上下に穴を開けてあるので、このおもちゃ用につくられたものです。桃色のセルロイドで成形して、顔を赤く塗って目を入れ、尻尾をブルーグレイに塗ってあります。
おそらく、金魚だけでは重さが足りないので、枠をつけたのでしょう。その方が、枠も回っていっそう華やかになりました。
ただ、ねじれ棒が短かすぎて、あっという間に金魚たちは降りてしまいます。もう少しねじれ棒を長くすることも考えたと思いますが、コストや輸送の問題などもあり、この長さに落ち着いたのでしょう。
降りてくるおもちゃなら、ぴんぴん鯛やぱたぱた鳥の方が楽しさが持続しますが、セルロイドといいブリキといい、新素材を駆使した新しいおもちゃとして売られたのでしょう。
セルロイドの金魚や鯉たちと。
2026年6月4日木曜日
暴風雨の中
2021年7月、屋根から落ちて肋骨を11本折り、鎖骨も折り、頚椎も損傷して入院してから、血圧が下がらなくなり、毎日血圧を下げる薬を飲んできました。
2年ほど前に、わりと血圧が低い状態が続いたので、お医者さんに、薬は飲まなくてもいいんじゃないかと相談したことがありました。
しかし、怪我をした年の3年前に健康診断で不整脈が見つかっていて、心臓の状態は改善されているものの、血圧を下げる薬をやめることによって心臓や血管に負担がかかる恐れがあることから、お医者さんは薬をやめようとはおっしゃいませんでした。そして、その時は20mgの薬を半量の10mgのものにすることで落ち着きました。
薬を半量にしてから、問題なくこの2年を過ごしてきましたが、このところ高い方の数値が100を切ることもあり(望ましい値は125/75mmHgとされている)、この1週間ほど自主的に薬をやめていて、昨日病院に行きました。ちょうど台風が来る日でしたが、私の主治医の担当は水曜日だけ、他のお医者さんでも構わないのですが、長年診ていただいているお医者さんに薬のことを訊きたかったので、雨風を押して行きました。
お医者さんの立場からは、このまま薬をやめてしまうことに決心がつかないようでした。そのため、心臓がどうなっているか、8年ぶりに24時間心電図を取るホルターをつけて、不整脈の状態を調べることになりました。
同時に24時間血圧を計る器具も装着してくれました。起きている時は30分おきに、寝てる時は1時間おきに血圧を自動で計るというものです。ところが、帰ってみたら血圧計はうまく働いてくれませんでした。
暴風雨の中をまた行くのかと怯みましたが、せっかくの検査が無駄になるので、病院にとって返しました。そして、あれこれやってみてもらいましたがうまくいかず、その機械は1台しかなかったので、昨日は24時間血圧検査は諦めることになりました。
さて、台風6号が直撃した日ですから、病院までの道のあちこちで木が倒れていました。一番折れやすいのは栗の木で、呆れるくらい倒れていました。竹も曲がって道を塞いだりしています。明らかに誰かが片づけたと思われる折れた杉の木が、路肩に置いてあるのも見ました。
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| 小降りになった雨の中で片づけた後 |
幹線道路はともかく、我が家の近くの山道は、通るたびに新たな障害物が落ちていました。
杉は葉を落とすし、道に覆い被さるように生えている山桜、クヌギ、コナラなどの古木も油断できません。しかもナラ枯れの木もあり、通るたびに落ちた枝が道を塞いでいるので、土砂降りだった時でさえ、車を降りて片づけずに通ることはできませんでした。
土砂降りの時は写真どころではなかったので、太い枝が道を塞いでいる写真はありません。車に乗っている時も、降りて片づけている時も、落下物に直撃されないで助かりました。
側溝は所々上から流された落ち葉で埋まり、そこから溢れた水が、道の上を勢いよく流れ、落ち葉は田んぼ道の方まで運ばれていました。
昨夕には風もおさまり、陽もさしましたが、今朝は曇り空で、風も少し強いようです。
これまで、薬をやめてから1週間、血圧は正常値でしたが、ホルターをつけているからか、気温が低いからか、昨夜も今朝も血圧が高めでした。これでは、お医者さんに「やっぱり薬を飲みましょう」と言われてしまいそうです。
2026年6月3日水曜日
「ぼんくら」の箕、いろいろ
6月3日は「みの日」=箕の日。箕の日に勝手に協賛です。
NHKオンディマンドで見ることができる、宮部みゆき原作の「ぼんくら」に箕が、正確に言えば箕形のちり取りが登場していました。
煮売り屋、豆腐屋、籠屋、団子屋、大工、桶屋、納豆屋などが暮らしている「鉄瓶長屋」を舞台に事件が起こる物語です。
これは、長屋の若い差配(さはい)の佐吉さんが掃除をしているところ、ちり取りとして藤箕(ふじみ)を使っています。
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| 三木謙次さんの挿絵 |
文庫版『ぼんくら』の挿絵の佐吉さんも箕のちりとりを使っています。
しかし、いくら差配さんとは言え、フジを経材(たてざい)に使う藤箕は立派過ぎませんか?
藤箕は、おそらくいつの時代にも高価だったはず、ちり取りには、藤箕ではなく、竹でつくったもっと目の荒い箕が相応しいのですが、それも登場していました。
これこれ。
同心と中間の間にちらっと一瞬見える、壁に掛けてあるのが、ちり取りや土木工事などに使われた持ち手のある箕です。
別の店子のところにも、持ち手のあるちり取りの箕が常備してあります。
土木工事にも使われた荒物であった箕の縁を、江戸時代当時、針金で綴っていたかどうかは疑問ですが、この形の箕は広く普及していたものと思われます。
針金をつくる技術は、金属加工の技術が伝わった古墳時代から奈良時代に、すでに大陸から伝わってはいましたが、手づくりだったので高価ではなかったかと思われます。
余談ですが、部分的にしか映っていませんでしたが、板を組んだちりとりも出てきました。
私が小さいころ、各戸にあったのはこのようなちり取りでした。
差配さんのちり取りは、差配さんが使うものだから、長屋の住人が使っているものと区別したのかもしれません。
また、壁にか掛けてある、網代に編まれた箕もありました。
長屋の掲示板というわけでもないらしい。謎の使い方でしたが。
追記:
5月3日の箕について「箕のページ」に取り上げていただいています。
2026年6月2日火曜日
『まんがと写真でたどる 戦争と暮らし』
織物教室でご一緒しているさかいひろこさんは、縄文の専門家ですが、イラストや漫画も得意です。
この度発行された、『まんがと写真でたどる 戦争と暮らし』(東京都北区総務部総務課編、2026年3月31日発行)の漫画を描かれています。
冊子は、まずさかいさんの漫画からはじまっています。
この漫画を描くにあたっての苦労話は、昨年から聞いていました。
北区の多くの学童疎開は栃木県だったけれど、なぜ栃木県だったのか。栃木県といってもどの地域だったのか、なぜ選ばれたのか。学童疎開した子どもの声はたくさん残っているけれど、学童疎開を受け入れた人たちの声は残っていない。受け入れた人たちは何を感じていたのか。などなど、描くにあたって調べなくてはならないことが膨大にあったと言います。
また、焼夷弾を撒いたB29は低空を飛んでいたとか、パイロットの顔が見えたという証言がたくさんあるけれど、B29は大型機で、そう低空を飛ぶことは無理ではないか。では低空を飛んでいたのはどんな軍用機だったのか。
描こうとするたびに、疑問が次から次へと浮かんできたそうです。
また、3月10日の東京大空襲は知られていますが、それ以外にも、東京が何回も空襲に襲われたことは、そう知られていません。
北区には兵器工場がたくさんあったので、空襲による焼失区域は広範囲にわたりました。
『まんがと写真でたどる 戦争と暮らし』には、たくさんの写真や資料も紹介されています。
こんなパズルもつくられていたようですが、箱に出口がありません。
通常、このパズルは、一番大きい正方形のコマを他のコマを持ち上げることなく動かして、出口から出すパズルで、「箱入り娘」とか、「スライドパズル」と呼ばれるもので、日本では、1935年(昭和10年)ごろから流行し始めたそうです。
戦後80年を記念して、力の入ったこんな冊子ができたなんて、素晴らしいことでした。
























































