2010年1月31日日曜日
掃除道具
あまり掃除をしないくせに、掃除道具は大好きです。
浴室の前の廊下の壁に、カンボジアの、織りあがった絹織物を巻き取る板を利用して、パイプをつけ、S字金具を取りつけて、掃除道具、ハエたたき、孫の手などをぶら下げています。
真ん中のだいぶ使い込んでいる箒は、フィリピン、北ルソンのタグトゥッドという箒をつくっている村でいただいたものです。柄に、テープで私の名前が織り込んでありましたが、テープが切れ、傷んできたので、黒い布を巻いて補修して使っているものです。
美しいので、いつまでも取っておきたいのですが、使いやすいので、ついつい手が伸びてしまいます。
以前、会議に出席するために、インドネシア、スマトラ島の山間の村を目指していたときのことでした。途中、ブキティンギという、小さな町に泊まりました。そして、そこのなんでも屋さんで、美しいヤシの箒を見つけたのです。
もう欲しくて欲しくてたまりませんでしたが、着いたばかりでしたし、これから深刻な問題の会議に出席するという立場をわきまえて、柄が長くて、絶対に目についてしまう箒は、泣く泣くあきらめたものでした。
帰りにはブキティンギには寄らず、そのままパダンに直行し、ジャカルタから日本へと帰ってきました。
惹かれるものを見たら、そのとき手に入れなければ、二度とめぐり合わないことは、これまでの経験からわかっていました。案の定、のちに、インドネシアのジャワ島やバリ島などを訪ねるたびに、この箒をさがしましたが、やっぱり出会うことはありませんでした。
日本では、べらぼうに高い値段の箒をつくっている地域がありますが、その姿勢には大いに反発を感じます。私が見たところ、タイでも、フィリピンでも、箒つくりの人々は、箒草の栽培から心を込めてつくっています。タイなどでは、市場では美しい箒を見かけなくなりましたが、それでもある地域に行けば、手を抜かないで心を込めてつくった箒があります。
それなのに日本で、手をかけたからと、(たかが)箒を100万円で売ったりするのは、心がおごっている気がしてなりません。箒はぜいたく品ではなくて、あくまでも日常品です。その日常品をつくって、100万円もとろうとするのは浅ましいし、そんな箒をもてはやして取り上げる雑誌なども、感覚が鈍っているとしか思えません。
追伸:
フィリピンの箒の材料のちがやの写真を載せておきます。
箒材料のタイガーグラスの畑。
刈り取って、しべだけにして、干しているところ。
必要分ずつ束ねているのでしょうか?
そして、できた箒の出荷です。
2010年1月29日金曜日
OMソーラー
今日は、午前中は曇りで、冷たい雨も降りました。そのため、屋根の上のソーラーパネルの温度が上がらず、久し振りに補助暖房(灯油)をつけて、空気を暖めました。すぐに暖かい空気が吹き出し口から上がってきて、家の中は快適になりました。
我が家では、暖房にOMソーラーシステムを使っています。これは、軒下から屋根瓦の下に取り込んだ空気をソーラーパネルで暖め、ファンをまわして床下にそのまま送り、床下のコンクリートの蓄熱板を暖めて、暖房する方法です。
冬でも、晴れてさえいれば、ソーラーパネルは50℃くらいになります。
蓄熱板のコンクリートは、構造のコンクリートと断熱材(スタイロフォーム)で縁を切っているので、いったん温まると冷えにくく、日が沈んでからも、翌朝まで暖かさを保ちます。
工事は、コンクリートを流し込む日には、ミキサー車やポンプ車にきてもらいましたが、鉄筋を曲げたり、型枠をつくったりするのは、全部自分たちでやりました。何年もかかりましたし、かなりの重労働でした。よくここまで辿り着いたものです。
おかげで、嬉しいことに、昼間晴れてさえいれば、まったくの暖房いらずです。
このパイプを通って、暖かい空気が床下に下りてきます。紙筒を使う例も多いらしいのですが、我が家ではセットでついてきた、ダクト用のパイプが余ったので、銀色のアルミの上に、ロクタというネパールの手漉きの紙を貼って使っています。断熱してあるので、パイプからの放熱はありませんが、まあ、床下から暖かい空気が上がってくるのだから、同じことでしょう。
そして、これが吹き出し口です。お手洗いや脱衣場など、あちこちに取りつけているので、家中、どこにいても同じような温度です。今頃は、16℃から19℃、ときどき「寒いなあ」と思うと、14℃くらいに落ちていることもあります。
外の温度と変わらないような、仮設のビニールハウスで6冬も過ごしたのが、今となっては驚きです。よくやったなあ。
夏はどうするのかって?夏はソーラーパネルで集めた熱は、すべてお湯を溜めてあるタンクに送って、お湯をつくります。だから、夏はお風呂のお湯は、燃料いらずです。
夏は、夜間に外の冷気を取り込むこともできますが、このあたりは夜は冷えるので、使ったことはありません。
2010年1月28日木曜日
ビニールハウスの移設
何ヶ月ぶりでしょう。やっとビニールハウスの第一作業棟を壊して、材木置き場(右)として再建しました。これまでは、たとえ仮設のビニールハウスでも、ちゃんと水平を出してつくっていましたが、先回(左の第三作業棟)と今回は、建てる地面の傾斜が大きいことと、使う期間がそう長くないこと(希望)から、楽をして、傾斜した地面なりに建てたので、ちょっと傾いています。
ビニールは耐久年数も長くないし、できたら使いたくないのですが、この安さで、この施工の簡単さで、雨に濡れない広い空間を確保できるものは他にないので、やっぱりお世話になってしまいます。
左の作業棟の中には、工作機械が置いてあります。欲しい厚さの板を得るための、万能木工機とか、
いろいろな細工ができるテーブル・ソーとか、これらなくしては、作業は進みません。手前に見える作業台は、その昔ガーナに住んでいたころ、友人のノルウェー人のクリスチャンが設計したもので、数十年経った今でも、重宝しています。
そして、材木棟には、雨にぬらしたくない、たいせつな材木を置きます。
第一作業棟のあったところはこんな感じ。
ここにある「もの」を全部片づけて、右に見える倉庫棟を壊して、整地し、ここに、仮設ではない、最終的な作業棟を建設する予定です。
今の作業棟の前身である、第二作業棟の建っていた、入り口付近です。母屋が右にあり、作業棟が左に建ちますが、近々、母屋の手前に見える、ビニールシートを被せた材木も、今日建ち上がった材木棟に運んでいきます。
2010年1月26日火曜日
天才バカボンの招き猫
以前、何かの本で、秋葉原のゲームセンター限定で、アームを動かして手に入れる、天才バカボンの招き猫があるという、小さな記事を見ました。たぶん、日本招猫倶楽部の機関紙、『福の素』だったのでしょうか。
秋葉原に行く機会があるたびにそれとなくさがしましたが、ありそうな気配すらありませんでした。
数年たち、すっかり忘れたころ、天才バカボンの招き猫セットをネットショップで見つけました。ネットショップの出現は、今では生活の一部になっていますが、本当に画期的なことでした。
バカボンと、バカボンのパパ、
そして、ホンカンとれれれのおじさんのセットです。みんなかわいいこと!!
後姿はみんなよく似ていますが、ホンカンだけは帽子の上から着ぐるみを着ているので、帽子の姿が見えています。
2010年1月25日月曜日
丸いもの ビー玉
今回の短い滞在で、プノンペンの路上で男の子がビー玉で遊んでいるのを、二度も見ました。カンボジアでは、ビー玉遊びはモダマでするものだと思っていたのに、どちらも、直径が3センチほどある、ガラスの玉で遊んでいました。
これまで、プノンペンでガラスのビー玉が売られているのを見たことがありません。遊んでいるのを見たのも初めてです。新しくできたショッピングセンターで売っているのでしょうか?それとも、海外に定住している親戚の人のお土産なのでしょうか?
とっても写真を撮りたかったのだけど、子どもだけでなく、大人も周りを取り囲んでいて、みんな真剣だったので、遠慮してしまいました。古巣では、なかなかカメラは向けられないものです。
そろそろ旧正月なので、市場でモダマが売られているかと思って注意して見たのですが、まだのようでした。
このビンは何のビンでしょうか?飴ビンというのかな?
こちらは、ポマードのビンでしょうか。蓋にCHIYODAとエンボスがあって、二重橋の向こうに富士山の見えるロゴがついています。
これは何のビンだったのでしょうか。水飴かな?うにかな?
以前は種を入れていたのですが、小さいビンは、おはじきやビー玉入れにぴったりなので、移し変えました。そのため、種は整理しきれないで、籠なんかにどさっと入っています。
ビー玉もせっかくなら種類別に分けておいてあげたいのですが、小さくて、透明なビンはもう、どれもおはじきや種などでいっぱいです。
左の水飴のビンはあまり好きではないのですが、なじみの骨董屋さんに、「300円。安いよ。便利だよ」なんて言われて、ついつい、「何かに使うだろう」と、買ってしまったものです。案の定、重宝しています。
ビー玉は小さいころからあったもの、以前、息子に、「仕事でいるんだ。すぐさがして」、と頼まれ、「もう、私だって忙しいのよ。自分でさがしたら」、と言いながら、あちこちさがしたもの、なじみの骨董屋さんから買ったものなど、いろいろです。
2010年1月24日日曜日
ヤシ砂糖
プノンペンの市場で、パルメラヤシ(オウギヤシ、Borassus flabellifer L.)の砂糖を探しました。ところが最初に行った旧市場(プサー・チャ)には、どろどろのものを一斗缶に入れているのは見つかったのですが、固くなるまで煮詰めたものは売っていませんでした。
しかたなく、中央市場(プサー・トゥマイ)に行ってみました。そしたら、一軒だけですが、ありました。昔ながらのヤシの葉に包んだものが。
このヤシ砂糖、カンボジア、タイ、ラオスなどのお菓子をつくるのに欠かせないものです。お料理にだって、欠かせないはずです。でも、輸入物の白砂糖の方がずっと安いし、手っ取り早いので、ヤシ砂糖はタイに続いて、カンボジアでも消えつつあるようです。
左のお饅頭のようなヤシ砂糖は、私がさがしていることを知って、もと同僚のエンさんが、別の市場に走って買ってきてくれたものです。
真ん中は、やはりもと同僚で、長くカンボジアに住んでいる由美さんが、現地のNGOを支援しつつ、つくっているヤシ砂糖です。海外に売って、生産者たちがより生計を立てられるようにと、固形から、粉にしてみたのですが、粉にするにはさらに煮詰めなくてはならず、また、固形に戻す道を模索しているとのことでした。
これは、10年前に撮ったものです。ちょっと大きくて形もまん丸で、とてもきれいにできています。まあ、形に個人差があるのはしかたありません。ヤシの葉を丸めて型をつくり、それに流し込んで一つ一つつくるのですから。
今回は、農村まで足をのばせませんでしたが、これが、ヤシ砂糖つくりが盛んなカンダール地方の典型的な風景です。家に年寄りではない男性がいなければ、ヤシの樹液はとってこられません。なにせ、一本一本、登って集めてくるのですから。
ヤシ砂糖を集めている農家は、一軒で、10本から20本くらいのヤシを持っています。
でも、プノンペンに近いということで、このあたりには縫製工場がどんどん建っているということでしたから、こんな風景も消えつつあるのかもしれませんが。
ヤシの木には、一本一本、竹のはしごが取りつけてあります。これを登って、花序を柔らかくもみます。
別の日に、液を集める容器と、花序を傷をつけるためのナイフを持って登り、傷つけた花序の下に、容器をさげておきます。そして、また別の日に容器を回収するために登ります。というように、高いヤシの木には、何度も何度も登らなくてはなりません。
隣り合って生えている木では、樹上に竹が渡してあって、降りてこないでも隣の木に移れるようになっていますが、たいていは、重い道具や容器を担いで、いちいち登ったり降りたりします。
そのため、木から落ちて障害者になっている人もいます。
これが、ヤシ砂糖をとるための道具です。ただ、細くて長い、手前の竹は南タイのトランの漁村でいただいた、ニッパヤシ(Nipa fruticans)の液を集めるための容器です。
写真を撮ろうと、パルメラヤシの液を集めるための竹筒をさがしてみたのですが、どこかに入れてしまって、見当たらず、前に撮った写真を使ったので、ニッパヤシの容器も入ってしまいました。
竹筒は、表皮を剥いであります。耐久性が落ちるのですが、これに液の入ったものを10個も20個もぶら下げて登り降りするので、できるだけ軽くするのだそうです。
一軒でいうと、50から100ほどの容器を常備していますが、10年前ですら、竹の容器はプラスティックのものに取って代わられつつありました。
花序をそっと抑えて柔らかくする道具です。「これは古くなったもの。何本かあるから、持ってって」とポルさんからいただきました。雄花を押さえる道具と、雌花を押さえる道具の二種類あるのですが、これがそのどっちだったかは、忘れてしまいました。
そのとき、「切れそうになっているから」と、古い縄を取り除き、パルメラヤシの葉柄を割いたもので、ちゃっちゃっと結び直してくれました。その、手早くて、できあがりの美しいこと。縄はぐるっとまわしているだけではなく、二本の木を通しているものもあり、全体では進入禁止マークのような形をしているのですが、ぐるっとまわして見ても、縄の端、あるいは結び目というものが、全然見えません。
そしてこれがナイフ。独特の形をしています。
集めた液は女性たちが大きな鍋で、一日煮詰め、どろどろの砂糖にします。固形にするには、さらに煮詰めます。
今では、カンダール地方には、竹筒にする竹も、はしごにする竹もなく、液の酸化を防ぐためのチップにする特別の木(フタバガキ科の大木を切り、小さくきざんで使います)もなく、煮詰めるための薪にする木もありません。それらを全部別の地域から買っているので、重労働の割には収入は微々たるものです。
ヤシ砂糖は、木が成長してから数十年採れ続けますが、砂糖を採るヤシの木の葉は、絶対に切りません。切ったりすると、砂糖が採れなくなるのです。そのため、細工物にするためのヤシは、別に植えています。
パルメラヤシは、葉、葉柄、幹、すべてが有用です。葉は、割いた葉柄を挟んで並べて縫って、屋根材にします。下から少しずつ重ねながら葺くと、屋根ができあがります。また、葉を編んで、ござや筵などもつくります。
上の箱は全部ヤシの葉で編んだもので、何か買ったらこれに入れてくれる、つまり包装用の籠です。右奥の籠はポルさんがつくってくれました。村の人はみんな、こんな籠がすっすっと編めるのです。
赤いのは、最近出てきた、箱も中も売るという、おしゃれなものです。ヤシ砂糖が入っていました。
左の薄いのは、以前、布を買ったときについてきた籠です。
包装用の籠は雑なものも多く、ほとんど捨ててしまいましたが、きれいに編んであると、なかなか捨てられません。
カンボジアの絹織物、ピダンに乗せてみました。
ロールペーパーのケースもかわいいですが、ちょっと小さい。左は古いもので、ていねいなつくりです。
そして、私の好きなのはこれです。葉柄を割いてつくった稲を束ねる紐で、農家では、稲刈りの前にはこの紐をたくさんつくって、高床の家の床下にぶらさげます。「ああ、収穫も近いなあ」という、風物詩です。硬そうですが、水に浸すと柔らかくなります。
日本では、稲はその前の年の稲わらで束ねますが、カンボジアでは稲わらはたいせつな牛の飼料なのです。これを、ポルさんに、「欲しいなあ」と言ったら、笑いながらくれました。懐かしい思い出です。
2010年1月23日土曜日
サップ川河畔
私は、小さいころ川のほとりで育ちました。そのためかどうか、川が大好きです。プノンペンで暮らしたときも、下宿探しの最大の条件は、川の近くということでした。
サップ川のほとりには、よく歩いていって、ぼんやりと川を見ていました。目線のはるか向こうはトンレサップ湖です。後を振り返れば、すぐそこに、メコン川との合流地点があります。
今回、ほんの2泊だけ訪れたプノンペンは、乾季たけなわでした。したがって、サップ川は水位が低く、トンレサップ湖からメコン川方向へ、かなりの勢いで流れていました。
古い、10年前の雨季の写真も出てきました。川は、遊水地である湖の方向へと流れています。
雨季と乾季では、このあたりで8メートルの水位差といわれていますが、写真では、ほとんど、コンクリートのベンチを超えて、町そのものが冠水しそうです。
国土全体では、あちこちが水に沈んで湖のようになりますが、みんな慣れたもので、オートバイを舟に変えて、何不自由なく行き来しています。
二枚の写真を見比べると、10年前は川向こうが、緑一色だったのが、今ではたくさんの住宅やアパートが立ち並んでいるのに気がつきます。
川向こうは二つの川の合流地点まで、細い三角の楔のような形で伸びていて、その向こうには、メコン川が流れています。
2010年1月22日金曜日
台所道具 イギリス中古品編
ほとんどヨーロッパに行ったことはないし、あこがれもないのですが、イギリスのちょっと古い台所道具は使いやすく、形や素材に嫌なところがないので、台所で重宝しています。
左はジャガイモつぶし、どっこも角ばってなくて、使い勝手も上々です。木のさじは、先がぶ厚かったので、ちょっと薄く削りました。小型の泡たて器は、ビンの中のヨーグルトに牛乳を足して混ぜたりするのに便利です。くるみ割りは形に惹かれました。一番右はゆで卵切り、サラダに入れたりするときは、たいていこれで、縦、横と切ります。
これらは、わりと出番が多いものです。
くるみ割りは開いた感じがいいのです。でも、実際に胡桃を割るときは、面倒なので、たいてい閉じたまま、まな板の上で、がんがん叩きます。ということは、べつにこれでなくてもよかったということですが。
ほとんど出番がないものもあります。左からおろし金、網杓子、アーモンド挽き。おろし金は他にもっと清潔なのがいくつもあるし、網杓子は使うのがもったいないし、アーモンドをつぶすようなときは、タイのクロックやら、乳鉢、電動のミルなどを使った方が、後始末はずっと簡単です。
夫に、「このおろし金でライトがつくれる?」、と提案してみましたが、拒否されてしまいました。
お菓子の型は、ときどき寒天など流して固めますが、ブリキなので、レモン汁など、酸っぱいものを入れると、ちょっとお菓子の色が変化します。身体にいいのか悪いのか、とりあえず、酸っぱくないときだけ使っていましたが、最近はステンレスの型や磁器の器ですませているかなあ。すっかり出番が減ってきました。
釘入れになり下がったりしなければいいのだけれど...。実はすでに釘入れになっているお菓子の型があるのです。
コランダーは、うどんを茹でたときなどは使いませんが、なぜかブロッコリーやカリフラワーを茹でると、必ず使います。ちょっと早めにあげておくとちょうどいい硬さになります。網の笊だと、なんとなく、柔らかい先端部分が痛んでしまうような気がして。気のせいかもしれません。
漏斗は、口が広いので、ジャムをビンに移すときに使います。これもブリキですから、だいたいが酸っぱいジャムに反応しているに違いないのですが、さっと通る短い時間だからと、目をつぶって使っています。他にも漏斗はあるのですが、口が細かったり、低温で焼いた陶器製で、酸と反応して鉛が出そうだったり、ビンにジャムを入れるには適してないものです。
卵入れは、卵を入れるつもりで買いました。でも、1、2回入れただけでやめました。その、一番大きな理由は、冷蔵庫の卵入れに他に入れるものがなくて、スペースが無駄になっているのに耐えられないということでした。よく考えるべきでした。
今ではもっぱら、「猫除け」に使っています。餡パンとか、焼き芋とかが少量残っているとき、猫にとられないように入れるのです。でも、朝見ると、焼き芋が半分になっていたりします。頭を突っ込むのでしょうか?手で引っかいて持ってくるのでしょうか?今は、干し芋が入っています。
イギリス中古の道具中、もっとも頻繁に使われているものは、このレタスの水切りです。
ぱかっと開きます。中に、レタス、タマネギの薄切りを水にさらしたもの、キャベツのきざんだのなんかを入れ、台所のドアを開けて外に出て、前後に思いっきり4、5回振ったら、水気が飛んでいきます。母などは、野菜は布巾で水切りをすればいいと言いますが、手軽さが魅力です。使った後は、ざっと洗って、あるいは洗わないで、また4、5回振ってから拭けばいいので、手入れも超簡単です。
2010年1月21日木曜日
丸いもの
円形、球形。家には丸いものがいっぱい転がっていますが、丸いものって、なんとなく和みます。
このガラスの浮きは、まだ十代のころ、夏休みに友だちと出かけた伊豆半島の下田の港で手に入れました。結婚やら、何回もの引越しにも失せずに、いまだに我が家で健在です。もっとも、しっかり編んであったネットは、ガラスが見えないほどの細かさだったので、はずして、捨ててしまいました。
同じときに買った、木でできた、色とりどりの釣り用の浮きは、もうひとつも残っていません。
ビリヤードの玉は役目を終えて、ただ転がっているだけです。もしかしたら、掌の上で転がしていたら、指の運動くらいには役立つかもしれません。でも、大きな役割は、我が家の他のもの同様、目の保養です。なんちゃって、「目の保養」が多すぎるので、目移りするばかりですが。
ソリティアもどちらかといえば、目の保養です。せっかちで、考えなしに石を取るので、なかなか一つだけ残して終わりません。ひどいときは五つも残ったりして。
でも、きれいな石をながめるだけでも、疲れが取れます。
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