「ここには、蚊がいませんねぇ」
我が家に来た方がよくそうおっしゃいます。
そうそう、木の下の薄暗い場所に行くと藪蚊がいますが、あまり蚊には悩まされません。
でも、近くで牛を飼っている場所があるからか、蠅がうるさい日があります。
で、とても古典的な「ハエとりリボン」を、初めて買ってみました。
浮き浮きと、作業場に一本、ついでにハエがうるさくつきまとって室内にも入ることがあるので、台所にも一本ぶら下げてみました。
早くくっつかないかと見ているのですが、今のところ全くくっついていません。
作業場では、数日前にはうるさくしていたハエの姿もありません。
あれっ?
2017年6月29日木曜日
2017年6月28日水曜日
ハヤブサという名の刃
Oさんに、もらいものだけどと、刈り払い機の刃を三枚もいただきました。
古っ!
こんな刃は、初めて見ました。
刈り払い機は、以前住んでいたところでも使ったことがありますが、その時の刃はどんなものだったか、八郷に来て、刈り払い機を使いだしてからは、チップソーしか見たことがありません。
チップソーは、数回は気持ちよく切れますが、10タンク(約15時間)くらい使うと刃が傷み、刃が草に当たっても、切れないで曲がって除けるようになります。
刈り払い機は、地面すれすれで使うものなので、どうしても土を切るし、石にもぶつかります。しかもこのごろでは、あっちもこっちもイノシシが掘り返していて、どこも地面がぼこぼこなので、土を切らないで使うのは至難の業なのです。
この鋸刃はなにせ初めてなので、使いはじめるまでひやひやでした。
ちょっと鈍い感じで、チップソーの降ろしたてほど気持ちよくは切れませんが、 四、五回使った後のチップソーに、そう遜色はありませんでした。
あとは、何回使えるか、楽しみです。もっとも、篠竹を切るのは、やめておこうと思っています。
チップソーは、500円くらいから、中には一枚で5000円以上するものもあります。
高い刃には、細めの枝なども切れるものもあるようですが、私はいつも1000円以下の刃を使っています。一、二度、長持ちするかしらと、1000円以上するのを奮発してみたことがありますが、やはり同じように切れ味は落ちました。
それにしても、美しい刃、一枚は使わないで取っておいて、ミニテーブルにするとか、ほかのことに使ったら、楽しいかもしれません。
2017年6月27日火曜日
花巻人形
花巻土人形の招き猫です。
2011年の地震で割れましたが、お顔がそっくり残る割れ方だったので、いまだに捨てないで、持っています。
「葛籠の中」から借用 |
元々はこんな姿でした。
製造元に注文して、数年待って、やっと手に入れた猫でしたが、割れてみて、びっくりしました。
土人形ではありませんでした。
石の粉か石膏の粉をどろどろにしたものを、型に流し込んで成形しています。
花巻人形は十八世紀初頭からつくられているもので、地元では、「カラケヅンズゴ(かわらけ=土の焼き物+人像子」と呼ばれて親しまれてきました。
すべての事象は世につれて変化するもので、手仕事も変化なしとはいきません。土人形もだるま窯や登り窯ではなく、電気やガスで焼いても、一向にかまわないと思います。
でも土人形は、今では子どものおもちゃではないからこそ、後世の人が見てもなるほどと思うような仕事をして欲しいと思うのです。
絵つけが手が込んでいるとは言え(もしかして、アクリル絵の具?)、花巻土人形は値段も、私が手に入れたときよりさらに高額になっています。それなのに流し込みとは、ちょっと寂しすぎます。
こうしてみると、昔ながらの形を重んじ、使う土、つくり方、彩色の顔料などにこだわって人形をつくられている「いまどきさん」の仕事が、とても貴重なものに思えます。
さて、気を取り直して、花巻の古い招き猫です。
花巻の招き猫の顔に黒いところがあるのは、顔に煤がついているのを表現しているからです。猫の顔に煤がついているのは、家が繫栄するしるしで、縁起のいいものとされてきました。
いつも竈(かまど)に火が絶えない=十分食べられるということなのでしょう。
花巻の猫を見ると、フィリピンの北ルソンの竈猫を思い出します。似ていませんか?
北ルソンの農家に行くと、たいていどこの家にも、高いところにしつらえられた竈の灰のなかに、猫がうずくまったり、潜り込んだりしていました。
竈から追い立てられて出てくる猫はどれも煤色で、いったいどんな毛色の猫かまったくわかりません。
花巻の囲炉裏の中にも、そんな猫たちがいたのでしょうか?
左から見た姿と、後ろ姿です。どちらも可愛いけれど、
右から見た姿の可愛さは、格別です。
底に貼った紙に、何か字が書いてありました。
作家さんのお名前かとも思いますが、残念ながら破れてしまって読めません。
追記:
これを書いてから4,5年後に、頭の黒い猫は花巻の猫ではなく附馬牛の猫と判明しました。間違っていたことを知ってからも放置していましたが、2023年9月4日に訂正します。
追々記:
hiyocoさんのご指摘で、附馬牛人形と思った頭の黒い猫はやっぱり花巻人形だったと、再訂正いたします。
2017年6月26日月曜日
作業棟二階の水回り
母屋と違って、気密性を確保できる構造にはなっていない作業棟ですが、一応、外に面した壁には断熱材を入れています。
といっても、ホールとの境や、階段との境とゲストルームをどう遮断するのか、そんな面倒なことを考えるのは夫に任せて、私は何も考えずに作業しています。
これは、お手洗いと対称になっている場所で、食器を洗ったり顔を洗ったりする水場です。
奥の壁を張り、
床も張りました。
流しは真ん中のあたりに設置、奥の部分は、右の部屋から、収納として使います。
そのシンクを夫が取りつけました。
私にとっては、とっても面倒な作業に見えますが、夫は工夫のある仕事が大好きです。使い勝手というより、つくることに意義あり、という感じ、洗ったお皿が本当にシンクの奥に置けるでしょうか?
もっとも、ビニールハウス時代の台所を思い出せば、汚れたお皿を洗うだけなので、これでも十分ですが。
私は、流しの左側の壁を張りはじめました。
左が流し、右がお手洗いです。
お手洗い側の電気工事。
私には理解不能の世界です。
それにしても、専門家だったら、まず外と中を仕切ってから内装をはじめるところでしょう。客室の一つは、窓を入れてないどころか、大きな穴がぽっかり開いたままです。
2017年6月25日日曜日
ククルカン、現る
昨年の夏、面白いものを発見しました。
雨どいとしてつくってあるコンクリートに、夕日が屋根の影を落として、光と影がうろこ状になっていました。
まるでマヤのチチェン・イッツァの遺跡に、一年に二度だけ降臨する、ククルカン神(蛇の形をした神)が現れたかのようでした。
私が、大騒ぎしていたら、
「瓦屋根の影が雨どい垂直に写っているということは、陽が斜めに沈んだとしても、瓦屋根と並ぶとき影を落とすから、しばらくは毎日見えるんじゃないか」
と夫は言いました。
わかったような、わからないような、でもそれ以来、私は雨といに現れるククルカンを見たことはありませんでした。
ところが一昨日、夫が朝日を受けてククルカンになっている雨どいの、反対側からの写真を撮りました。
夏至に近いこの時期、ククルカンを毎日見ることができるのかどうか、見たいのですが、今朝も雨が降っています。
2017年6月24日土曜日
重さを軽く受け止める工夫
1980年初頭、タイのバンコクのガソリンスタンドでは、すでに自動車にオイルを注入するポットはプラスティック製だったと思います。
ただ、田舎町に行くと、プラスティックのポットとともに、ブリキのポットが併用されているところも残っていて、ブリキ屋さんの店先には、バケツなどとともに、こんな手づくりのオイルポットも並んでいました。
持つところを太くしてあり、手が痛くなりません。
本体が小さくて、オイルを満たしても重くないオイルポットには、持ち手に、手を痛くさせない膨らみはつけられていませんでした。
手の込んだ、素敵な工夫だとは思いましたが、このときは、これが欧米のオイルポットを模してつくられたものだと、知りませんでした。
のちに、イギリスのポットや、お湯入れにも同じ工夫がされていたのを見つけました。
「あぁ、あのオイルポットの原型は欧米にあったのだ」
と、初めて思い至ったものでした。
このイギリスのポットやお湯入れを手に入れたのは、1990年代の初め頃だったでしょうか。
もともと、鉄でできたものが好き、水差しやオイル差しが好きでしたが、ヨーロッパのものにまで手を出してしまったのは、このぷっくりした持ち手に惹かれてだったのかもしれません。
決まった一か所を持つのでなく、いろいろなところを持つヨーロッパの道具にはまた、持ったときに痛くない、別の工夫がなされているものもあります。
イギリスのじょうろですが、水を入れて運ぶ時の持ち手も、水遣りの時に掴む持ち手も、鉄板を曲げてパイプのように丸くする工夫がされています。
同じくイギリスのじょうろ、こちらは、小さな町工場でつくられたものではなく、現代の大工場でつくられているものですが、やはりじょうろの重さを掌に感じないで、バランスよく持てるように、工夫されています。
持ち手は、パイプを曲げてつくってあります。
水を1ガロン半入れて重くなっても、両手で持つと安定し、手も痛くありません。
古いじょうろは室内用、新しいのは室外用として使っていますが、どちらも使いやすいものです。
さて、バケツの持ち手と言えば、木製のこんなものを、まず思い浮かべます。
これは、フランス製のバケツです。
1970年代から80年代にかけて、日本のバケツやじょうろはプラスティック全盛で、ブリキのものは巷に見当たりませんでした。そして、ごくまれに見かけても、目の飛び出るような値段でした。手仕事はすたれ、中国製のものはまだ入ってきていなかった時代です。
そんなおり、銀座のデパートのプランタンで見つけたのがこのバケツでした。
私は意気揚々と、このバケツをぶら下げて歩き、もちろん電車にも乗り、家まで凱旋したものでした。
日常使いの道具も、プラスティックで間に合わせるのではなく、好きだと思えるものを使いたいと思っていたのでした。
ところが昔は、日本には、意外と、このような持ち手のバケツは少なかったのかもしれません。
木の持ち手がついたおもちゃのバケツはいずれもヨーロッパ製です。
日本のバケツのおもちゃにも、木の持ち手がついたものがありますが、少数派です。もちろん、ただのおもちゃですが。
そして、こちらが日本のバケツ、
持ち手は、鉄板をお菓子の八つ橋状に、外を向けて丸く曲げてあります。
小さいバケツの持ち手も、同じ加工がされています。
木の持ち手をつけるより、この持ち手の方が縁にぴったりと沿って収まるので、日本人の気性に合ったのかもしれません。
この加工方法も、実は日本独自のものではなく、イギリスのバケツなどに多く見られるものです。
たかが持ち手、されど持ち手。
こんな持ち手にも、ヨーロッパの工夫が世界を席巻している様子が見て取れます。
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