2024年7月30日火曜日

キース・へリング

万燈祭で、酪農家のIさんがキース・ヘリングのTシャツを着ていました。黒に白でごちゃごちゃと人のいる絵でした。

画像はユニクロからお借りしました

「かっこいい!」
ユニクロでキース・ヘリングのTシャツを売るようになって、キース・ヘリングの絵が巷に溢れて、楽しさが倍増しています。
 


じつは夫が愛用しているおさがりのTシャツもキース・ヘリングです。


もっとも絵ではなく、すべてキース・ヘリングの自身の写真を並べたTシャツです。全然かわいくはないけれど。


たけちゃんのTシャツの1枚もキース・ヘリングです。


かわいい犬と猫たち。


後ろにも1匹犬がいます。


キース・ヘリングの絵を見ていると、口元が自然にほころんでしまいます。





2024年7月29日月曜日

お留守番ができた!

夏休みで、九州からたけちゃん父子が来ています。
先日の遅い午後、たけちゃんのお父さんが一人で東京へ行きました。子ども連れが難しいレストランでの会食ということで、たけちゃんは留守番をしなくてはならなかったのです。
じつは2年前に一度留守番したことがあったのですが、そのときは泣きに泣きました。今回も心配していたのですが、2年の月日は大きく、たけちゃんはあっけらかんとしていて、楽しくお留守番しました。


ほとんど手がかからず、タブレットを操作して一人遊びしていたのですが、長椅子に寝っ転がりに来たおじいちゃんを「もの」攻めにしているところです。


洗濯ものを顔に乗せ、


アンパンマンも顔に乗せ、おじいちゃんは降参する以外ありません。


お留守番で私たちと距離の縮まったたけちゃんですが、猫だけは怖くて、横をすり抜けるのもおっかなびっくりです。それを知ってか、タマはたけちゃんが近づくとちょっかいを出す気満々で待ち構えますが、マルは知らん顔です。







2024年7月28日日曜日

万燈祭

新型コロナ禍で、この数年集会もままなりませんでしたが、5年ぶりに集落の万燈祭が開かれ、参加させていただきました。


集会所に行ってびっくり、古い木彫りのお不動さまは、色は剥げ、欠けたりもしていたようでしたがよみがえり、鮮やかに彩色されていました。


近くに塗り師の方がいらっしゃって、彩色して、開眼式も済ませたのでお披露目と言うことでした。
彫られた、江戸時代当時はきっとこんなだったのでしょうから、修復前の鄙びたお不動さまを懐かしがってはなりません。お不動さまはこの集落の守り神です。


久しぶりに皆さんとお話できて、玄人はだしのつとむさんとひろいちさんの打ちたてのおそばをいただいて、楽しいひと時を過ごしました。




 

2024年7月27日土曜日

滑りにくい安全靴

3年前、屋根から落ちてろっ骨を11本も折るという大けがをして以来、作業には屋根上仕様の安全靴を愛用していましたが、苔の生えた石の上などでちょっと足元が滑りそうになるようになりました。そんなことが何度かあった後、転ばぬ先の杖ならぬ、転ばぬ先の靴を購入することにしました。


泥んこになっているとはいえ、まだはける靴を捨てるのは抵抗があります。


靴底も、すり減っているとはいえまだ突起が残っています。ただ、かかとの方がずいぶん低くなっています。


新しい靴も「ミドリ安全靴」ですが、底の突起パターンが前のと違います。
滑りそうな場所を歩いてみたのですが、斜めの突起が全方向に利いていて、滑りません。


冬には靴下を4枚はいてもはけるように一サイズ大きいものを買っているのでちょっとぶかぶかですが、これで安心して歩けます。






 

2024年7月26日金曜日

夫の服装事情


夫は息子のおさがりの古いTシャツを、大事な場所にも平気で着て行きます。明らかに古いし、ほつれて、穴も開いている。やめて欲しいので、新しいTシャツをまとめて買いました。


「古いTシャツ、捨てていい?」
と訊くと、
「だめだめ、大切なんだから!」 
と血相を変えるので、擦り切れたTシャツたちは、まだ引き出しに居座っています。

ズボンも、裾が太い、30年も前の、はかないのを捨てないでためています。体形が変わり、裾は擦り切れ、シミもついているので捨てたいと思うのですが、「はくから」と言います。それでもこっそりいくつかは捨てました。

それにしても汚し過ぎ、何でも手づかみにして、汚れた手はズボンやシャツで拭きます。そして、破りすぎ、作業着でもないズボンで作業したり、どこかに引っかけたりしてすぐに破いて破いてしまいます。


「破れちゃった」
夏なので、薄手のズボンをはいていて、破れやすいことは確かですが、こんなところが破れる?
「あらっ、どうして破れたのかしら?」
「わからない」


いつものことなので、継ぎ当てします。裏に丈夫な布を当て、


表からちくちく纏(まつ)ります。


そして、刺し子をすれば出来上がりですが、暗い色の刺し子糸がありません。


しかたない、ベンガラ色の糸で縫いました。
こうして、繕ったズボンはただいま絶賛愛用中です。
そして、今日は新しいTシャツを着ています!







2024年7月25日木曜日

陽を浴びなくっちゃ


一昨日の朝、朝から陽ざしが強いというのに、食事のあとマルは二階の東に面した窓のところで日光浴をしていました。


「気持ちいい?」
この日はこの夏一番の暑さになりましたが、マルはお構いなしでした。


昨日の朝、マルは同じ場所でジリジリと焼かれていました。


そして今朝。
マルを見ていると、生物は太陽の光によって生かされていると、改めて思ってしまいます。


タマはなんだかつまらない。
いつもは私について以外上ってこない二階の踊り場で、ふて寝しています。


「暇だなぁ」





 

2024年7月24日水曜日

門前の招き猫


昨日に続いて常滑系の招き猫、千葉県の成田山新勝寺の参道で売られている招き猫です。
私は三里塚で有機農業を営んでいるこいずみさんから、長く野菜を購入していました。こいずみさんを訪問することもよくあり、成田山新勝寺の参道も何度も訪れた場所でした。でも、目当ては店頭でウナギを割いているかば焼き屋さんでした。

今日は土用丑の日、参道のかば焼き屋さんでは、ウナギを食べに来る人たちで、さぞかしにぎわうことでしょう。


さて、住吉大社とか、豪徳寺とか、神社仏閣の授与品は欲しくてわざわざ訪れたものでしたが、門前でたくさん並んでいる(お土産ものの)招き猫は、見ているとなぜかすぐに食傷してしまい、成田山の門前でも、一度買ったことはありませんでした。というわけで、かつて我が家で棲息していた成田山の招き猫数匹は、すべて骨董市経由のものでしたが、3.11で失われてしまっていました。
その後、成田山の小さな招き猫には出逢いましたが、いかにも成田山の猫らしい、首に八角形のロゴマークをぶら下げた招き猫とは長く出逢っていませんでした。


日光山の招き猫も参加して、門前出身の常滑系の招き猫たちの、丑の日の揃踏みです。




 

2024年7月23日火曜日

合格祈願の招き猫

骨董市ではいろいろな店で、ぽつんぽつんと招き猫を見かけます。
売られているのは、ほとんどが千万両の小判を持った常滑系の猫たちで、ほかには瀬戸のお土産品の磁器の猫や、中国製の猫なども混じっています。


玩古さんの親父さんの店に、合格祈願の猫がいました。
目が寄りすぎていない、目が尖っていない、目が大きすぎない、目が怖くない。かわいいけれど、常滑系の猫はもういらないかな? 自問自答しながら店を離れたものの、ワンコイン以下ならやっぱり買おうと店に戻り、値段を尋ねてみました。
その日は何故か饒舌だった親父さん、
「両手をあげて、人もお金も招いているよ」
とうんちくを垂れます。
「えっ、この猫は合格祈願みたいですよ」
と言うと、小判を見て、
「なんだ、そうか」
値段も思った通りだったので、合格祈願猫が我が家にやってきました。やって来てから、鈴ではなく星を首につけているのに気づきました。


我が家に先住している合格祈願招き猫を探したら、2匹いました。
双子のように見えて、2匹は目、挙げた手の高さ、首輪、模様、爪の色、そして鼻の穴の大きさが違います。


そして、一番大きな違いは、ただの土人形と土鈴であるということです。


この猫たち、鉢巻きの下から、顔の右に赤い布が垂れ下がっています。この垂れ下がったものが何を意味しているのか、ちょっとわかりません。鉢巻きの端ではない。


赤い鉢巻きは後ろで、ちゃんと結ばれています。


鉢巻き猫たちは昔からいるのでうろ覚えですが、浅草の「助六」から来たものではなかったかと思います。

と書いているうちに、合格猫が、少なくてももう1匹はいた気がしてきました。顔も思い出したのですが、見つかりません。3.11で棚から次々と落ちてずいぶん失われたので、その中の1匹だったのでしょう。


その代わり、こんな猫が見つかりました。
全然覚えがありません。


ただ、愛猫も合格猫と同じところでつくられたことは確かです。





 

2024年7月22日月曜日

ウニビン

骨董市でおもちゃ骨董のさわださんの店に行ったら、
「ウニビン持っている?」
と訊かれました。
「持っているわよ」
「これより大きいやつ?」
「そうね、大きいわね」
「朝からもう3つ売ったんだけどね」
と、さわださんは客を一人つかみ損ねて、ちょっと残念そうです。
我が家のウニビンはずいぶん前からありますが、八郷に越してきてからのものだと思われるので、もしかしたらさわださんの店から来たものかもしれません。


「ウランガラスにも、見えるでしょう?」
「.....」
ウランガラスには見えないけれど、小さな泡がたくさん入っていて素敵、蓋もぴっちりと閉まります。
「やっぱりいただく」
2本残っていたうちの1本をいただいてきました。


前から持っていたウニビンの蓋にはエンボスがありますが、小さいビンの蓋にエンボスはありません。


エンボスのないビンの蓋は、缶詰の空き缶を再利用した蓋、戦後わりとすぐの時代のものと思われます。日本は戦争のために、金属という金属を供出させて武器にしたため、戦後すぐは、巷には占領軍の持ち込んだ缶詰の空き缶くらいしか、蓋をつくる金属がありませんでした。

蓋の裏にはBREWERIES(醸造所)という文字と、CALIFORNIAという文字が読めます。
もしかして、ビール缶?
私は、ビール入りのスチール缶を見たことがなかったのですが、調べてみるとアメリカでは1935年に、スチール缶入りのビールが発売されています。フラットトップのスチール缶は、専用の缶切りで2カ所に穴を開けて飲むもので、携帯に便利だったそうです。
アメリカでは兵士の携帯食として、第二次世界大戦中にドライフードやレトルトなど、様々な保存食品が開発されましたが、スチール缶入りのビールも、携帯+保存飲料として開発されたのかもしれません。
ちなみに、日本で、スチール缶のビールが発売されたのは、1958年のことでした。


ウニビンは分厚いけれど、現在のビンに比べると、ずっとたくさん入ります。






 

2024年7月21日日曜日

日本で食べるマンゴスティン


息子の連れ合いあっちょが、つくばのコストコで売っていたからと、マンゴスティンをくれました。
冷凍でないマンゴスティンを日本で食べるのはおそらく初めてではないかしら? 
カンボジア人の友人が来たときは生のドリアンを持って来てくれたし、南インド料理を食べに行ったときは、スーパーで売っていたという甘いタマリンドをいただいたし、熱帯の果物が、なんだかとても身近になっています。


マンゴスティンには花模様のような突起がありますが、その花びらの数だけ実が入っています。



皮は手でひねっただけでは開くことが出来ないほど固かった! 長い輸送に耐えられるよう品種改良されたものかもしれません。


スンコロ(宋胡録)焼きのマンゴスティンとツーショット。
探せばどこかに、乾燥させたマンゴスティンの干物もあるのだけれど、すぐには出てきません。

久しぶりに食べたマンゴスティンは、とっても美味でした。