2014年10月31日金曜日

渋柿をむいています


いただく約束をしていた、ご近所の渋柿をいただきに行きました。
引っ越しをしてきた次の年、まだ近くの町にアパートを借りて住んでいた頃、この家の渋柿が見事だったので、声をかけていただいたことがありました。

ところが、翌年仮設小屋を建てて八郷に住むようになると、近くではあるけれど違う集落であることなどからかえって遠慮が出て、以後、十年以上一度もいただいたことがなかった柿です。
いつだったか、そんな話を、その家のお隣のOさんにしたら、口を聞いてくださったのです。

柿の木は三本あり、好きなだけ持って行っていいとのことでした。


Oさんが柿酢をつくるという背の低い木の実を残して、欲張りにもコンテナ4個分、高い梯子で届く限りの柿をいただいて来てしまいました。


残ったのは、高い梯子でも届かないところのものだけになりました。


採る時は、採れるだけ採りましたが、欲張りのつけはあとからきます。


枝をT字に切りそろえ、へたを取って皮をむくのですが、むいてもむいても減りません。


昼間は低い型枠をつくる作業をして、夜なべ仕事で皮をむいていますが、むいたものを吊るしに外に出たら、室内にいると聞こえないのですが、イノシシが間近でブヒブヒ騒いでいます。

やっと、200個ほどむきました。あと三分の一ほど残っています。
三日目の今日は、なんとか終わらせたいものです。





2014年10月30日木曜日

追悼、赤瀬川原平


『ベトナム低空飛行』(赤瀬川原平著、ビジネス社、1996年)は、路上観察のハノイとホーチミン市版、とってもおしゃれな本です。
赤瀬川さんは、いろいろなお顔を持っていましたが、この本は、路上観察者+写真家、それに一部イラストレーターのお顔も見せています。


路上の静物[1] 

もうこのままで作品であると、ぼくらは思うが、今日もお客はなくて居眠りだけで終わるかもしれない。

東南アジアで暮したことのある人なら、これが「何屋」さんであるかすぐ言い当てられます。ガソリン屋さんなのです。
清涼飲料水の空き瓶に入れたガソリンは、ガソリン・スタンドより少し高いのですが、ほんの少量でも嫌がらずに給油してくれます。
お金もたいして持っていない、ガソリンがなくなりそうなバイクには、なくてはならない存在です。

現代は「手間」を惜しみますが、手間をかける生活は、充実したものです。


回遊仕立て

開きかと思ったが違う。二匹ずつきっちり腹合わせで並べてある。一匹余ったらどうするんだろう。

このほかにも、帽子、肉団子、人形など美しく並べてある写真が続きます。


赤いポリバケツ

ぼくは何故だかフェルメールの絵を思い出した。美は乱調にあり。壁で計算しているのも大胆。


眠る男[2]
停めた二輪車の上で横に伸びて眠るという凄い芸当。これなら絶対に盗まれない。これこそ昼寝のプロだ。

こんな、嘘のような人も、東南アジアではよく見かけます。人間は、技を磨けば何でもできるものです。
 

門前の赤犬

扉のくすんだ緑と壁の黄色、それとの配色を考えているような赤犬。
口を開いてのぞかせた舌の色が、この場面で一番鮮やかである。


実の成る家

ほとんど路上のショートケーキだ。この可愛い小窓の造り方。ほとんどパウル・クレーだ。

どの写真にも、赤瀬川さんの温かい目が注がれています。

私にとって、赤瀬川さんを最初に目にしたのは漫画家として、70年安保時代の『朝日ジャーナル』に連載されていた、「櫻画報]でした。
当時、私たちはアメリカに住んでいましたが、ヴェトナム戦争反対や徴兵拒否、黒人の人種差別撤廃運動などで、アメリカも熱く揺れていた時代でした。
『朝日ジャーナル』は当時、隅から隅まで面白い週刊誌でしたが、赤瀬川原平さんの、「アカイ、アカイ、アサヒ、アサヒ」で、「櫻画報」は終わると同時に、このことで『朝日ジャーナル』の編集長は更迭され、以後『朝日ジャーナル』からはおもしろさが消え、やがて廃刊に追い込まれていきました。

その当時は、赤瀬川さんが、いろいろなお顔をお持ちだとは知らなかったので、数年後に再びお名前を目にした時は、同姓同名の別人かと思ったほどでした。

10月26日に亡くなられた赤瀬川原平さんに、追悼の意を表します。




2014年10月29日水曜日

大きい塵取り

落ち葉の季節がやってきました。
落ち葉を片づけるのに、これまではプラスティックの手箕を塵取り代わりにしていましたが、手箕は別のことに使うし、立ったりしゃがんだりを減らそうと、塵取りをさがしました。

立ったまま落ち葉を集められること、大きいこと、軽いことなどが条件だったでしょうか。


できたらブリキのが欲しかったのですが、ホームセンターで見つけたのはプラスティック製の塵取りでした。


幅は32センチ、高さもあり、落ち葉はたっぷり入ります。
それに集塵口が平らで、手箕よりロスがありません。アメリカ製でした。


普通の大きさのブリキの塵取りと比べてみると、この大きさです。

「なんで、アメリカ製?」
近頃、あまりアメリカ製のものを見かけませんが、ホームセンターが大きい塵取りをさがしていて、行きついたのがアメリカ製ということなのでしょうか。


そういえば、もう一つアメリカ製の大きな塵取りを持っています。
こちらは、幅が43センチもありますが、厚みがないので落ち葉には向きません。


厚みのあるアルミを大胆に畳んだもので、取り扱いを誤ると怪我でもしそうな代物です。
ストーブの周りなど、入り組んだところはダメですが、他のところではいつも大重宝しています。

「大は小を兼ねる」とは、我が家の塵取りのことです。




2014年10月28日火曜日

マトリョーシカの季節(二)


アンナ・リャボヴァさんの、おもちゃを持っているマトリョーシカです。
一番大きい娘が持っているのは木馬、ロシアだけでなく、東欧一体に、土の馬や木の馬のおもちゃがあります。
しかし、馬が人の生活から遠くなってしまった現在では、二番目の娘が持っている熊のおもちゃの方が、馬のおもちゃより多いかもしれません。
ロシアでは、お土産ものとして、木彫りの熊が盛んにつくられてます。

ところで、四番目の娘の持っているおもちゃが、何でしょう?
よくわかりません。


このマトリョーシカでは、白がアクセントカラーになっています。


マトリョーシカの定番の、パリ万博に1900年に出品して人気を博した、鶏を持っている農民一家の「うつし」です。
 

籠を持ち、種を蒔いているこの子が、気に入っています。

アンナ・リャボヴァさんのマトリョーシカは大好きですが、ときおり、暗い沈んだ色のマトリョーシカ、顔のいびつなマトリョーシカなど、失敗作としか思えないものもあります。


これは、そんな一つです。


気に入っているのですが、変、変!


絵具がすっかり滲んでしまっています。
これも、リャボヴァさんの味(?)でしょうか。


最後は、美しいのを一つ。起き上がりこぼしです。




2014年10月27日月曜日

マトリョーシカの季節


夏の間中、毎日見ながら暑苦しいと思っていたアンナ・リャボヴァさんのマトリョーシカが、やっと心地よく感じられる季節になってきました。


べたっと重い不透明な絵具に、ほっこりした暖かさが感じられます。


この中の一番大きいマトリョーシカは、「収穫の喜び」のテーマです。
季節は秋ではなくて初夏でしょうか、イチゴ、麦、きのこ、卵などを、手に手に持っています。


中でも麦畑の絵がお気に入りです。


あれっ?
一番小さい娘は、収穫したものではなくてパンを持っています。
どれか別のマトリョーシカとこんがらがってしまったのでしょうか?それともここの末娘が、収穫を怠けているのでしょうか?





2014年10月25日土曜日

江戸駄菓子、金花糖招き猫

日本招猫倶楽部では、毎年復刻猫をつくっています。
復刻するのは、いつものはもう手に入らない古い猫たちでしたが、今年は浅草まんねん堂の金花糖の招き猫の復刻(?)猫でした。


砂糖菓子の感じを、磁器で出そうというのです。
面白いアイデアと言えば面白いアイデア、これさえあれば、金花糖を前にして、
「食べるべきか、あるいは取っておくべきか」
と、悩む必要がありません。


本物と、磁器の招き猫を比べられたらよかったのですが、私は本物の金花糖は、中っくらいの招き猫と小さい招き猫しか持っていません。
一番大きい招き猫は、昨年暮れに、まんねん堂に電話で注文したときに、「想像するより大きいですよ」
と言われたこと、値段が飛びぬけて高かったことなどから、注文しなかったのです。


一年くらい経つと、本物の金花糖の、桃色はほとんど褪色してしまいました。

小さい猫たちも再現して欲しかったと思いますが、それは欲張りというものでしょう。
首に巻いたモールと鈴は、まったく同じです。





2014年10月24日金曜日

籠の本


籠が好きです。
民具の一つとして籠が載っている本ではなく、籠だけの本も本棚のあちこちから集めてみると、いろいろありました。


『世界のかご文化図鑑』(ブライアン・センテンス著、福井正子訳、東林書店、2002年)。
ネットショップのAmazonでポチッとして送ってもらうのではなくて、大きい本屋さんに何度も足を運んでじっくり見て、重いのにぶら下げて帰って来た、最後期の本だったでしょうか。


『BASKETS AS TEXTILE ART』(ED ROSSBACH著、1973年)。
世界のいろいろな籠を事例に、籠とは何かということを教えてくれる本です。
右の写真は、ココヤシの葉をばらさないでそのまま利用してつくる、籠の原型とも言える籠です。


何度か紹介した、『 A Basketmaker in Rural Japan』(Louise Allison Cor著、1994年)。
宮崎県日之影村に住んでいた中村憲治さんが集めて、アメリカのスミソニアン博物館の贈った、廣島一夫さんの籠を紹介した本です。
何度開いて見ても、籠の端正な美しさに打たれます。
寂しいことに、情熱的だった中村さんも、90歳過ぎてなお現役だった廣島さんもすでにいらっしゃいません。


フィリピンのエルマーのヤシの葉細工の本、『PALASPAS』 (Elmer Nocheseda著、Ateneo de Manila University press)は、楽しさいっぱいです。
籠を特別な人たちではなくみんなが編んできたこと、籠を実用目的だけでなく、祭祀に使ったり、遊びに使ってきたことなどが、よくわかる本です。

この本で、フィリピンの手仕事の質の高さが世界に伝わったら、どんなに素敵なことでしょう。
フィリピンのヤシの葉細工の質の高さは、インドネシア、タイ、カンボジアなどのヤシの葉細工の質の高さでもあります。


『アジアの道具、籠・箱・器』(小川圭著、文化出版局、2001年)。
籠だけでなく、私の好きな箱も紹介してある、わくわくする本です。
これは漁具のページ。インドネシア、フィリピン、ヴェトナム、タイなど所は変わっても、籠の形がよく似ているのが面白いところです。


中でも、一番気になる籠はこれ、魚を獲る道具だからと言って、魚の形につくった籠です。
ヴェトナム人の遊び心が伝わってきます。

著者の小川さんは、アフリカアートの「ギャラリーかんかん」の設立スタッフとして、アジア各地を歩かれた方です。
 

つくりもしないのに、籠のつくり方の本も持っています。
『アジア、アフリカの民具がヒント、大好きなかごを編む』(高宮紀子著、文化出版局、2000年)。
高宮さんは、織物をしていたときに関島寿子さんと出会い、籠をつくりはじめられた方です。


『やさしく編む、竹細工入門』(稲垣尚友著、日貿出版社、2009年)。
稲垣さんは、熊本県の人吉で竹籠修行をされ、今は故郷の千葉県鴨川にお住まいの籠師さんです。


『自然を編む』(関島寿子著、創和出版、1986年)。
九月にその作品を見てきた、関島さんのご著書です。


『バスケタリーの定式』(関島寿子、住まいの図書館出版局、1988年)。
籠とは何か?編むとは何か?人は何故編んだのか?
そんなことを思い起こさせてくれる本です。

イラストは関島さんのノートから。一番上はやはり一枚のヤシの葉でつくる籠ですが、どれも籠以前というか、籠誕生というか、籠のルーツのような籠というわけでしょうか。






2014年10月23日木曜日

今戸鉄砲狐


しばらく前に、古い今戸焼の鉄砲狐を見つけました。
色は落ちているものの、欠けた箇所もなく、どれも素敵な狐たちです。


しっかりつくられた型で、耳や手足の指が一本一本、はっきりしています。


三体とも、違う型を使ってつくられています。顔の大きさ、脚の形、体型などがそれぞれ微妙に違うのです。

雨に濡れても色褪せない磁器の狐が出回るようになる前は、今戸界隈では土の狐が盛んにつくられました。窯元もたくさんあったと聞きますから、それぞれ、別の窯でつくられたのかもしれません。
左の狐は型に粘土板を押しつけてつくったときはみ出したバリはそのままですが、右の狐はバリをきれいに削り取っています。
 

尻尾は、いまどきさんが型起こしして復元した鉄砲狐ほど大きくなくて、薄くて小さいものでした。


このあたりでは今でも狐が住んでいますが、当時は江戸や東京にも狐は住んでいたのでしょうか?


お稲荷さんに並んで、世の移り変わりを見てきた狐たちなのか、あるいは個人のお宅に祀られていたものか、関東大震災や東京大空襲をどこで経験したのか、いろいろ聞いてみたい狐さんたちでした。